〇ミニコミ絶滅への危惧
 WANを設立したときから、ずうーっとミニコミ電子図書館をつくりたい、と思いつづけてきました。女たちはガリ版やコピーなどのミニコミでお互いにつながってきたのに、いつのまにかそこここに「休刊」や「終刊」の声を聞くようになりました。フェミの女たちは高齢化しつつある。毎月毎月ミニコミを出し続けるだけでも持ち重りがするのに、毎回の郵送料だって負担になってきたのでしょう。紙に印刷したミニコミは、電子メイルやブログにとってかわられようとしていました。
 もしミニコミの女たちがそのうち亡くなったりしたら……遺族にとってはあとに残されたミニコミの山はただのゴミ。かんたんに処分されてしまうことでしょう。処分される前に、散逸するその前に、消えゆこうとするミニコミを集めなければ……と思ったのがきっかけでした。
 退職した東大の上野研究室には、会費を払って購読を続けてきた30年分くらいのミニコミがファイルして天井までの本棚1本分くらい、ありました。退職と共に研究室を引き払わなければならなくなり、ためこんだミニコミを全部処分してしまったのが今さらのように惜しくてなりません。悔やんでも、後の祭りでした。
 各地の女性センターや国立女性教育会館にミニコミの収蔵があることを知っていましたが、調べてみると全国区の大きな女性団体はあるものの、あとは主として公的な機関のニュースレターが中心のコレクションで、地方にある草の根の女性団体のミニコミが少ないことに気づきました。わたしは長いあいだ関西にいましたから、リブやフェミニズムが東京中心の活動だったとは思っていません。日本には各地に根を下ろした女たちのつながりがあることを知っていました。そのうえ、わずかなミニコミの収蔵さえ、行革の嵐のもとで図書費の予算削減のせいで、収蔵を中止したり果ては処分の対象になったりしていました。

〇WANに電子図書館をつくる!
 民間の女がつくりあげてきた歴史……放っておけば無くなる。資料がなければ無いことになってしまう。予算も人手も(ついでにやる気も)ない公的機関にまかせておくわけにいかない、これをやるとしたらいったい誰だろう、WANしかない、と思い詰めました。WANの創設者のひとり、中西豊子さんは苦労して『資料日本ウーマンリブ史』全三巻を、松香堂ウィメンズブックストアから刊行したひと。ちらしからミニコミまでを集めたこの『資料集』のありがたさは身に沁みていましたから、ミニコミ図書館をつくろう、というアイディアは決して突飛なものではありませんでした。何のもうけにもならない、カネになる可能性はない、でも誰かがやらなくちゃ、持ち出しでもやろう……と思ったのでした。
 同じ頃、市民アーカイブをつくろうという呼びかけがありましたが、それはまず土地・建物を確保して、そこに市民運動の資料を集めようというもの。貴重なアイディアですが、すでにウェブ事業を始めていたわたしたちは、ネットの公共性と伝達力の大きさに目覚めていました。ミニコミ図書館をつくってもそれを読みたいひとはその場へ足を運ばなければなりません。紙媒体は時間とともに劣化しますし、保存もなみたいていのことではありません。オリジナルの価値は大きいけれど、ここはむしろ、誰でもどこからでも自由にアクセスできる新しい電子メディアにかけよう、そして電子媒体として半永久的にストックしよう、と考えました。
 わたしの最大の貢献は、このプロジェクトに満田康子さんという退職した元編集者を巻き込んだこと。満田さんはご自身がミニコミの恩恵を受けてこれまでの人生を送ってきたと感慨を持っておられました。そして使命感を以てこのプロジェクトに取り組んでくださいました。元編集者の力量の大きさと言ったら! ミニコミ発行者との交渉からミーティングの仕切り、スケジュール管理まで、てきぱきとこなしてくださいます。そこに加わったのがネットに強い若い世代。鬼に金棒です。
 さらに「歩く女性史」と言ってよいふたりの強力なリソースパーソン、井上輝子さんと加納実紀代さんが加わってくださいました。毎回のミーティングは、「あのひと今頃どうしてるのかしらねえ」「あの頃はこんなことがあって……」と生きた女性史・女性学の証言を目の当たりにするようです。それに手作りや持ち込みのおいしいお料理が加わって、毎回がたのしくおいしい宴会つづき。WAN女子会って楽しい!
 ミニコミ電子図書館の収蔵方針は、1970年のウーマンリブ以降の民間のミニコミ。できるだけ地方の、公共図書館が収蔵していない/しそうもないものを集めました。スタートにあたって、中西さんと3人の編者から『資料日本ウーマンリブ史』の全データを無償で提供していただきました。全巻そろえれば3万8000円以上、世界中の図書館に散らばった刷り部数わずか各巻1000部のこの書物を、読者が直接目にするのは容易なことではありません。それが全世界どこからでも、無償でアクセスできるようになりました。

