女優イングリッド・バーグマンと、彼女の故国であるスウェーデンの男女役割についてのシンポジウムに参加する機会を得た。バーグマンについては、父や母の憧れの存在…その美しさは伝説的…「あの」カサブランカの主演女優…という程度にしか(失礼なことには)知らなかった。そして、彼女の故国スウェーデンは、これまでの私にとっては大好きなリンドグレーンの国、そして「ミレニアム」作者の国…だった。

映画は仕事の都合で当日は観られず、後日別に鑑賞した。その映画は彼女のホームビデオを基にしたもので、スティーグ・ビョークマン監督によって昨年制作された『イングリッド・バーグマン~愛に生きた女優~』。原題は “Ingrid Bergman: In Her Own Words”である。
彼女が生涯に三度結婚したこと、特に二度目の結婚は発端が不倫であり、そのことでハリウッドから半ば追放状態であったことも初めて知った。彼女は、自分の感情に正直に従う人だったのだ。ただ美しいだけではない、強い意志と行動力を持つ人だった。
子どもは4人いたけれど同居はせず、時間の許す限り子どもの元に戻り、或いは共に時間を過ごし、離れている時間が多かったにもかかわらず、長じてからも死後も子ども達からはとても慕われていた。彼女と子どもたち、その家族のあり方は画一的なものではなく、「多様性」そのものだったといえる。
彼らは「母親とは、友達の様な関係だった」「側に居てくれるだけで良かった」「母親といることが、とにかく楽しかった」と述懐している。決して抑圧的ではない、子どもの人生をコントロールしようと介入しない母親だったのだろう。子ども達は、それをちゃんと見抜いていた。
自分を「世界一内気だが、うちには御されぬ獅子がいた」と言い、「やらずに後悔するよりも、やって後悔した方がいい」と語っていた彼女は、確固たる自己を持つ、仕事と子育てを両立させながら自己実現を進めていく…時代を先取りする女性だった。そして、他の人がやったことのない方法でキャリアを築き、様々な模範となる強い女性像を創造し、50年以上映画界でトップであり続けた。

バーグマンのホームビデオから製作された映画(In Her Own Words)を観て、そして自分なりに彼女についてのあれこれを調べていくうち、唐突に、バーグマンはそれまでとは全く違った意味を以て私の前に立ち現れた。清々しい想いと、押さえきれない胸の高鳴りの中に。
この、思いがけないバーグマンとの出会い…しっかりとその手の中に己を掴み、どんな逆風にも負けず、自分を信じ、強い意志としなやかな行動力で自らに課した「やるべきこと」に向かっていった女性…何十年も時代を先取りした、「フェミニズム」という言葉さえ人々の意識に無かった時代に「フェミニスト」として生きた女性…また一人、心の糧となる先達に出会うことができた。私を新たなバーグマンに導いてくれたこの機会に、心から感謝している。
当日はこの映画の上映後にシンポジウムが開催された。パネリストは5人。基調講演をしたウルリカ・クヌートソン氏(ジャーナリスト・作家・コラムニスト)、 松井 久子氏(映画監督)、 成澤 廣修氏(文京区長)、 田渕 六郎氏(上智大学総合人間科学部社会学科教授) そしてモデレーターは浜田 敬子氏(朝日新聞社総合プロデュース室プロデューサー/AERA 前編集長)で、ウルリカ・クヌートソン氏の「バーグマンはフェミニズムのアイコンと言えるか?」をもとに、日本とスウェーデンの男女役割について議論された。
興味深かったのは「何を怖れる-フェミニズムを生きた女たち-」を撮った松井監督の「これまで私たちは、映画で、男性が描く女性像、男性が理想とする女性像を見せられてきた。どういう風に生きるべきか、どういう風に生きると女は愛されるかを、男の作った映画を観ることによって教育されてきた。」という言葉だ。日本の映画界でバーグマンと並ぶような“大女優”たちは、それでも自分の意志で自由に人生を選択した上で映画界でトップであり続けることはできなかった。さらに松井監督は、様々なしがらみに囚われ、自由に個人を生きることを許されていない男性こそこの映画を観るべきなのではないか、と指摘することを忘れない。
育メン第一号の成澤氏からは、育休を取得したことで「日本の母」から「女々しい」と指摘された経験から「男性の意識(性別役割分担)を変えることも大切だが、それ以上に女性の意識(良妻賢母)を変えることが必要なのでは?」との指摘があった。
スウェーデンが現在のように男女平等を実現するに至ったきっかけは「出発点は労働力(労働力の確保)だった」ということが田渕氏から出された。50年代にはスウェーデンでも「妻は家にいて、働いて欲しくない」という考え方が男性の間では主流だったという。しかし、女性が労働市場に出ていくことが求められ、そのためには子どものケアが必要となり、社会福祉政策の推進が図られ、育休制度や子どもに対する諸々のシステム、個人を基本にした税制、等が成り立っていった。このような様々な政策によって、女性は子どもを産み・育てる時期に長い時間家にいることができるようになり、働き続けることが可能になったのである。
まずは、女性が働くようになること。社会として、すべての市民を活用することが大事である。そのためには民主主義と同様に、政治的議論を重ねていかなければならない。いかに人々が幸せに子どもを産むことができるかの議論を展開することが大事であり、規範となることが大事なのだ…とウルリカ・クヌートソン氏は力説する。

