娘と同じ世代の北京在住、フリーランスのライター・多田麻美著『老北京の胡同』を読んだ。魅せられて住み着いたという「胡同」(フートン)は、元王朝の時代から北京の旧市街を網の目のように覆う居住空間。「四合院」と呼ばれる中庭を囲んで東西南北に4つの棟が並ぶ中国の伝統家屋だ。しかし今、急激な都市開発により、そこには何もなかったかのように容赦なく壊されていっているという。
戦中、私は胡同で生まれたらしい。母の話では陽だまりの小さな庭で女たちがおしゃべりを楽しみ、時には夫婦喧嘩をして庭に飛び出してきた二人が、「どっちが正しいか聞いてくれ」とみんなに裁定を仰ぎ、かしましく主張しあう空間でもあったらしい。
北京を訪れたのは1991年11月。王府井近く、東単から路地を入ったところに古い土塀のフートンは、まだ残っていた。
20歳の娘が、その頃、中国に1年留学した。天安門事件の後で北京の大学には行けず、江蘇省の蘇州大学で学ぶ。大阪・天保山埠頭から鑑真号で出航。バイト先の友だちがたくさん見送りにきてくれた。
学生寮の専家楼に電話をかけても全然つながらない。やっと通じて寮のおじさんに頼むとトントントンと階段を上って呼びにいってくれる。返ってくるのは「不在」(いないよ)の返事ばかりだった。
ちょっぴりホームシックになると薄い紙の信箋に手紙を書いて送ってきた。「留学とは何だろう。その国の言葉を修得することなんかじゃなくて、その地で生活することかな」「ちょっと慣れてくると周りの景色がよく見えるようになった。散歩で『ガーッ、ぺーッ』と痰吐きの人に会うけど、それも面白いよ」と。
重慶出身の苗族の女子学生・アーチーとカナダ在住の華僑でゲイのカーシーと仲良くなったらしい。3人で「要不要結婚?」と話題になる。「要」とアーチーがいうと、カーシーが「不好」(あんまりねぇ)と反論する。
夏休み、大連まで37時間の船旅で東北地方を回る。大連外語学院には戦前の大連を懐かしむおじさんたちが日本から留学してきていたという。当時の中国は嫁不足、一人旅をしていた娘も、危うく連れ去られそうになったらしい。
無錫へ硬座の列車で行く。隣の席の10歳くらいの女の子が、娘が日本人と知ると「日本人は中国のすべてのものをもっていってしまった」と怒る。お父さんが気を遣ってたしなめると、「お父さんはいつもそういっているじゃない」と言い返したという。でも中国の人は親しくなると、ほんとの家族のように接してくれる。12月の冬至は蘇州の人には春節と同じくらい大事な日。友人の家でキンセンカ入りの黄色い甘いお酒と季節のご馳走をいっぱい振る舞ってくれたという。
娘の留学先を、別れて2年たった元夫と共に訪ねた。まだビザもリコンファームもいる時代だった。上海から蘇州へ、いつ動くともしれない列車をガランとした待合室で高い天井を眺めて待つ。干し牛肉の切れ端を噛みながら小一時間で蘇州駅に到着。えんじゅの木の並木道を、ひなびた乗合馬車に揺られて大学の宿舎まで。
蘇州はまだまだ田舎だった。夜、食事に出かける道は真っ暗闇で何も見えない。はるか向こうにランタンの灯がぼんやり見えてくると店も近い。朝、宿舎の窓から運河沿いの構内を眺めると、真っ白い霧が立ち込めるなか、老人が数人、太極拳を舞っていた。
近所の食堂で高菜ラーメンを食べる。「トイレはどこ?」「そこよ。いっしょに行くわ」と女子店員が外へつれていってくれた。道端の仕切りも何もない厠で二人並んで用を足す。北京の天安門広場の地下も溝が掘ってあるだけの広大なトイレがあるとも聞いた。
上海への飛行機の中で元夫との会話。その頃、私は『資料日本ウーマン・リブ史』の編集を手伝っていた。ロシアの女性革命家、アレクサンドラ・コロンタイの記事を載せたので、その説明をすると、彼はコロンタイのことを全然、知らなかったのか、「俺が知らない人物を、お前が知っているはずがない」と断言したのだ。「エッ」と思ったけど、言い返すこともできず、そのまま黙ってしまった。きちんと反論できないところが、私のだめなところなんだけど、忸怩たる思いが今も残る。ちょっと反省。
数日後、彼は日本へ帰り、娘と私は北京へ向かう。空港から市内まで遠いこと、遠いこと。キーンと冷たい秋の空気が心地いい。天安門近く、広い、広い道路は自転車の波また波。砂嵐よけのスカーフを被り、一斉に走っていく。バスは大きな麻袋をもって乗り込む人たちでギュウギュウ詰め。水筒代わりにコーヒーの空き瓶にお茶を入れ、腰にぶら下げて歩くおじいさんたち。北京ダックを食べる客は食べ滓をテーブルクロスにパッパッと捨て、給仕はクロスごとサッサと片づけていく。
今、中国各地は大気汚染だけでなく、水質汚染も問題だとか。北京っ子は大地の「地気」を肌に感じて暮らしていたというが、早急に汚染対策を考えなければ。
このところ、友人に教えてもらった玄米から発酵菌をつくり、豆乳と混ぜたヨーグルトを食べている。材料は玄米と水と塩と黒糖だけ。リトマス試験紙でpH3.5を保ってつくる。これが実に体にいい。弱っている時ほどよく効く。すごい殺菌力と治癒力だ。中国はそれに目をつけ、山東省・東営市で玄米乳酸菌を利用した下水処理装置を大々的に開発すると聞いた。
娘が東京の中国系IT会社に勤めていた時、若い中国人のあまりの優秀さにびっくりしたという。地方から選り抜かれてきた人たち。よく働き、ゆっくりと休む。昼休み、机の下に布団を敷き、しっかりお昼寝をとるのが習慣だそうだ。いかにも中国らしい。
悠久の国・中国。長い歴史と壮大な未来と。若い彼らは必ずや新しい中国を世界に向かってつくりだしていくに違いない。これは私の独断的確信だ。