
参院選が終わった。『出エジプト記』ではないが、モーゼに率いられ、圧政の国・日本からエクソダス(大量国外脱出)をしたい気分だ。
一縷の望みもある。沖縄では自民党が衆参とも選挙区選出の議員がいなくなり、20年ぶりに「自民空白県」になった。沖縄県民の選択は見事だ。東北地区をはじめ各地で「反自民」の善戦もあった。だが、これから始まる改憲への布石、戦争への道へと進む危うさに暗澹たる思いがする。
どうして日本の政治意識は変わらないんだろう。戦後の保守政党とは一体、何だったんだろうと考えた。ふと思い出して『戦後史の正体 1945-2012』(孫崎亨著 創元社)を読んでみた。著者は先頃のドキュメンタリー映画「不思議のクニの憲法」にも登場している。旧満州・奉天省鞍山市生まれ。駐ウズベキスタン大使、国際情報局長、イラク戦争直前まで駐イラン大使を務めている。あら、北京生まれの私と同い年だわ。同じ中国大陸で生まれたんだ。
孫崎氏は、日本の戦後政治は「対米追随」と「自主」の2つの路線を揺れ動いてきたとする。「自主派」は重光葵、石橋湛山、芦田均、岸信介(意外にも、従属色の強い旧安保改定、米軍基地の治外法権を認めた行政協定の見直しも試みたとか)、鳩山一郎、佐藤栄作、田中角栄、福田赳夫、宮沢喜一、細川護煕、鳩山由紀夫。「対米追随型」は吉田茂、池田勇人、三木武夫、中曽根康弘、小泉純一郎。「一部抵抗派」は鈴木善幸、竹下登、橋本龍太郎。そして「自主」路線を選択した政治家や官僚はアメリカから排斥され、検察や報道、CIAの工作により短命政権となったという。
米国の対日政策はあくまで米国の利益のためにあり、日本の利益とは一致しない。また占領政策や冷戦によって方向転換する。プラザ合意やTPPなど経済政策も圧力をかけてくる。戦後史の裏面を見てきた外交官の分析は、知らなかった事実や意外な出来事の裏付けにも説得力がある。
1951年9月8日、サンフランシスコの華麗なオペラハウスに48カ国の代表が集まり、「サンフランシスコ講和条約」が結ばれる。同日、「旧安保条約」が米国側4人、日本側・吉田茂ただ1人によって調印された。しかもサンフランシスコ郊外にある米国陸軍第六軍基地の下士官クラブにおいて。そのもとに「基地の継続使用」「米軍関係者への治外法権」を認める「日米行政協定」を締結。米国の目的はあくまで「行政協定」締結にあり、そのための「講和条約」だったという。「行政協定」は「日米地位協定」と名を変え、今なお存続する。この二つの条約の生みの親が国務省政策顧問のジョン・フォスター・ダレス。彼は1950年代を通じて日本に対する最もタフな交渉相手だったという。
1947年~1960年まで続いた「二十の扉」というNHKラジオの人気クイズ番組があった。司会の藤倉修一のヒントにゲストが20の質問をして時事用語を当てる。ラジオの聴取者は事前に「影の声」で答えを知っている。小学生だった私もその番組をよく聴いていた。あるとき、「ダレス氏のカバン」という問題が出た。ダレスは知っていたけど、「どうしてダレス氏の後にカバンがつくの?」と母に聞いた。「ただ名前の後ろにカバンをつけただけよ」と。でもなんだか納得いかなかった。60年たった今、「もしかしたらあのカバンの中に密約文書が入っていたかも。だからわざわざ『ダレス氏のカバン』にしたんじゃないかしら?」と勘繰ってみるのは、ちょっとへんかなあ?
1955年12月、原子力基本法成立。56年1月、原子力委員会が設置され、「平和利用」の名のもと、原子力発電推進の流れが本格化する。この地震列島に54基も原発をつくるなんて大きな間違い。これも米国の対日本政策であり、推進したのは中曽根康弘と正力松太郎だった。
1960年6月15日、安保反対闘争のさなか、樺美智子さんが国会前で圧死。高校2年だった私も御堂筋デモの中でそのニュースを聴いた。あまりのデモの高まりに恐れをなしたのか、6月17日、極めて異例な七社共同宣言(産経、毎日、東京、読売、東京タイムズ、朝日、日本経済)が出される。「その理由のいかんを問わず、暴力を用いて事を運ばんとすることは、断じて許されるべきではない」との共同宣言を書いたのは朝日の論説主幹・笠信太郎だったという。その陰には財界の画策もあったらしい。そして6月19日、新安全保障条約は参議院の議決もないまま、自然成立。56年後の今も続く不平等条約だ。
その後、日本は米国に対して「外交追随」と「経済自主」路線をとり、高度経済成長を進めていく。日中国交回復を独断先行した田中角栄はロッキード事件で失脚。「普天間基地の県外、国外への移設」と「東アジア共同体」を提唱した鳩山由紀夫も首相の座を去る。その背後にどんな暗躍があったのか。いずれ歴史が語ってくれるだろう。
カナダのピアソン首相はアメリカの「北爆」批判演説をアメリカ国内で行い、当時のジョンソン大統領から激しい攻撃を受ける。だが、カナダの歴代首相は隣国アメリカの巨大な国力にも負けず、その後も「米国に対し、毅然とものをいう伝統」をもち続けた。2003年、カナダはイラク参戦を拒否。それを国民の7割が支持したという。「大国と対峙していくことは厳しい。しかし毅然としてそれに向き合い、乗り越えていくことに希望がある」と。日本の安倍首相には、とても望むべくもないが。
あきらめてはいけない。たたかいはこれからだ。まずは自民党憲法草案を許してはならない。とりわけ第13条「すべての国民は『個人として』尊重される」を『人として』に書き換えてはいけない。後段の「公共の福祉に反しない限り」を「公益及び公の秩序」に置き換えてはならない。第24条「婚姻は、両性の合意『のみ』に基づいて成立し」の『のみ』の文言を外してはダメ。反戦の前提となる「個人」という基本概念を憲法から奪ってはいけない。断じて旧民法の「家族」主義に、再び歴史を巻き戻してはならない。
今年もまた京都に祇園祭の夏がやってきた。連綿と続く一人ひとりの日々を、誰にも邪魔されず、ずーっと大事にしていきたいなあと思う。
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