田渕氏は続けて、スウェーデンでは「出発点は労働力だった」ということであるが、今、日本の政府が言う「女性活躍社会」「男女共同参画」は、女性がいかに活き活きと活躍するのかが命題なのではなく、マクロ経済的にプラスになるから女性に活躍して貰うのだ、と明文化されていることを押さえておく必要がある。どういうロールモデルをこの国は作っていけるのか?子育て支援にしても、公的サービスをうまく使いこなすことによっていかに仕事を継続できるかをちゃんと国が見せることができるか、が重要である。「〇〇すべき」は無意味。自分たち家族の単位でそれぞれが子育てや男女役割の分担をカスタマイズすることが大切になってくる、と説く。そして、それは「家庭の責任」として捉えるのではなく、そこを変えていくために大きな決断がなされないと抜本的な変化は望めず、その辺りに女性役割・男性役割の変化の鍵が求められている。スウェーデンと日本では、女性の社会進出の為に国の果たす役割に大きな違いがある。
多様なあり方の選択が可能な社会、個人の権利や自由な選択を保証できる・個人が主体的に選択していける社会にしていくために政策(や施策)の果たす役割は大きい、と指摘する。
スウェーデンでも、父母の役割には偏りがあるようだ。スポーツやアウトドアに子どもを連れていくことはいとわないけれど、台所仕事はやりたくない父親。母親は料理や家の中のことになりがち…と「男女平等の国」のイメージの割には、まだまだ性別役割分担から抜け切れてはいない。しかし、30~40年掛かって築いてきた女性の社会進出を支えるための様々な政策、そのための論議は「先をゆくもの」として私たちに多くを教えてくれる。
私たち女性の抱える生き辛さは、社会の仕組みの中から生じている。だとしたら、私たちが自由に、自分の意志で、多様なあり方を選択できる生き易い社会にしていくためには、自覚的に社会に働きかけ、動かしていくほかないだろう。数十年前、どんな女性支援のシステムも無かった時代に、バーグマンはそれでも精一杯自分を貫いて生ききった。彼女に、恵まれた条件はあったかも知れない。でも、いかに困難な状況に直面していても、後に続く私たちにそれが出来ないと諦めるには早すぎる。バーグマンから私たちの間に積み重ねられてきた様々な経験を武器に、やれること・やるべきことは沢山ある。
先を行くものがいてくれる…それはとても幸せなことなのだ、としみじみ感じた“スウェーデンの夜”だった。
(写真提供:スウェーデン大使館広報部)
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