〇志は志をよんで
 さらにうれしいことがありました。
 70年代以降のミニコミには前史があります。ガリ版で刷られたせいぜい50部からマックス300部までの地方のミニコミ、それも女の声の古典中の古典ともいうべきものがあります。その3点、森崎和江さんの『無名通信』、山崎朋子さんの『アジア女性交流史研究』、石牟礼道子さんが関係した『高群逸枝雑誌』を、すべてWANミニコミ図書館のために無償で提供していただけたのです!山崎さんの『アジア女性交流史研究』はすでに合本が商業出版社から販売されていたのに、版元の同意を得て提供していただきました。『高群逸枝雑誌』は女性史家、高群逸枝の死後、夫の橋本憲三が主宰して出し続けたものですが、版権をお持ちの橋本さんのご遺族に石牟礼さんがわたりをつけてくださいました。石牟礼さんはこの『雑誌』に高群論「最後の人」を連載していました。交渉に当たったのはわたしですが、この3人の大先輩からいずれも快諾をいただいたときの喜びは忘れられません。
 日本にまだリブがなかった頃。どんな男のことばにも頼りたくない、と暗中模索で「女のことば」を紡いできた森崎さんは、フェミニズムの大先輩ともいうべきひとです。森崎さんが『無名通信』というミニコミを発刊したのが1959年。なぜ「無名」かといえば、「妻・母・主婦」という女に割り当てられた指定席をすべて返上したい、という思いがこめられていたからです。創刊の辞から引用しましょう。
「わたしたちは女にかぶされている呼び名を返上します。無名にかえりたいのです。なぜならわたしたちはさまざまな名で呼ばれています。母・妻・主婦・婦人・娘・処女……と」
 フェミニズムの原点ともいうべきマニフェストです。

〇消えてはならない、消してはならない女の歴史
 その後、ミニコミ電子図書館には、こちらからお願いしなくても収蔵してほしいというご依頼が来るようになりました。信用を獲得しつつあるのでしょう。ありがたいことです。
 2015年秋には3年に1度開かれる全国女性史交流の集いにWANとして参加し、ミニコミの大先輩たちと出会いました。日本のミニコミは地方女性史のサークルがパイオニアだからです。そのため収蔵の方針を70年以前にも拡大しなければならないという、うれしい悲鳴をあげています。
 WANミニコミ図書館の看板にはこう書いてあります。
「ミニコミ誌を電子データ化し、ウェブサイト上に半永久的に保存して、いつでもどこからでも一瞬でアクセスできる電子図書館です。1970年前後から、日本各地に生まれた草の根のミニコミ誌。小さな狼煙がやがて日本のフェミニズムの炎となりました。女であることの生きにくさの原因を探りどのようにそれを変えていったか、そして何がなお課題として残されているのか――行間に息づく思いをいまに伝え、火を燃やし続けていきたいと願います。」
「半永久的」っていつまで? そもそもWANはどれだけ続くの? 電子媒体だってこの先どうなるかわからない。保存したデータが一瞬のうちに消えてしまってひやひやしたこともある……お預かりした大切なデータを守ろうと、気をひきしめています。
 WANでなければ、わたしたちでなければ、できないことをしたい。その大切なひとつが、このミニコミ図書館です。消えてはならない女の歴史が、草の根の女の息吹が、ぎゅっと詰まっています。
 どうぞあなたも支えてくださいますように。
 そしてご活用くださいますように。