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歴史の転換を生きぬいて ちづこのブログNo.67

2014.04.18 Fri

元上野ゼミ生のおひとり、福岡愛子さんの学位論文が単著になりました。『日本人の文革認識』(新曜社、2014年)の書評を書いたのでご紹介。
6/12にはWAN上野ゼミで書評セッションの予定。案内に注意していてください

以下書評************
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歴史に対する責任

頼まれて本書の帯にこう書いた。「自分の信念が覆るような歴史の大転換を経験したとき、人はどう身を処すのか。『変わらない』ことにも『変わりうる』ことにも内面の意味を見出し、責任と反省の可能性に迫る。これまでの『転向』研究を超えた意欲作」

文化大革命。1966年から69年まで3年にわたって続き、中国全土を動乱の渦にまきこんだ。赤い「毛語録」を手にかざし「造反有理」を唱えた、紅衛兵と呼ばれるあの若者たちを覚えているだろうか。日本では全共闘世代とほぼ同世代。「反抗するには道理がある」というお隣の国の若者たちの叫びに、心をゆさぶられた日本の若者たちも多かった。
文革はその後、毛沢東の死をもって77年には中国共産党全国大会において「勝利のうちに終結した」と宣言された。さらに81年になって、この認識を完全にくつがえす「歴史決議」が行われる。文革は中国共産党によって正式に徹底否定されるのみならず、その後しだいに明らかになってきたさまざまな証言によって凄惨な実態が暴露され、文革をめぐっては歴史認識が百八十度転換したのである。

日本と日本人にとって文革は「対岸の火事」だっただろうか?福岡さんには『文化大革命の記憶と忘却』(新曜社、2008年)という中国人の文革体験を回想した前著があるが、本書では日本人の文革認識とその転換を対象とした。対岸の日本でも、文革支持派と反対派とのあいだでは非妥協的な対立が起きていたのだ。

時は72年、田中角栄首相によって日中国交回復が成立。当時の中国の周恩来首相は、日本の軍国主義を憎むが日本人を憎まない、という方針を徹底し、膨大な戦時賠償請求を放棄した。この歴史を知れば、現政権の安倍晋三首相がA級戦犯を合祀した靖国神社に参拝することがどれほど中国の神経を逆なですることか、わかるだろう。

当時文革報道に熱狂し、それから「歴史決議」によってそれを完全に否定された日本人の支持者は、その後どんな人生を送ったのか? 本書は親中国派保守系政治家、宇都宮徳馬や文革支持派の左翼知識人、新島淳良のような著名人から、日中友好協会や学生運動に関わった有名・無名の個人を対象に、「語りたくても語れず、封印しようにもしきれない複雑な思い」を聞き出し、分析した労作である。彼らの親中国・反中国の背後に、中国侵略へのねぶかい贖罪感があることをもあぶりだした。

本書は「翻身」概念をキーに、従来の「転向」とは一線を画した。「翻身」とは「転向」の否定的なニュアンスを超えて、何かのできごとを契機に自分のアイデンティティーを再組織化する根源的な態度変更をさす社会学の概念である。周囲が変化したときに自己の一貫性を維持することにも、それに対応して自己の再編成をすることにも、共に痛みが伴う。主義主張の一貫性に必ずしも価値があるとも言えない。革命で政権が交代したり、敗戦で過去が全否定されたような社会では、多くのひとびとが同じような経験をしているはずである。「変わらない」ことの責任も「変わる」ことの責任も同時に問う点で、本書は歴史に対する「責任主体」のありかたに迫るものである。

福岡さんが「翻身」とは「他者に名指されての弁明ではなく、自らの選択によって主体的に行う永続的な自己改造の機会である」というとき、個人が歴史との相互交渉の過程で「変わりうる」ということに、希望が持てる。あらためてここに描かれているのは「他人事」ではない、と肺腑に沁みるすぐれた研究書である。
(『熊本日日新聞』2014年2月9日 “読書 上野千鶴子が読む”)






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タグ:上野千鶴子 / 福岡愛子