ポルトガルの首都リスボンにある、視覚障害者のための寄宿診療所。そこに、目の見えない教師が住み込みでやってきた。彼、イアン(エドワード・ホッグ)は、白杖を使わず自由に歩くことができる”反響定位”というテクニックを持ち、生徒たちにもそのいろはを教え始める。子どもの安全を第一に考える診療所の所長はイアンの独創的な指導法を危険視するが、診療所の外に出ることを許されない子どもたちにとって、白杖を使わず、街へも自在に出かけていくイアンは、驚きとともに常に外の世界への興味をかきたてる存在だった。
そのイアンには、引っ越してきてすぐから関心を寄せる女性がいた。彼の隣の部屋で、自室に引きこもったまま誰とも口を利かずに過ごすエヴァ(アレクサンドラ・マリア・ララ)だ。はじめエヴァは、彼女の気を引こうと試みるイアンを遠巻きに伺っていたが、やがて好奇心に駆られて、部屋の外へ歩み出していく。そして、あるとき彼に、白杖を持たずに自分と一緒に街を歩いて欲しいと、半ば強引に頼み出たのだった――。
映画の冒頭から終わりまで、音と自然光を巧みに使った映像に魅了される作品だ。そして全編、〈目〉という、人間の知覚において支配的な器官に頼れない人たちの感覚を頼りにして紡がれる物語は、「ものごとを見ることとは、想像することである」という、見ることの本質を教えてくれるだけでなく、自分が、いかに視覚以外の感覚をないがしろにして日々を過ごしているかにも気づかせてくれる。映像によって研ぎ澄まされていく五感の中で、目で見えるものだけでなく、音や光、匂い、あるいは手や肌に触れるものもまた、人が他者と交わり、あるいは自分を取り巻く世界とコミュニケートする手立てなのだと改めて確認させられるのは、ある意味、恋愛のやりとりそのものを稚拙なやり方で見せられるよりもずっと、官能的な映画体験だ。
好きなシーンを挙げるときりがないが、あえて言うなら、エヴァが初めて白杖を持たずにイアンと街を歩くシーンだ。そこでは、イアンのサポートによって不安を払拭していくエヴァの心の動きともに、迷路のように入り組んだ古都リスボンの街並み、通りを走る車やバイク、公園の木々など、景色の全てが肌感覚で伝わってくるように感じられる(ただし、靴屋でイアンに靴を選んでもらうところは、いくら音への感覚が研ぎ澄まされているイアンだからとはいえ、わたしはエヴァに自分で選んで欲しかった!)。あるいは、イアンが全盲であることを疑っていた診療所の青年セラーノが、イアンと共に波止場を歩くシーン。この映画の鍵でもある、”あるもの”が確かめられないことへの不安と苛立ちが、その姿をつかまえられた瞬間、喜びに変わり、セラーノの世界観は決定的に変わる。しかしそれは、喜びだけでは終わらない痛みを伴うものとなるのだ。あるいはまたラストの、アコーディオンの音楽とともにエヴァとイアンの元から遠ざかっていく路面電車の、車窓から眺める街並みに残る余韻・・・。やっぱり、この映画は全てのシーンをおススメしたい!
ポーランド出身のアンジェイ・ヤキモフスキ監督が作ったこの作品からは、ポーランド映画と呼ばれる作品の多くがもつ、あるいはそこから離れがたい、この国の抱える複雑な歴史の痛みを感じることはない。ポルトガルを舞台に、主演に英国人とルーマニア系ドイツ人の二人を配役し、視覚障害者の施設の子どもたちも、イギリス、ポルトガル、フランス各国からの、ほとんどが演技経験のない子どもたちであるなど多様性が意図されている点も興味深い。本当は、こんな風にあれこれと説明などしないで、ただ好きなだけですと言いたい作品でもあるのだけど。公式ウェブサイトはこちら(中村奈津子)
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