2014.12.15 Mon
奔放『ジャーナリズム』「特集 『女性が輝く社会』を阻むものは?」(no.295、2014年12月号)に安倍「女性活躍社会」について書いた。このテーマで書いたもののなかでは、いちばん分量も多く、まとまった論考なので、上野の寄稿を、編集部の了解を得てブログ上にアップさせていただいた。選挙で自公政権が延命することが確定した今日、幸か不幸か、書いた内容を変えなくてもすむことになった。『ジャーナリズム』は朝日新聞社の出版物である。朝日にばかり書くのはほかでもない。他社から依頼がないからである。読売から依頼がくれば、よろこんで書くのに(笑)。
この特集号には上野の他にも、横田由美子さんの「働く女性を本当に輝かせるためには『日本型ビジネスの土壌』自体を変革しよう」とか、杉原由美さんの「上から論評するジャーナリズムではなく、日常の不条理や怒りを共有する報道を」など、読み応えのある論文が掲載されている。横田さんの論文は女性官僚の実態に迫っているし、杉原さんの論文はなぜメディアが性差別を問う報道を避けたがるかをインサイダーの視点から説明する。充実した特集なので、講読をおすすめする。

安倍政権の女性施策は勘違いばかり
女性に不利な働き方のルールを変更せよ
上野千鶴子
(東京大学名誉教授・認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク理事長)
安倍政権がここに来て急に、「女性が輝く社会」だの、「女性活躍法案」だのと言い出した。これまでネオコン(ネオコンサーバティブ)とネオリベ(ネオリベラリズム)の結託のもとに、「国家と家族の価値」を称揚してきた保守政権の言い分としてはにわかに信じがたいが、そしてそれを推進するはずの「女性活躍担当大臣」の有村治子や「拉致問題担当大臣」の山谷えり子などの女性閣僚の顔ぶれを見れば、ますます信頼度は下がるが、ここはどこまで本気なのか、そして本気なら、何をやるべきなのか、を検討してみよう。
数値目標は安倍政権のオリジナルにあらず
「202030(ニマルニマルサンマル)」として知られる「2020年までにあらゆる分野における指導的地位に占める女性の割合を30%に」という数値目標は、安倍政権のオリジナルではない。もともと10年以上も前に、小泉政権のもとで登場した「女性のチャレンジ支援」政策のひとつであり、安倍政権は過去の自民党政権の政策目標をひきついだにすぎない。
ネオリベ政権が「男女共同参画」を推進し、フェモクラット(フェミニスト・ビューロクラット)のパトロンになる傾向があることは、小泉、福田政権にも当てはまる。なぜなら経済合理性があるからだ。人口減少に苦しむ日本の経済にとっては、女性だけが最後の資源。寝た子を起こしてでも使いたい、最後の労働力だからだ。
その点では「男女共同参画」のホンネは、女性の労働力化にほかならず、その限りで安倍政権が「女性活躍社会」に本気だといってもよい。最近では「行きすぎた」女性活躍への動きを苦々しく思った保守系メディアから、「専業主婦を大事に」という警鐘まで出ているくらいだ。問題は言っていることとやっていることとが伴わず、それどころか逆効果であることである。
2020年といえば今から6年後。来る東京オリンピックの年である。2012年の企業の管理職女性比率(部長以上)は5%、これがわずか6年で30%になろうとは思われない。数値目標を掲げようとしたら、ただちに財界に反対されて腰砕けになり、後退した。
「ポジティブ・アクション」とも呼ばれるクォータ制は、長らく経済界から、「わが国の風土に合わない」という理由にならない理由で、しりぞけられてきた。そもそもクォータ制をいうなら、政策をかかげる自民党みずからがまず採用すべきだろう。自民党国会議員のうちの女性比率は9.8%、閣僚18人中女性は5人、27.8%と3割に近いが、このうち高市早苗は夫婦別姓選択制反対派の急先鋒、有村治子は「3歳児神話」の信奉者、山谷えり子は2005年に自民党内に設置された「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査」プロジェクトチーム(安倍晋三座長)の事務局長を務めた人物。「ポジティブ・アクション」には違いないが、「日本会議」寄りのお友だち優遇人事という「ポジティブ(逆差別)・アクション」というほかないだろう。それすら二人の女性閣僚が、不祥事でただちに退陣に追いこまれた。
