憲法記念日に憲法ネタを。
小林哲夫さんの『シニア左翼』(朝日新書、2016年)。ネーミングがうまい。
昨年夏の国会前。SEALDsの若者たちと、髪の毛が白いかないかのオジサマ、オバサマ方が集まった。両極がいて、真ん中の世代が抜けていたという実感を、この本はうまく説明してくれる。60年安保、70年安保の街頭行動の経験値のある世代が、うれしそうに国会前に再登場したのだ。わたしもそのひとり(笑)。
柄谷行人さんが、「デモで社会は変わるのか?」という問いに答えて、2011年に答えた「変わる、デモのできる社会に変わる」という予測は、みごとに当たった。デモを含む直接行動が日常風景になるような新しい政治文化が、日本社会に定着した。この前段階がなければ、「保育園落ちた日本死ね!!!」のブログに、「匿名ですから確認しようがありません」などと鈍感な反応を示した政治家たちに反発して、ただちに「保育園落ちたの私だ」とプラカードを掲げて国会前に集まった若いママたちの行動もなかっただろう。そう、わたしも言っていい、声を挙げていい、しかも権力者に直接向かって、っていう政治文化だ。そして直接行動がたしかに効果をもたらすことを、彼女たちは実感したはずだ。
このところ、わたしが「憲法」関連の講演で言うのは次のせりふ。
昨年夏、国会前に、瀬戸内寂聴さんが登場した。大江健三郎さんも登場した。瀬戸内さん、90代。大江さん、80代。この大先輩の方々に、わたしたちは次のせりふを言うことができない...「おニイさま方、おネエさま方、どうぞ安心して引退なさってください。あとは後輩のわたしたちがお引き受けしますから」って。反対にこう言わなければならないのだ、「おニイさま方、おネエさま方、ふがいない後輩で申し訳ない。どうぞ死ぬまでがんばってくださいね」と。次の世代にこんな世の中を手渡すわけにはいかんのだから。
その60年安保世代のオニイさまのひとりが、『9条改憲阻止の会10年の歩み2006-2016』の巻頭に愉快な詩を寄せている。あまりにおもしろいので、以下に一部引用して紹介したい。(全文をお読みになりたい方は原典に当たってください)

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新9条の詩  下山保作
60年安保の友がらよ
いよいよあの世が近づいた
仲間の数が減ってきた
閻魔がおいでと待っている

でもまだ未練が断ち切れない
この世でやり残したことがある
俺たちの敵だった 岸総理
その孫 安倍も許せない

(中略)

昨年夏 国会議事堂前
戦争法が通ったという
理不尽採決に抗議した
民主主義って何だ これだ

久しぶりの全学連
いや間違えたシールズだ
65年前の俺がいた
待ちに待った若者がいた

(中略)

俺は昨年喜寿になり
平均寿命まであと2年
くたびれた 息切れ 金が切れ
前立腺肥大で 脳縮み

でもあと2年はやるっきゃない
よたよた歩きでデモ集会
今年は参院選にむけ
9条改憲阻止に向け
(9条改憲阻止の会10年誌編集委員会『9条改憲阻止の会10年の歩み2006-2016』世界書院(情況ブックレット)、2016年:4頁)