〈北京会議から20年 私たちの到達点と課題〉の連続学習会の第2回は、「労働法制の規制緩和とディーセント・ワーク」と題して、講師に幸長裕美弁護士(大阪弁護士会/大阪労働者弁護団)をお迎えし開催しました。

 「ディーセント・ワーク Decent Work」=”働きがいのある人間らしい仕事”は、1996年にILOの活動目標として登場し、2008年のILO総会で宣言として採択されました。日本においては西谷敏さん(大阪市立大学名誉教授)が『人権としてのディーセント・ワーク』(2011年,旬報社)で、「人間に値する生活を可能とする収入が得られ、そこにおいて各種の人権が適切に保障されるような仕事のこと」と書かれています。

 安倍政権下の労働分野における規制緩和はどうなっているのでしょう。
その手法は従来のものと違いスピードも早くなっているのが特徴です。これまでは公・労・使の三者構成の労政審(労働政策審議会)で審議されていたのですが、審議される前に、政府の政策方針として「規制改革実施計画」「日本再興戦略」で閣議決定されてしまいます。労働者の代弁者は不在のままの決定です。これはILO144号条約における政府・労働者・使用者の三者構成による効果的協議にかなっていません。
 また、安倍政権の労働規制緩和策の幹は、「世界一企業が活躍できる国」をめざし、労使に対して「多様な働き方」との看板を作って、労働者の流動化を図るものになっています。
「多様な働き方」の名の下での労働法制の改変内容がどのようになっているか。幸長さんは次の6点を挙げられました。
 1 多様な正社員(=「正社員」の解体)
 2 有期労働者の無期転換特例法(=非正規労働者の正規化政策の引き戻し)
 3 労働者派遣法(=間接雇用の促進)
 4 労働時間法制の改変(=労働時間管理の免除・「定額働かせホーダイ」)
 5 解雇紛争解決システム作り(=労働契約の当事者から労働者を転落させる装置)
 6 国家戦略特別区域(特区)における「雇用指針」
 この6点はどれも重大な事案ですが、私は、労働者派遣法と労働時間法制の改変が特に気になりました。「改正」労働者派遣法は、この学習会時には参議院での審理中だったのですが、9月11日可決成立し9月30日施行となってしまいました。派遣法の改変は、派遣可能期間制限を抜本的に変更するものです。これまでは、専門28業務以外は、最長3年以上派遣労働を受け入れることができませんでした。それが、派遣法の改変では、どんな仕事も3年ごとに人を入れ替えれば、無制限に派遣労働を受け入れることができます。これによって派遣労働者の増大、労働条件の低下を招きます。なかでも28業種従事の派遣労働者数は約49万人ですが、3年以内に大量の失業者が出るのではと心配されています。失業の対象となるのは特に長年、事務の仕事をしてきた女性労働者だと言われています。
 また、労働時間法制の改変ですが、法案には「高度プロフェッショナル労働制」と書いてありますが、実態は「定額働かせ放題制」です。職務が明確で給与額が一定以上の労働者は、労基法の労働時間、休憩、休日・深夜の割増し賃金規定の適用がないのです。それがもたらすものは、労働時間の長時間化であり、本質は使用者の労働時間管理義務・責任外しです。一部の高収入・専門的知識的労働者の問題ではとどまらないことは使用者側の狙いを見れば明らかです。これが成立すれば、我々が160年前に獲得し受け継がれ、いまや世界標準である「8時間労働制」を捨てることになります。


 それでは、ディーセント・ワークの考え方から安倍政権下における労働分野の規制緩和政策を見ればどうなるのでしょうか。ディーセント・ワークは安定的雇用が必須ですが、政策はその真逆であり、雇用の流動化がすすみます。また、賃金についても、既に深刻なワーキングプア問題があるのに、非正規雇用を促進し、よりワーキングプアが増えてしまいます。
セーフティーネットも十分とはいえません。さらに「多様な働き方」は労働者をばらばらにするので、労使が対等で労働者の参加で決定しないといけない「公正な賃金額の決定」を構造的に確保することがむずかしいです。
 安倍政権下における労働規制緩和は、社会における労働者の生活についての根本的な考え方を揺さぶっています。労働者は、労働時間から、休息時間とその他の生活時間を切り離して確保される存在であるということが否定されてしまいます。社会に参加する時間もありません。欧州に比べ日本では8時間労働制を進展させることができませんでした。労働者側は、時短より賃上げや残業代を求める方向になってしまいました。長時間労働になっても収入を重視し、それを支えるため、夫が家族を養い妻はパート等補助的就労という役割分担をつくってきたのです。
 幸長さんは最後に、ディーセント・ワークはどんな社会をつくるのかという問題であり、我々自身がどういう生き方を求めるのかという議論がまだできていないのではないか、160年前の工場法の時代から止まっているのではないか、後の世界から見ると今が分岐点かもしれないと述べられました。

   安倍政権がすすめる労働法制の規制緩和のひとつひとつが、私たちがかちとってきたものを奪い、人間らしい労働と生活からほど遠いということが、幸長さんのお話をきいて、とてもよくわかりました。長時間働いても生活できないのはおかしい。幸長さんが言われていたように、どのような働き方がいいのか、どんな社会保障制度を望むのかを考え、言葉だけではなくディーセント・ワークが実現する社会をつくっていく努力を続けていきたいです。(M・E)