そもそも政党がポジティブ・アクションを実施したければ、何の法改正もなしにただちにできることがある。選挙の際の候補者名簿の女性比率を上げればそれですむ。それさえやらずに、民間に対して「数値目標を」と言えば、反発は必至だろう。
「女性向け政策」のカンチガイ度
安倍政権が誕生してから、次々にうちだした「女性向け政策」なるもののカンチガイ度にもおどろく。
まっさきにうちあげたのが「女性手帳」だった。少子化対策で「卵子は老化する」という啓蒙キャンペーンを実施、早めに子どもを産んでほしいと呼びかけたが、「産みたくても産めない状況を変えるのが先」と世論の猛反発を受け、この案はひっこめた。とはいえ、今でも「自分が産めよ」という都議会セクハラ野次や、柳澤元厚労相の「産む機械」発言に見られるように、女は子どもを産んでなんぼ、という女性観はなくなっていないし、何より出産はもっぱら女の問題、という見方も変わっていない。
次に登場したのが、安倍首相の「3年抱っこしほうだい育休」。女は誰ものぞんでいないのに、そのカンチガイぶりにあきれた。女性労働者の多くがのぞんでいるのは、産休&育休明け保育の充実。3年間も職場を休みたいとは思っていない。1子で3年、2子で6年、そんなに職場を離れたら、もはやついていけなくなるとあせりすらある。保育のなかでも、もっともコストがかかるのは、ゼロ歳から3歳までの乳幼児保育である。日本では3歳児以上の保育については収容率が高いことが知られている。
したがって、この安倍発言は、こう解釈すべきだろう。「コストのかかるゼロ歳から3歳までの保育の充実をする気はありません」と。「女性の活用」はしたいが、そのためにおカネをつかう気はありません、と言っているようなものだ。
最近ようやく「待機児童解消」を言い出したが、これには予算がかかる。これも問題だらけ。基本は育児は女のしごと、その負担をいくぶんか軽減してあげましょう、というのが今の育児支援策だからだ。
「イクメン」がいまだにニュースに
子持ちの男女労働者の育児参加を支援するという方向には行っていない。育児休業に「パパ・クォータ」をつくればよいのだが、そんな議論はどこからも出てこない。それどころか、現行の育児休業に、じゅうぶんな休業補償が伴っていないのだから、賃金の高い男性労働者が育休をとる可能性はいちじるしく低い。だからこそ、「イクメン」が、いまだにニュースになるほど希少価値があるのだ。
少子化対策というなら、なくてはならないのはシングルマザー支援。欧米諸国における出生率のうち、婚外子寄与率はスウェーデンやフランスで2分の1、ドイツでも3割、イタリアでさえ20%近くなのに、日本では2%台を推移している。その背後で、十代の若い女性の妊娠中絶率は上昇しているのだから、産まれなかった子どもの暗数があるにちがいない。若いうちに出産育児を、というのなら、これらの女性たちがシングルマザーになっても、安心して子育てができるしくみを整備する必要がある。それだけでなく、離婚率も上昇しているから、シングルアゲインの母子家庭も急速に増えている。今や、子どもがいることも、子どもが小さいことも、離婚の抑止力にならなくなった。離別シングルマザーの生活が経済的に困窮していることはデータからもはっきりしている。経済的困難が待っていたとしても、彼女たちは離婚に踏み切る。女性の婚姻内での受忍限度が下がったからである。それなのに、政権がやっていることはその正反対。シングルマザー支援の切り捨てばかりをねらっている。シングルマザー支援が行われないかぎり、わたしは政府の少子化対策は本気ではない、と思うことにしている。
どうすれば職場の男女平等は達成可能か
女性は差別されているのか?厚生労働省の審議会では、企業の現状把握のために、以下の4つの指標を「必須項目」として求めた。
⑴採用者に占める女性の割合
⑵勤続年数の男女差
⑶労働時間
⑷管理職の女性比率
経済学者の川口章は、『ジェンダー経済格差』(勁草書房、2008年)のなかで、企業の女性差別の指標に、次の3つの数値を挙げている。
⑴正社員に占める女性の割合
⑵管理職(課長以上)に占める女性の割合
⑶35歳時の男女賃金格差
政府の指標で決定的に欠けているのは男女賃金格差である。このところ同一雇用区分で採用された正社員の男女賃金格差は縮小していることが知られているが、それでも勤続年数が長くなるほど男女差は拡大する。女性は低位のスタッフ職に「塩漬け」になる傾向があるからである。
ではどうすれば職場の男女平等は達成されるのか?
