2015.07.01 Wed
アラフォーのバツイチ・シングル女性からインタビュー取材を受けました。ある編集・ライター講座の受講生で、卒業制作にだれかを選んでインタビューするという課題をまとめたものです。「おひとりさまの老後の不安を解消するには?」というテーマだったのに、インタビューしているうちに、問題は「老後」にではなく「現在」にあることを発見していく対話のプロセスがおもしろく。プロにはない新鮮なアプローチで、わたしにとっても発見がありました。ご本人の許可を得て、ブログに掲載させていただきました。
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結婚する/しない どれが私の生きる 道?
著者:阿佐谷しのぶ(38)独身、都内で一人暮らし。一年半ほど前までは既婚、都内で二人暮らしー婚姻関係の解消、つまりは離婚している。現在は離婚と同時になった転職を経て、新しい職場で仕事も充実し、趣味も楽しみ友人にも恵まれ、八年ぶりの一人暮らしを満喫している。
第一章 シングル・アゲイン
―アラフォー離婚 私の場合
□結婚してもひとり
結婚すると付き合いを減らしたり、出かける際にも許可制をとったりと制約が出てくるのが世の常であるのに、私の場合一人暮らしが長く(16歳から)、完全に一人のペースができていたこともあり、そのスタイルは変わらなかった。元夫と結婚を決めたのも、それでもいいと認められていると感じたから。好きなだけ働き、好きなだけ遊び、時々妻。帰る場所は同じという港のような存在が私にとっての家庭だった。だが、元夫にとってそれは家庭とは思えなかったのかもしれない。
結婚8年目で「今までのようにお互い好きなことをして帰る家は同じ、というだけの暮らしを続けて老後も一緒に楽しく助け合って過ごすというイメージがわかない」と思い詰めた様子の元夫に言われ、自分の勘違いに気付くも後の祭り。関係を改善する方法を考えてもみたが、問題の根が深すぎて断念。結婚当初から疑問を持っていた元夫には鬱積したものがあったようで、取り返しがつかなかった。その時々話し合っていたら違っていたのかもしれないが…そして、それに8年間気づかないようでは今後も続かないと判断。「マンションが売れたら離婚しよう」と私から提案したところあっさり売れてしまい、あれよあれよで引越しし、一人暮らしに逆戻り。同時に転職も決めていたので盆と正月がいっぺんに来るように(めでたいことではないが)、退職、転職、マンション売却、住居探し、転居と大わらわとなった。子供がいなかったからこんなに簡単だったのかもしれない。よく言われる「結婚の何十倍」も必要だといわれるエネルギーを使うこともなく、あっさり独身に戻った。名義変更と手続きの時に苗字が変わると伝えると「ご結婚ですか、おめでとうございます」と言われるのがやや苦痛だったぐらい。虫の居所が悪いときはわざわざ「いえ、その逆です」と神妙な顔をしてみたりした。
第二章 既婚と独身
ー私の周りの女性たち
そもそも結婚とはいいものなのか。自分が結婚していたくせによくわからなくなった私は、周囲の女性たちにそれぞれのいいところ悪いところを聞いて回ることにした。何をいまさらという顔をされたが、こちらは真剣である。何が良くて何が悪いのか、結婚は得なのか損なのか。損得で考える時点で結婚に向いていないような気もするが…。
□結婚してよかった
既婚者は皆「色々あるけれど総じていうと結婚してよかった」と答える。
Kさんは結婚して9年になる専業主婦。きっかけは「なんとなく」だったものの、二人の子供にも恵まれ夫の両親の敷地内で二世帯住宅に暮らしている。「結婚していると誰とも話さないで一日が終わるということもなく、孤独は感じないですむ」独身者に結婚を勧めるか聞いたところ「自分自身は結婚してよかったと思うけれど、他人に勧めるほど絶対的に素晴らしいことだとは思わないので勧めない」と話した。ほかの既婚者に聞いても同様の答えだった。「私はよかったと思うけれど、それが他人にもよいかはわからない」というのが率直な実感のようだ。
