オバマ米大統領が3月21~22日、キューバを訪問するという。現職大統領として史上2回目、1928年、クーリッジ大統領以来、88年ぶりの訪問となる。昨年7月、米国はキューバと国交回復。54年にわたる渡航や貿易の規制を緩めた。訪問を前にキューバ政府は「米大統領訪問を歓迎するが、内政干渉はすべきではない」としている。

 1953年、カストロが主導した革命運動は59年1月、バチスタ政権を打倒し、革命政権を樹立。61年、米国は国交断絶を通告すると同時にソ連がキューバに接近。東西冷戦のさなか、1962年、米国がキューバに禁輸措置を実施。ソ連が配備したミサイルをめぐり、米国が海上封鎖。一触即発の核戦争の危機が迫る。フルシチョフ首相とケネディ大統領の裏面交渉により、同年10月27日、「キューバ危機」は回避される。『13日間 キューバ危機回顧録』でロバート・ケネディは「キューバ危機の究極的な教訓は我々自身が他国の靴を履いてみることだった」と記す。ジョン・F・ケネディは翌63年、弟ロバート・ケネディも68年、暗殺される。60年代の劇的な事件は学生だった私にも鮮やかに蘇るできごとだ。

 NHKスペシャル『新・映像の世紀』第5集「NOの嵐が吹き荒れる 若者たちの反乱」(2月21日放送)を見た。学生運動の若者たちが振る旗にはキューバ革命の英雄チェ・ゲバラの顔が翻っていた。あ、そうだ。確か本棚に『チェ・ゲバラ 情熱の人生』(スタジオ・ナダ刊 1998年)があったはず。誰かにもらったと思うけど、埃をかぶった分厚い写真集をとり出してみた。アルゼンチンのフェルナンド・ディエゴ・ガルシアとオスカー・ソラ編、レナード・ヘロルド訳。未発表写真もある400枚もの写真と文章がマッチして、いい読み物になっている。キューバの写真家コルダが撮ったゲバラの顔が表紙を飾る。

 1955年、ゲバラはカストロと出会い、キューバ遠征隊に参加。革命政権樹立後はアラブ連合、中近東諸国への旅。インドのネール、ユーゴのチトー、ソ連のフルシチョフと会談。チェコ、中国、北朝鮮へ訪問。日本の広島にも立ち寄る。ヨーロッパ、アフリカを遍歴した後、66年、ボリビア革命に参加。67年7月、アンデス山中でCIAに与するボリビア政府に殺害される。97年、遺骨が発掘されてキューバに戻る。ああ、情熱の人生、男のカリスマ物語だなと思う。



 本棚にもう一冊の写真集があった。『続 地球家族』(フェイス・ダルージオ+ピーター・メンツェル著 TOTO出版 1997年)。アルバニア、ブータン、ブラジル、中国、グアテマラ、ハイチ、マリなど世界の国の片隅で名もなく生きる女たち21人へのインタビュー。取材もカメラも編集も女性のみで仕上げる。ナオミ・ウルフは「地球はもっと女性的な世界であり、世界の半分がどんな姿をしているのか、その声がひとつになったらどんな大合唱になるのかを想像するのは難しい。けれどもこの本がひとつのヒントになってくれるかもしれない」「本書が私たちに見せようとするのは、今ある不公平な世界が公平な世界に変貌するとき、メディアや文化や良識がどういう存在に見えるかということだ。それはまだ誰も知らない」と、まえがきに書いている。ほんとに、そう。

 編者フェイス・ダルージオも「彼女たちは自由に正直にしゃべってくれる。その国独特のニュアンス、他の誰とも違うその人らしさを出してもらおうと言葉の壁と格闘するとき、女性の力がものをいう」と、その見事な取材力で彼女たちが「限られた選択肢」のなかで精一杯生きる姿を描き出す。グアテマラのルシア・シケイ・チョグアは「女は洗濯して、掃除して、トルティーヤを焼いて、子どもの体を洗って、そしてそのうえに機織りをやるんです。嫌というほど仕事がある。男はたった一つのことをするだけなのに、稼ぎは多いの」と語る。発刊から20年たち、時代の変化は彼女たちの「限られた選択肢」を少しでも広げたのだろうか?

続 地球家族―世界20か国の女性の暮らし

著者:フェイス ダルージオ

TOTO出版( 1997-12 )


 3月8日「国際女性デー」の前日、国連の女性差別撤廃委員会(CEDAW)は日本政府へ勧告を含む「最終見解」を公表した。報道では昨年12月、最高裁が「合憲」とした「夫婦同姓」は実際には「女性に夫の姓を強制している」と改正を求め、6カ月の「再婚禁止期間」も最高裁が「100日を超える部分」を違憲とした判断も「女性にだけ特定期間の再婚を禁じている」と改善を求めた。妊娠・出産にかかわるハラスメントを含む雇用差別ほか幾多の女性差別撤廃を求めている。さらに慰安婦問題も「被害者中心のアプローチが十分にとられていない」と表明。これが今、日本の女たちがおかれている実態だ。「保育園落ちた日本死ね!」のブログに始まる女たちの抗議行動は「女性活躍推進法」なんて名ばかりであることの証左でもある。

婦人民主クラブ70周年


 3月5日、「ふぇみん婦人民主クラブ創立70周年のつどい」が東京・四谷の主婦会館で開かれた。京都の支部員2名とともに参加。平均年齢70代(?)の女たち100人が集う、賑やかな会になった。1946年3月16日、加藤シズエ、羽仁節子、宮本百合子、佐多稲子、松岡洋子ら8人が呼びかけ人となり、戦後初の大衆的な女性団体「婦人民主クラブ」が発足。戦争に女たちも加担したという思いから女性自身が民主的な力をつけ、平和をつないでいく強い意思がこめられていた。同年8月22日、「婦人民主新聞」創刊。「女たちの手による女たちの新聞」は今年3月、3115号を重ねる。

 1989年10月、京都での中央委員会に佐多稲子さんがこられ、夜のお宿でお目にかかった。離婚したばかりで、ちょっとメソメソしていた私がポツリとそのことを言うと、佐多さんは「私も結婚に「失敗」した女なのよ」と慰めと励ましの言葉を返され、ホッとする思いをしたことがある。いつも惚れ惚れする着物の着こなしとキリッとした物言いと、あの時の佐多さんの笑顔は今も忘れない。

 70周年のお祝いの会はWAN理事長・上野千鶴子さんのお話に始まり、次々と続くスピーチにクラブの活動の輪の広がりを実感した。そのあと席を変えてコーヒーを飲みながら、90歳でますますお元気な元編集長・近藤悠子さんのお話を伺った。灰皿が飛ぶカンカンガクガクの編集会議。目指すは大新聞には載らない記事を女の目で取材、紙面にすること。66年、来日したボーボアールに特別インタビュー。「『自由な女』の条件は?」との問いに「働く女性」ときっぱり。その時の通訳は朝吹登水子さんだったことなど、懐かしいお話を、うれしく聞いた。

 女たちの営みは、途切れぬ糸のように。鮮やかな糸も見えない糸も、おかまいなく女たちは紡いでゆく。それが真の歴史というものだ。そういう女たちのなかに、私も、いたいなあと思う。