ジェンダー研究者の瀬地山角は「安倍首相、『女性活用』ってホンキですか 第2次安倍改造内閣は『男女共同参画』の基本を壊す?」(東洋経済オンライン2014年9月18日)で、「安倍さんの本気度を測る3つの指標」として次の政策パッケージを掲げている。
⑴選択的夫婦別姓制度の導入
⑵配偶者控除の廃止
⑶年金の第3号被保険者制度の廃止
瀬地山は「この3つの政策変更はいずれも、女性が個人として活躍できるようにするために、日本が抱える最も重要な政策課題」としたうえで、「これらを実現させるのなら、安倍政権の『女性の活躍』は『ホンキ』だと評価をしてもよいでしょう」と言う。が、それに付け加えて「しかし現在の流れを見るかぎり、まずそれは起きないと思われます」とも指摘する。
ジェンダー平等を達成するための政策パッケージ
だが、それだけでは足りない。実はジェンダー平等を実現するための政策パッケージは、すでにある。2012年12月、3.11以後初の国政選挙で、わたしが理事長を務める認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)を含む24の女性団体が連携して提示した「ジェンダー平等政策」全政党アンケートのリストがそれである。そこには26の政策課題が掲げられ、それに対する全14政党(当時)の賛否を問うたものである。(データは以下にアップしてある。http://p-wan.jp/wp/p-wan/)
(1)憲法9条を厳守する(不戦)
(2)憲法24条を厳守する(男女平等)
(3)遅くとも2030年までに原発をゼロにする
(4)防災復興にあたって女性の参画を推進する
(5)被災地の女性雇用を創出する
(6)政党の候補者リストにクオータ制(女性割当制)を導入する
(7)政治・公的活動、教育分野などあらゆる分野で2020年までに指導的女性が占める割合を30%にする
(8)実効性のある同一(価値)労働、同一賃金を実現する
(9)配偶者控除を廃止する。第3号被保険者制度を見直す
(10)家族介護者の負担軽減と介護職従事者の待遇改善を図る
(11)保育所・学童保育の待機児童の解消など子育て支援策を強化する
(12)育児・介護休業制度の普及・啓発を推進し、男性の取得を促進する
(13)選択的夫婦別姓を実現する
(14)婚姻最低年齢を男女同一化する。女性のみに課せられている再婚禁止期間を廃止する
(15)婚外子相続分差別規定を廃止する
(16)性暴力を禁じ、被害者を保護する包括的な法律を制定する
(17)DV防止法の保護命令の対象を拡大し、性別を問わず交際相手を含める
(18)河野談話、村山談話を引き継ぐ
(19)被害者に政府(国家)による謝罪と補償をおこなう
(20)刑法の堕胎罪を廃止する
(21)性的マイノリティ(LGBT)に対する差別や社会的排除をなくす
(22)ひとり親世帯、高齢単身女性の貧困解消に実効性のある政策を実現する (23)外国籍住民に対する差別や社会的排除をなくす
(24)女性の地位向上のための国内推進機構を強化する
(25)女性差別撤廃条約選択議定書を批准する
(26)女性及び性的マイノリティの人権保護の権限を持つ独立した国内人権機関を設置する。
以上の政策リストは、もともとCEDAW勧告として日本政府に寄せられた包括的なジェンダー平等政策課題をもとに作成された。国連女性差別撤廃委員会(略称CEDAW、Committee on the Elimination of the Discrimination against Women)は、国連女性差別撤廃条約締約国に対し、3年に一度の進捗レポートを求め、それを判定して各国に勧告を送る役割を果たしている。2009年に日本政府に来た勧告には「前回(2006年)に比べて進捗がない」「日本政府が不誠実」だとして厳しい評価を受けた。この期間は自民党政権下にあり、2006年から2007年までは安倍内閣のもとにあった。ジェンダー政策へのバックラッシュ内閣として危険視された同じ政権が、今度は「女性活躍」を唱えることに、不信感がつのるにも理由がある。