よかったと思うのは「絶対的な味方(夫)ができる」「日常の出来事を共有できる相手がいる」そんな安心感。片や不便と感じるのは「好きな時にぷらっと出かけられない」「好きな海外旅行ができなくなった」子供がいる場合、「キャリアを手放した」という回答もあった。結婚とは安心と引き換えに制約も伴うものであるらしい。ただ、それを差し引いてもよいものだと考えている人がほとんどだった。
「絶対的な味方」もいつまでもそういてくれるかはわからないにしても、安定した関係は心にゆとりを生み出すようだ。
□離婚してよかった
アラフォーのSさんは18歳で結婚し、19歳で子供を産んだ。所謂デキ婚だ。5年の結婚生活の末、夫の浮気が原因で離婚している。離婚から20年近く経った今も、「離婚してよかった。」と語っている。Sさんは離婚後実家に戻り、自分の両親に協力してもらいながら子供を育てた。若かったのですぐに仕事も見つかり、生活上困ることはなかったという。現在恋人はいるが、「ものすごくメリットがない限り、また結婚したいとは思わない。必要性を感じない」のだそうだ。Sさんだけは「結婚してよかった」とは言わなかった。それでも独身者には「一度はしてみるのもいいかもしれない」と消極的に結婚を勧めた。彼女にとって結婚は通過点でしかなかったようだ。
□独身でよかった
現在独身のアラフォー、アラフィフにも話を聞いてみた。彼女たちは特に独身主義というわけではなく、30歳前後で結婚を考える相手もいたが結局結婚せず、そのままというパターンである。Wさんは現在都内に一人暮らし。独身で不便だと思うのは「不在時の荷物の受け取りと病気になった時」ぐらいで日常的には不自由を感じない。むしろ「結婚していたら今のように自由に時間もお金も使えないし、親戚付き合いも倍になって面倒」と話す。
Mさんは実家暮らし。「子供を持てたら持ちたかったけれど、後悔はそれぐらいで結婚自体はどちらでもよかった」「一人暮らしではないので孤独も感じないし、仕事も収入も十分あるので今の生活を変えるつもりはない」のだそうだ。共通していえるのは「恋人はいていいけれど、今更契約(結婚)を結ぶ必要はない」生活スタイルができていて、自由になるお金も時間もある。それを乱されるのは嫌なのだ。
□結婚する/しない
結婚がいいものかどうか、それは人によるということがわかってきた。結婚するかしないかは幸福度には何ら関係がないようだ。
一人だけ、Cさんには「結婚してよかったか今でも迷う時があるので参考になる話ができない」と話を聞くこと自体を断られた。バリバリの営業職だったキャリアを捨て家庭に入り、しばらく専業主婦だったCさんには得たものと失ったもの、どちらがよかったか道半ばでは判断がつかないのかもしれない。
結局、結婚は一つの道でしかなく、人生を大きく左右することでもないようだ。結婚をしなければ違った人生はあったかもしれないが、だからといって自分は自分。軸があれば揺らがないものだ。
第三章 一人で生きていくということ
―ぼんやりとした不安
一人暮らしでのびのびしている、と子持ちの友人たちに今は羨ましがられるが、一方で一生一人でやっていくのか優しく心配もされる。確かに。妻としての立場がなくなってから、一人で生きていくことが現実味を帯びてきた。子育てに追われ疲労困憊で外出するにも家族との時間調整が大変な既婚友人を眺めながら、ああいう苦労をしないでいつまでもキリギリスのように過ごしていたら、一人の淋しい老後がやってくるのでは…いつか罰が当たるのでは…と感じるぼんやりとした不安。
□ぼんやりとした不安
