サザエさんからいじわるばあさんへ 女・子どもの生活史 (朝日文庫)

著者:樋口恵子

朝日新聞出版( 2016-09-07 )

待望の『サザエさんからいじわるばあさんへ』文庫版が刊行されました。ちょうど今年、そのサザエさんの生誕70周年だというのでサザエさんの展覧会も各地で催されています。

女性作者によって描かれた、二つの家庭マンガの登場人物を著者樋口恵子さんは時代背景とともに見事に読み解きました。長谷川町子さんの仕掛けた挑戦が解き明かされています。

サザエさんは昭和の典型的な家族の姿だと思う人が多いのですが、3世代同居、しかも妻の両親と小学生の弟妹との同居というちょっと珍しい家族の形なのです。これは1946年に始まった磯野家の物語です。その後も登場人物は歳をとらないままに1974年まで続きました。食糧難の時代から高度成長の時代そして初の経済成長マイナス期まで、社会の出来事を取り込みながら庶民の家庭と日常の風景が面白おかしく描かれました。テレビ化されてこちらも長寿番組です。

サザエさんが「嫁」業をしていないことで、いつものびのびと明るく、喉チンコが見えるほどの大笑いも、大失敗も気兼ねなくしていられるのだと著者は言います。なーるほどそうなのかと頷きました。サザエさんは実家の両親と暮らしています。婚家ではなかったのです。。タラちゃんという幼児もいますが、母フネさんや弟カツオ、妹ワカメが面倒をみてくれるので、孤独な子育てではありません。それに夫マスオさんも両親と仲良くいい雰囲気で暮らす一家です。

姓の違う娘との同居が、「マスオさん現象」と呼ばれ流行語になったころ、実際は娘夫婦と同居はわずか5.7%(1992年調査)だといいます。一方この頃もその後も「嫁」業の苦労話は尽きないのです。

当時の多くの主婦がそうであったようにサザエさんは専業主婦です。古風で伝統的な主婦像が基調で、親族共同体、地域共同体の包囲網装置の中で生活しています。そんなサザエさんについて、寺山修司さんがこのままいけば、サザエさんの老後に明るい展望はないと批判したことについても触れています。

けれど、自分を「ウーマン・リブ」と名乗っている場面があることを見落としてはなるまいと著者はいっています。サザエさんは「金力や権力、暴力など、力をカサにきて、まっとうな論理を歪ませるものを心から嫌っている」のです。その意味で天性のリブだと指摘しています。

いじわるばあさんの方は、サザエさんの祖母の年齢、波平さんとフネさんの親くらいの歳に設定してあります。高齢社会の進展と、それがいかに従来の家族関係に構造的変化をもたらせるのかを、先取りして描き出しているマンガだと著者は言います。日本社会と人口構造の変化、ひいては家族構造があまりに早く変化していったため、人々の意識は追いつかなかったのです。そんな中で、1966年から週刊誌に連載され始めた「いじわるばあさん」は、高齢社会を先取りした長谷川町子さんの先見の明だったといいます。この年の平均寿命は女性73.61歳、男性68.35歳でした。(ちなみに2015年は、女性86.8歳、男性80.5歳)このマンガは最初から人気を集め、連載が始まると間もなく青島幸男を主演に、テレビドラマになっています。

「いじわるばあさん」は本当に面白かったです。世の主流からおよそ遠い「老女」が、堂々主役の場を演じたからではなかったでしょうか。たいてい片隅に追いやられて印象の薄い老女が、その行動パターンを見事に打ちこわし、「物言う老女」、「行動するおばあさん像」を示した痛快マンガだといえます。ただ彼女の自己実現が身近な人々へのいじわるになってしまうことは彼女の悲劇ではありますが、だからこそ反転してマンガになり得たということなんだと著者は語っています。

いじわるばあさんは、「良妻賢母からかわいいおばあさんへ」という日本女性の定番コースを外れ、「可愛いい」の対極「いじわる」であることを名乗って存在感ある主役をはったのだと著者は言います。また、老いたる女性は「他者を愛し、ひそやかに他者の犠牲になるべしという『楢山節考』的なありよう」を拒否した新しい女であり、フェミニストであると。

このマンガには、ほかにも「気兼ね自殺」や「老いと性」など、考えさせられるテーマが沢山出てきます。著者樋口恵子さんの研究や活動をベースに考察された評論で説得力があります。それに、文章がサザエさんの上を行く面白さです。巻末に収録されているサザエさん年表も親切な解説がついていて時代の推移がよく解ります。23年も前に書かれた本だとはとても思えない感覚の新しさです。ぜひご一読をお勧めしたい1冊です。 (中西豊子記)