CEDAW勧告は、計5分野18項目にわたっているが、その5分野とは以下のようである。
⑴国際条約、⑵国内法の整備、⑶労働・雇用、⑷性暴力、⑸人権
わたしたちがCEDAW勧告に独自に付け加えた項目は、不戦(憲法9条遵守)と非核(脱原発)のふたつ。3.11以後の課題として災害復興と防災に関する項目も加えた。瀬地山のいう3つの政策課題もこの中に含まれているだけでなく、さらに包括的で網羅的な政策リストである。
このアンケートに、14政党中主要10政党から回答を得た。その結果を分析して、わかったことがある。
第一は、不戦と非核に消極的な政党は、男女平等にも消極的であり、反対に不戦と非核に積極的な政党ほど男女平等にも積極的な傾向があることである。前者は自民党や日本維新の会、後者は社民党やみどりの党である。
第二に、ネオリベ政党と保守政党との違いは、「202030」を支持するかどうかだけでなく、とりわけ「配偶者控除の廃止」の支持が分岐点になる傾向がある。自民党や維新の会と公明党や国民新党との違いはこれで説明できる。したがって瀬地山の3つの指標は、ネオリベ政党を析出させる指標としては、有効だということがわかる。この点では、ネオリベ政策と男女平等政策とは親和性が高いのである。
第三に「女性の活用」に熱心な政党が、「女性の権利」の擁護に熱心だとは限らない、ということがはっきり出たことである。たとえば自民党は「202030」には肯定的だが、「婚外子差別禁止」「再婚禁止期間の男女平等化」「夫婦別姓選択制」にすべて反対、あまつさえ明治期に成立した「刑法堕胎罪の廃止」にも及び腰である。「婚外子差別」については2013年に最高裁で違憲判決が出て以降、あわてて国会でこの部分のみの民法改正を実現したが、30年以上前から言われてきた残りの2つについては手をつけようとしない。
ここからわかることは、「女性の活用」に熱心な政党が、「女性の権利」に熱心とはかぎらない、したがって「女性の活用」と言われても使う側にとってつごうのよい「活用」、すなわち「活用されて、捨てられて」になるのがオチではないか、という疑念を抱かせるにじゅうぶんな根拠がある。ネオリベ政権と男女平等政策とは、この点で袂を分かつ。
男女雇用機会均等法の最大のアイロニー
上記の男女平等政策リストのうち、労働政策に関わる部分に限定してみよう。現実に安倍政権の女性労働に関する政策を検討してみると、上記の懸念がたんなる懸念でないことが証明される。
安倍政権は、小泉政権のネオリベ政策を継承した。復活した経済財政諮問会議には、委員として竹中平蔵が参加しており、今国会で成立すると見られる改正派遣事業法では、労働者側から見れば「生涯派遣」に固定化されるような働き方が、使用者側から見れば、一定のポストを派遣のままで維持することが、可能となる。(注:改正派遣事業法は審議未了で廃案となった)
竹中は、小泉構造改革のもとで、規制緩和の名のもとに、派遣という使い捨て労働力を拡大する路線を推進した張本人。いったん政界を離れたあと、派遣事業会社パソナの会長に就任したぐらいだから、首尾一貫した人物だとはいえる。
90年代からのネオリベ改革のもとで、正規雇用と非正規雇用の格差は拡大した。今や全労働者のうちおよそ4割が非正規。男性のあいだでは2割、女性のあいだでは約6割。非正規労働者全体のなかでは7割を女性が占める。新卒採用市場のうち、女子学生の5割が最初から非正規労働市場に入っていくと言われている。