「ぼんやりとした不安」とは太宰治が遺書に残した言葉であるが、私も今同様の心境にある。結婚していた時は、①個人としての自分②会社員としての自分③妻としての自分④嫁としての自分、といくつかの役割があった。現在は①個人としての自分②会社員としての自分のみ。会社員というのも以前は正社員であったが、今度は「やりたいこと」を優先したためまずは契約社員からのスタート。身分も不安定である。
離婚後ロクな出会いがなく既婚者にしか誘われないため、③④に代わって登場するはずの⑤女としての自分の役割も追加されず、友人には恵まれているものの、人に必要とされている実感がない。雇用も不安定で私生活も③④⑤がないため、自分の足場を作れていないのがもしかしてぼんやりとした不安を生んでいるのではないか。
前述の「離婚してよかった」「独身でよかった」と語っている「おひとりさま」の特徴は、いずれも正社員で安定した収入とそれなりの地位が確立されている点である。ここが確立されないと③④⑤を求めてしまうのか。
公私ともに不安定なまま、「おひとりさま」で老後を迎えて生きていけるのか。それが、ぼんやりとした不安の正体だと気付いた。
第四章「おひとりさまの老後」
―上野千鶴子さんに聞く
前章のような「ぼんやりとした不安」の正体に気付き、指南書を探し始めたところドンピシャの「おひとりさまの老後」に出会った。
「おひとりさまの老後」は、「結婚していてもしていなくても、長生きすれば最後はみんなひとり」という、人が見過ごしがちな事実をとらえ、社会学者で自らもおひとりさまの上野さんが、ひとりで安心して老い、心おきなく死ぬためのノウハウを、住まいやお金などの現実的な問題から心構えや覚悟にいたるまでを考察したベストセラーである。
上野千鶴子さんは現在東京大学名誉教授、立命館大学特別招聘教授、認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク理事長を務める、女性学、ジェンダー研究、介護研究のパイオニアである。「家父長制と資本制」(岩波書店)「近代家族の成立と終焉」(同)など著書多数。一方朝日新聞の「悩みのるつぼ」のコーナーでは読者の悩みにユーモアを交えつつズバッと解決を導いておられる。
自宅兼事務所に伺うと、小柄で柔らかな印象の女性が現れた。大柄な強い方(失礼)と想像していたので、上野千鶴子さんご本人が現れても声をかけられるまで気づかないという始末であった。
□人のお役に立つことで収入は得られ
る
―おひとりさまの老後に感銘を受けてまいりました。
「あなたに老後はまだ早いのでは…」
―先生は30歳ぐらいまで色々な仕事をされていましたが、不安はありませんでしたか
「不安も何も生活するのに精一杯で先のことなんて考えていなかった。(あなたのように)老後を考えるというのは余裕のある証拠では」
上野さんにお会いするまで私の「ぼんやりとした不安」の正体は老後にあると考えていたが、お話するうちに公私ともに不安定な「現在」に不安のタネがあることに気付く。そこで老後よりも前に仕事についての考えを伺うことにした。
―一人ダイバーシティー(収入源を一つに限らず、多様に持つ働き方。いくつものクライアントからの収入源を確保するフリーランス、古くは百姓の働き方も含まれる。一つの組織に属さないのも特徴)を勧めてらっしゃいますが、それにはどんな力が必要でしょうか。
「正社員にならない/なれない人のための、サバイバルの方法の一つとして勧めています。それには売れる能力が必要。セルフエンプロイド、自営業主ね。一つの仕事だけで十分でない場合小銭をかき集めてって方法。一つの収入源で生計を立てられない人の窮余の策なんだけれども、その代わりどんな職場にも上司にも縛られないですみますよね」
―結婚と比較して職業を例えられていましたが…結婚は一つだけの関係で成り立っている、他にはない状態。職業が一つといううのはそういうこと?
