4月14日21時26分、M6.5。震度7の地震発生。熊本市中央区に住む母(92歳)と叔母(88歳)に電話をするが、なかなかつながらない。夜遅く、ようやく無事を確認。激しい横揺れに避難グッズと靴を横に着衣のまま夜を明かしたという。続く4月16日、夜中1時25分、M7.3。震度7の本震。1300回を越す余震が今も続いている。

 明治10年の西南戦争の戦火が家から見えたという、100年を越す古い家。町家づくりの中庭をはさむ細長い家を、数年前、外壁補強していたせいか、2階の納戸の長持ちも箪笥3棹もびくともせず、台所の水屋の食器類も不思議に壊れなかった。仏壇の飾りものが落下した程度で奇跡的に助かり、ホッと一安心。

 ライフラインは電気が復旧したものの都市ガスは止まり、断水が続く。井戸水を使えるのはありがたい。向かいの全日空ホテルに電話すると、宿泊客もスタッフも近くの小学校に避難しているとか。「用事があればいつでもいってください」と。民生委員さんは「避難所は水が不足してトイレも不自由。避難所に行かれるのがいいのかどうかわかりません。私もちょくちょく伺ってみます」といってくださった。

 余震が止まない。新幹線も不通。揺れるたびに叔母は「空襲警報発令のごたる」と急いで身支度をする。母に「しんどくない?」と聞くと「どぎゃーん、なか。大丈夫たい」と泰然自若。少々、認知症があるとはいえ、こんなふうにありたいものだ。

 隣のお寺の母屋が崩れて立入禁止の赤い紙が貼ってある。本堂は大丈夫だが、ちょっと心配になり、比較的揺れの少ない北区に住む従姉妹に相談する。一人暮らしの従姉妹は「昼は勤めがあるけど、夜はいっしょにいる方が私も安心。おいで」といってくれた。プロパンガスでお風呂も入れるし、いつでも家に帰れるからと。迎えの車で途中、東区にある江津湖近くの母の家へ立ち寄ってもらう。築50年の家もガラス戸の建て付けが軋むくらいで何とか無事だった。近くの動物園や市民病院は一部損壊したらしい。水道の元栓と電気のブレーカーを落としてきてもらうように頼む。

 5月の連休明けまで好意に甘えてお世話になることにした。ようやく新幹線も開通。心臓ペースメーカーをつけた母も何とか動けるかなと、娘に迎えを頼み、しばらく京都に来てもらおうと思う。新幹線の座席はトイレ近く。熊本から京都まで新大阪乗り継ぎは移動がちょっと大変。岡山なら同じホームで乗り換えられる。母と叔母が滞在する部屋は用意してある。「帰りたくなったらいつでも送っていくからね」と説得する。

 阿蘇の付近や益城町は被害甚大だ。亡くなられた方々や避難されている人たちのことを思うと、身内の無事を喜ぶわけにはいかない。人知の及ばぬ自然の威力に、まだまだ予断は許されない。

 そしてもう一つの予期せぬできごと。地震の1週間前、警察から電話がかかってきた。男友だちがホームセンターで意識不明で倒れ、近くにいた店員さんが救急車を呼んでくれて、第二日赤に救急搬送されたという。ケータイも運転免許証も所持せず、身元不詳のまま、病院では「日赤太郎」と呼ばれていたらしい。警察がクレジットカードから住所を照合、アパートローラー作戦で巡回したデータから連絡先の私に行き着いたとのこと。緊急治療後、病院が満床のため九条病院へ搬送される。金沢にいる弟さんの電話を調べて連絡し、急ぎ、タクシーで病院へ走る。

 ICUに入ると、医者は守秘義務のためか、患者の家族にしか病状を話さない。いくら「友人です」といってもダメ。弟さんへの電話で容態を説明されるのを、ただ横で聞くばかり。2センチ大の脳内出血。大脳皮質近くの部位で手足のマヒはなく、手術は不要とのこと。痙攣や混濁も、ようやくおさまり、声をかけると応答があった。

 それから20日間、毎日、病院へ通う。洗濯物や必要な品を届け、日々、メールで弟さんに経過を報告する。CT撮影やカテーテルでの「脳血管造影」検査も済ませ、リハビリは運動機能より思考力訓練が主。お米をといだり、料理を一品つくったり。独り者の料理好き、調理は苦もなくできる。退院前、「国保限度額適用認定証」の申請に委任状を預かり区役所へいくなど何かと忙しい。

 ようやく落ち着き、雑談もできるようになる。「今度、映画「さざなみ」を見に行くつもりよ」とチケットを見せると、「おっ、シャーロット・ランプリングやないか。『愛の嵐』に出ていた、きれいな女優さんだ。ここの看護師さんに一人、似ている人がいるぞ」と相変わらず気楽なことをいう。そして無事退院。後日、お世話をかけたホームセンターと救急搬送された第二日赤へ、命をいただいたお礼に伺ったらしい。

 65歳。原因はもちろんお酒。料理をつくりつつチビリチビリ飲むのがいけないのだ。好きで好きでたまらぬお酒もしばらくは自重するという。はてさてどこまで守れるか、あとは自己管理あるのみ。

 予期せぬことは、ある日突然やってくる。自分の身は自ら守るしかない。だけど病も自然災害も意のままにならぬことだってある。そうなったら、あるがままに天に任せるしかないのかしらとも思う。

 5月5日、よく晴れたこどもの日。忙中閑あり。京都府立植物園に娘と孫と出かけて、ちょっとひと休み。新緑の季節。木々の緑と赤いバラとシャクヤクが、まぶしいほどに咲き乱れていた。