1985年に成立した男女雇用機会均等法の最大のアイロニーは、これ以降、「女性向けコース」だった一般職が崩壊し、非正規職に置き換えられたことで、均等法の適用対象となる女性そのものの割合が減少したことだった。女性労働者数は増大したが、その大半は非正規労働者。政財官労あげて、グローバリゼーションに勝ちぬくためには、女と若者の労働力を使い捨てしてよい、とゴーサインを出したのである。このあたりの事情は、わたしの著書『女たちのサバイバル作戦 ネオリベ時代を生き抜くために』(文春新書、2013年)に詳しい。帯にこうある。
「総合職も一般職も、派遣社員も、なぜつらい?追いつめられても手をとりあえない女たちへ」
この文章を書いたのは、担当した30代の女性編集者だ。
「女性活躍社会」に女性の反応は冷ややか
政府の「女性活躍社会」に対する女性の側の反応は、冷ややかなものである。
ジャーナリストの白河桃子は「専業主婦の再活に、「女性活躍推進」って役に立つの?」(YOMIURI ONLINE2014年10月07日)でこう指摘する。
「女性活躍」と言ったって、「『正社員の女性が出世するとかしないとかということでしょう。非正規のわたしは関係ないよね』と思っている人が多いと思う」
ところで「指導的地位に就く」可能性のある女性総合職はどうか。
現在総合職採用者のうちの女性比率はほぼ2割。これらの女性たちが将来の女性管理職候補者となるはずだが、採用2割では「202030」にはとうてい及ばない。それだけでなく出産離職率が思いのほか高い。中野円佳著『「育休世代」のディレンマ』(光文社新書、2014年)は、やりがい志向の「男なみ就職」をしたネオリベ世代の優等生ほど、出産で「女ゆえの離職」をする傾向があるというアイロニーを描き出す。
他方、育休制度や時短勤務など福利厚生の手厚い大企業で、勤続10年で出産期を迎えた女性社員たちは、育休復帰後、「マミートラック(母親労働者向けの二流のキャリアコース)」へはまっていく。
ダブルインカムが不可欠になった彼女たちは勤続年数が長くなる傾向があるが、だからといって管理職になりたいわけではない。企業によっては、残業のない「マミートラック」部門は、すでにオーバーフロー気味で、これ以上吸収の余地がないという。そうなればこれからの女性総合職採用にも及び腰になるだろう。
女子学生の大学進学率の高まりや彼女たちのパフォーマンスレベルの高さを見ていると、企業の採用者の女性比率が横ばいのまま上昇しないのは、隠れた採用「女子枠」があるからではないか、と疑いを払拭しきれないが、それを肯定する人事担当者もいる。
安倍政権の「女性活躍」政策は、女女格差を拡大させるだろう。
「202030」は達成しきれなくとも、おそらく女性人口の1割くらいは、高いパフォーマンスレベルを示してくれる女性たちがいることだろう。仕事も家庭もこなすスーパーウーマンである。自分自身の健康と能力に恵まれ、夫の理解や祖母力にも恵まれ、子どもが病弱でもなく障害もなく、「男なみ」競争に勝ち抜いてきた女性たちである。
女性学はこういう女性たちのことを「女王蜂」と呼んできた。だが、こういう例外的な女性たちは、他の女性のロールモデルにはならない。安倍政権がもてはやす「女性活躍社会」のロールモデルたちが、こういう女性たちだとしたら、その彼女たちが言いそうなことが今から予想できる…「わたしにできたことが、どうしてあなたにできないの?」
ネオリベ政権の決定的なあやまち
ネオリベ政権の「女性活躍」には、決定的なあやまちがある。それは、現行の働き方を変えないまま、女性にも競争に参入せよ、そして勝ちぬけ、と命じることだ。
「機会均等」とは、競争参加の別名である。この競争のルールは、(一部の例外的な女性を除いて)女性にとって構造的に不利にできているので、敗者になる可能性が高い。そして女性が「敗者」になったらなったで、「それ見たことか」と言われる運命にある。
それなら「女性活躍社会」を本気でつくるためには、働き方のルールを変えるほかない。処方箋はできている。以下の3点セットである。
