2014.02.23 Sun
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何度よんでも辿りつけない、そんな本に出会った。よめばよむほど咬み切れない、呑み込めない感覚におとし処がなくて、またページを前に戻してよみ返してしまう。
『のろとさにわ』。
「のろ」とは、沖縄のことばで、巫女のことをいうのだそうだ。「さにわ」は、のろとペアになって「のろ(巫女)」のことばをお取り次ぎする者のこと。本書は、巫女のことば、伊藤比呂美さんの詩を、上野さんが「さにわ」となり、お取り次ぎする、解釈する構成である。本文中に、ところどころに挿入された写真―シルヴィア・ウルフによる―が、懸命にことばを追いかけ、追いつこうとする読者である私に、相乗的にはたらきかける。モノクロでそれが描写され過ぎていると感じる頁もあれば、逆に、それがなにかを腑におとすため、イマジネーションを駆使して気がつくと、疲弊しそうになっている頁もあった。自分が見たこと、聞いたこと、読んだことのあると思う、それに近いものを何度も何度もそれにあてはめては、これはちがう、これもちがうと、しばし鑑みてみる。要はそれほど好奇心をそそる、のだ。
そうはいっても、人は、自分が知らないものをほしがることはできないという。ということは、自分が知らないものを、どんなに何度眺めても、それがなんであるかを、知ることはできない、ということか。
もちろん、知らないことがすべて、ではない。知っていることもあるにはある。「辿りつけない」と思うのは、辿りつきたいと思うから。「のろ」にも「さにわ」にもなれなくたって、自分が知っているピースを集めて、それがなにかを知りたい、そそられる本に出会った。
堀 紀美子
平凡社
1991年12月発行
『のろとさにわ』著者 伊藤比呂美・上野千鶴子
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