「熊谷晋一郎くんという車椅子の小児科医がいて、面白いことを言っている。『自立とは依存先の分散である』誰か一人にとりわけ深い依存をしていると思わずにすむ状態。あれがなければこれがあるさ、これがなければあれがあるさと思える状態。依存していない状況が自立ではない。うまいこというでしょう。」
「仕事って人の役に立ってなんぼっていうのがある。やりたいことが見つかったとして、それに人がお金を出してくれるとは限らない。自分でやりたいことは持ち出しでもやること。人の役に立つから人がお金を出してくれるわけでしょう。それならば人のお役に立つスキルってあるかなって考えるのがいいんでは。中国語を教えられるとか、マッサージが得意とか。」
「私は給料取り(大学の教員、教授のこと)をやってきた。教育サービスに対して学生がお金をくれていた。自分の研究に対して学生がお金をくれているわけではないから、教師としてのお勤めはおまんまのためにちゃんとやらねばならん。好きでなった仕事ではなかったけれど、そこは自分の肝に銘じてきた。」
―著作がたくさんあるので、研究者として収入を得られているのかと
「本で生活なんてできません。村上春樹ぐらいじゃないかしら(笑)。本がコンスタントに売れるわけではないし、印税収入で食える人なんてほとんどいないでしょう。」
□男はいてもよし、いなくてもよし
―早いうちから「おひとりさま」を達観してらしたのですか
「子供を産まない人生というのを早めに決めていたので、男出入りはいくらあってもねえ。」
―著作の中で「男はいてもよし、いなくてもよし」と書かれています
「あなたも男がいるかいないかで今更人生が変わらないでしょう?男は人生のパーツ。」
―結婚しようと考えたことはありますか
「男とは何度か暮らしましたけれども。24時間一緒にいなくてもいいかなって感じかしら。面倒くさい。」
「男性で生活を変えようということはなかったですね。」
そもそも結婚する/しないで考え込むということ自体がナンセンスということなのでは…私は上野氏を前に恥ずかくなってきた。
□おひとりさまを支えるもの
―住宅を持つということは大切ですか
「首都圏は住宅コストがかかるし、生活資金を圧迫するから。地方に行けば住宅コストは安くなるけれど、仕事はないわよね。」
―何度か買い替えをされているようですが、その時の決め手というのはなんですか
「仕事中心。仕事のあるところに引っ越している。仕事がなかったら東京なんかに住む理由がないもの。」
やはり仕事=収入源があってこその生活基盤ということに変わりはないようだ。
―先生は強い女性という印象がありますが、淋しいと言える相手がいることが大切と著作の中でおっしゃっています。そういう方がたくさんいるのですか
「用途別にね。非常に親しい友人は私が優柔不断で愚痴っぽいことをよく知っている。」
―そういう場があるから普段は強い?
「普段って仕事の時ってことでしょう。そういう時に弱みを出す必要もないと思うし。友人は私のことを気が弱いとかお人よしとか言います。だからあなたの依頼も断れずに引き受けてしまったし(笑)」
―先生はいつも人生を楽しんでおられる感じがします。その源はどこにありますか
「楽しそうって言っていただいてうれしいけれども、それって努力して獲得してきているから。自分の半径5m以内の人間関係はそれなりに気持ちのいい人で固めるぐらいのことはやってきた。」
□老後のこと
―最期はこちら(自宅)でとお考えですか
「ここで、と考えています。地域に訪問介護、訪問看護、在宅医療の事業所がそろっています。手を尽くしてネットワークを作り、みなさんとお友だちになりましたし、出ていく理由がない。」
―遺言は今も書かれていますか
「これまでは手書きで書いていましたが、最近、弁護士さんに頼んで公正証書を作ることにしました。友人が最近亡くなり、その忘れ形見が会いに来てね。友人が若い頃連れ歩いていた時は赤ん坊だったのに、フェミニストの母の思いを受け継ぎたいと脱サラして弁護士になったと報告しに来た。息子がいたら彼の年齢。で、彼の初めての仕事にしてあげたいと思って。」
忘れ形見とは行きつけの居酒屋で盃を酌み交わしたそうである。ちなみに遺言は人間関係や資産状況が変わった時々に書き換えをしているそうだ。
「おひとりさまの老後」を読んで上野千鶴子さんにお会いしたいと伺ったが、話の内容は老後以前になってしまった。恐縮する私に上野さんは「まだ老後までいかない、そういうことが発見できてよかったじゃない。」と声をかけてくださったばかりか、ライター見習いの身を案じ、その後の本職のライターからの取材に同席までさせてくださった。インタビューも、それ以後も得難い経験となり、興奮して自宅兼事務所を後にしたのであった。
第五章 どれが私の生きる道?
結婚する/しないという起点で考え始めたが、結局争点はそこではなかった。
どんな立場でもどこにいても自分は自分。足場作りをしっかりすれば③妻としての自分④嫁としての自分⑤女としての自分(まあ⑤ぐらいはあってもいいが)がなくても、収入と住まいと支えになる友人がいれば揺るがない。ぼんやりとした不安を払拭すべく、足場固めに努めよう。
男はいてもよし、いなくてもよし、なのである。
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