⑴労働時間の短縮
⑵年功序列制の廃止
⑶同一労働同一賃金の確立
順に説明していこう。
⑴労働時間の短縮
長時間労働は、育児と両立しない。まして毎日のように午後8時や10時に帰るような残業のある生活は、家庭責任と両立不可能である。保育園のお迎え時間に合わせて定時に帰れる生活、それができれば状況は大きく変わる。週に1回の「ノー残業デー」のような思いつきではなく、いつでも、男女を問わず、社員が定時に帰れるような労働時間の短縮が必要である。短縮といっても、週に35時間労働とかを要求しているわけではない。ただたんに就業時間規則を守るように、要求しているだけである。
⑵年功序列制の廃止
日本の企業はひとつの組織に長くいるほど、給与とポストが連動するシステムをつくりあげてきた。その方がホモソーシャルな男性集団の組織忠誠心や士気を動員することができたからである。
それを支えるのが新卒一括採用である。だが、女性という異質な文化が参入してきたら、この組織文化を変えざるをえない。同質性の高い集団のなかで、できるだけがんばって女性の離職率を下げるよりも、転退職や中途採用が不利にならないしくみをつくればよい。そのためには、査定評価を勤続年数ではなく個人ベースで行わなければならない。日本の企業がもっとも苦手なのが、これであろう。
あるルールが性差別的かどうかは、そのルールのもとで男性もしくは女性が集団的構造的に有利もしくは不利になるか否かで判定される。年功制は男性にあきらかに有利に働いている。なぜなら長期に勤続するほど、女性がそこから排除される傾向があるからである。新卒一括採用と年功制とは連動している。だから新卒一括採用をやめない企業は、「女性活用」に本気ではないと判定せざるをえない。
⑶同一労働同一賃金の確立
9時から5時までのフルタイム労働は、育児と両立しない。だから時短やフレックスタイムを求める労働者がいてもふしぎではない。労働時間の柔軟化は世界の流れであり、これらの短時間労働者をすべて正社員にせよという要求は非現実的であろう。だが日本の短時間労働者が世界の流れといちじるしく異なるのは、いったん非正規労働者となったとたんに、身分差別といってよいくらいの賃金格差を経験することである。日本ではこの格差が倍近くと極端に大きい。非正規労働が低賃金労働の別名として、使用者側に利用されてきたからである。
同一労働(もしくは同一価値労働)であれば、労働時間にかかわらず単位あたりの賃金を同一にすること。たとえば1日5時間労働なら、正規労働者の8分の5の賃金を支払うこと。週に3日の労働なら、5分の3の賃金を支払うこと。そしてワーク・ライフ・バランスが子育て中心から仕事中心へとシフトしたら、そのバランスの変化をただちに反映できるような労働の柔軟性があればよい。
育児も介護も期間限定。永遠に続くわけではない。それにこれからは男性の介護離職も増えていくだろう。新卒一括採用で横並びの組織文化をつくってきているから、いったんこのレースから脱落したひとたちの再参入障壁がいちじるしく高くなる。離職防止より転退職の自由があり、フレックスタイムで働き方が選べてそれが不利にならないしくみ。それがあればよいのだ。
以上に述べてきた3点セットに、「ジェンダー」の文字も「男女」の区別もない。職場のルールが変更されれば、結果として女性が増えるようになるだろうことが、容易に予想できる。
現行のルールのもとへ無理な女性の参入を促すより、働き方のルールの変更を。女性にとって働きやすいルールは、男女を問わず誰にとっても働きやすいユニバーサル・ルールのはずだ。処方箋は出ている。あとは採用するか否か、だ。そしてそれを採用する気がないとしたら…政権の「女性活躍」政策は、本気ではない、と判断せざるをえない。
メディアが果たすべき役割とは何か
最後にメディアの役割について、触れておこう。
今年になってわたしは初めて新聞社政治部の取材を受けた。学芸部や文化部、生活情報部などの取材を受けたことはあるが、政治部は初めて。というのも安倍政権が女性政策を積極的に打ち出したことで、上野が取材対象になったというわけだ。
安倍政権の「女性活躍」社会の標語のもとで、メディアのコメントに登場するのはサクセス組の女性ばかり。現実には彼女たちはひとにぎりにすぎない。その影にいまや10人のうち6人を占める非正規雇用の女性たちがいる。彼女たちを支援する女性ユニオンや非正規労組もあるのだから、登場するコメンテーターに人材がいないわけではない、たんに無知なのか、視野に入っていないのだろう。安倍「女性活躍」政策の功罪は、多様な立場の視点からアプローチすべきだろう。
どんな政策も男女を含めた社会の構成員に異なる影響を与える。ある政策や制度が異なるジェンダー集団に有利もしくは不利に働くかどうかを検証するジェンダー政策インパクト評価という指標がある。それから見れば、金融政策や公共事業は、ジェンダーが特定しなくとも、「男性優遇政策」と呼んでもよい。貨幣も資源も男性に偏って配分されているからだ。
政権が女性政策をとりあげたからと言ってはじめて政治部記者が女性問題に関心を持つようでは困る。そもそも男女ともに主権者なのだし、女性有権者は男性有権者より数が多いくらいだ。
大企業正社員の関心に偏る女性記者たち
このところ女性記者も増えてきたが、彼女たちの関心を見ていると、大企業正社員の関心に偏っていると思うことがままある。どんな記者も自分の身のまわりから発想するほかないが、大卒・大企業勤務・正社員の立場をなかなか超えられないように思える。同じ社内に非正規雇用の女子社員がいるからこそ、記者職の女性たちはお茶くみもコピー取りもしなくてよくなったのだが、その非正規の女性たちの働きが視界から消えていてもらっては困る。ワーク・ライフ・バランスも育休制度も、非正規の女性にとっては関係ない。自分の置かれた状況が全体のなかでは少数者であることを、つねに自覚していてほしい。
わたしが思い出すのは雇用機会均等法成立時の新聞報道である。均等法は一部の女性労働者に歓迎され、大多数の女性労働者からは警戒された。マスコミ労働者は前者に当たる。あの当時、ほんの少数にすぎない女性総合職を、ふつりあいな大きさでとりあげて記事に仕立てたのは誰だったか。女性記者にとっては、他人事ではなかったのだろう。当時、多くの女性団体は、均等法反対に回ったが、それも報道されなかった。そして均等法は、女性官僚のサクセス物語に仕立て上げられた。その背後で、均等法と同じ年に労働者派遣事業法が成立し、それから「雇用のビッグバン」がなだれをうって起きたことを、マスコミはきちんとフォローしなかった。
NHKが「国営放送」と化したと言われるように、メディアが権力の広報機関になってはいないだろうか。安倍首相の追っかけと発言をフォローして政局を報道するばかりが、メディアの役割ではないだろう。
昨今の安倍「女性活躍」発言を真に受けたある若い女性がこんなことを言った。
「安倍さんは女性のことを思ってくれているようだけど、今の政権がなくなったら、また自民党は元にもどるんじゃないかしら」
まるで安倍政権の長期化をのぞむかのような発言である。
メディア(とりわけ印刷メディア)がやるべきは、もはや事件報道や時局報道ではなく(速報性では新聞はTVやネットに負ける)、データとエヴィデンスにもとづく調査報道だろう。
安倍政権の女性政策が、どれほどの予算の裏付けや実効性をともなっているのか、発言と政策とが言行一致しているのか、さらに政策の効果がどのように予測され評価されるのか…それらはデータにもとづく深い分析なしにはできない。メディアの“習性”が変更を求められているのだと思う。
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