前回に続いて、「戦争アカン!京都おんなのレッドアクション」が主催し、「24条変えさせないキャンペーン」が協賛した、「24条から考える自民党改憲草案」学習会の内容を報告します。本学習会は、2016年10日22日(土)14:00〜17:00に、東本願寺しんらん交流館にて開催され、吉田容子弁護士による憲法、とりわけ24条に関する講演を聞いた後(今回)、保育と育児の現場から、女性たちが実際に直面している問題、わたしたちが求める政策や支援のあり方について発表がなされ(その 2) 、その後、約50人の参加者とともにグループ討論を経て、「戦争アカン!京都おんなのレッドアクション」共同代表の岡野八代がまとめを行いました(その 3)。
最後に、本学習会に参加したある親子の会話を紹介します(その 4)。
なお、本報告では、グループ討論の内容については割愛させていただきます。
「保育と介護の現場から」
①Yさん(西京に保育所つくってチーム)
保育のことを話してほしいと言われたのですが、私の過去9年間のことを話したいと思います。なので、脱線したりするかもしれませんが、ご了承ください。9年前というのが、私が初めての子を産んだ年になります。一番上が小学校3年生でまもなく9歳、次が6歳、次が3歳、ここに4人目がいます(会場から歓声)。これだけ京都市の出生率アップに貢献しているのに、京都市はあんまり優しくしてくれません。ひしひしと感じますが、このことについては、あとで触れたいと思います。
1番目を産んでまもなくして、前の夫の暴力が始まりました。暴力は私にだけでした。だいたい皆さんそうだと思いますが、親というのは、子どものことを考えて耐えます。私は4年間耐え続けました。別れたら子どもに影響があるかなと思って。自分が我慢すればいいんだとか、他の人も耐えているのかなとか、このぐらい普通なのかなとか思って、ずっと誰にも相談できずにいました。自分の親に相談すれば、別れろと言われるだけなので、4年間言わずに耐えました。あんまりこの話をすると、今も泣けてきてしまうくらい(涙声)…頑張って耐えました。4年目に、共働きだったので、いろいろと耐えきれなくなってきました。(前夫が)娘に怪我をさせたり、娘の前で私を叩いたりとかがそういうことがあったので、これは子どものためにはなっていないというので、協議離婚になりました。そのあと、素晴らしい出会いがあって、再婚して3番目があって、今4番目がお腹の中にいます。今は、私も夫も小学校現場で働いています。そういう家族なので、言われなくても自己決定をして、助け合っています。というか、“言われなくても”、助け合ってでないと、生きていけません。本当に、今の夫は、「もう一人のお母さん」というぐらい助けてくれるので、家族の中ですごく助かっていて、それ以降は幸せ者だなと思って生きています。
今年の4月から、3人目の子どもの育休から復帰して働いていましたが、すぐにお腹の子を授かって、先月末まで3人の子どもを育てながら、お腹の子も育てながら、現場で働いてきました。思い出すと泣けてくるくらい、すごくしんどい半年でした。つわりのときがしんどかったです。でも、本当に、本当に助け合って、“言われなくても”助け合って生きてきました。3番目の育休中の去年1年間に、「西京に保育所つくってチーム」を立ち上げて、4人ぐらいが中心になってずっと動いてきました。この1年間で、3回ほど京都市の保育課と懇談をしたり、審査請求を提出したり、いろいろしてきた経緯があります。詳しく知りたい方は、「西京」・「保育所」・「入れない」と打つだけで、「西京に保育所つくってチーム」のFacebookページが一番上に出てきます。
やはり京都市は優しくなくて、(自分でも)頑張ったとは思うのですが、一番近くの保育所には入れませんでした。1番目は小学校で、2番目と3番目は保育所に入れないといけなったのに、入れなかったから、わざわざ二人を乗せられる高い高い自転車を買わなくてはならないのが悔しかったです。また、京都市はさらに優しくなくて、2番目と3番目は別々の保育所に通わされています。近所の保育所なら、自転車での送迎は必要ないのに、2番目と3番目が別々の保育所の上に、家から近所でもないので、それで、まわりの先輩ママたちに「きゃ〜!そんなお腹で自転車に乗らないで〜!」と悲鳴をあげられながらも、ギリギリまで「すみません、すみません!」と言いながら、こんなお腹で自転車に乗っていました。でも、さすがに夫がもう見てられないということで、ここ1ヶ月半は、夫が送り迎え両方やってくれて、仕事もあるので夫は倒れかけていました。私が産休に入る日に、夫は送迎から解放されて、ホッとしたのか40度の熱をだして、大丈夫かなということもありました。そのくらいしんどかったです。実家の母が大阪で、夫の母は昨年倒れたこともあって、身内の誰にも頼れず、一度だけ新婦人の方に、子どものお迎えを頼んだこともありました。
2番目の子は、安倍さんがすすめている「認定こども園」というところに通っていて、そこは去年まで幼稚園だったところです。保育士さんたちがバタバタ来ています。保育所組の私たちは、「預かってもらってありがとう!」という姿勢で、文句も言わないのですが、親たちは保育所組と幼稚園組で分かれているわけではないけど、どちらかというと幼稚園組のお母さんたちが熱心に先生たちにいろいろと要望(文句)を言っていて、私たちは、先生たちが大変そうだなと思って見ています。入園する前から、子どもがすごく可哀想で仕方ないなと思ったのは、幼稚園組が2〜3時にみんな帰ってしまうのに対して、うちの子は最後の夕方までいるということでした。
3番目は普通の保育園に通っていて、そこは事前に良い保育園と聞いていたので、良かったなと思っていました。ところが、もともといたベテランの先生たちがガラッといなくなっていて、すごく若い先生になっていて、少し心配に思っていました。一方、ここの保育園には組合があって積極的に運動をしていて、中身はきちんとしていました。ただ、園長先生は、延長保育や土曜保育はアルバイトでまかなっているから、利用は早く伝えてほしいし、時間通り迎えに来てほしいということを仰って、とにかく「アルバイト」という言葉が頻繁に出ていたのが気になりました。
3番目のクラスの担任の先生がご近所で、私が入所させたかった近所の保育園に先生のお子さんが通っています。それで、子どもの送り迎えの時に、先生が後ろから自転車でわぁ〜っと急いで追い越していったり、すれ違ったりしながら、お互い育児に奮闘しています。その先生とはお互いに仕事しながら育児もしてということで、先生も大変なんだなと思いながら、会った時は先生も忙しいしあんまり喋りすぎないようにしようとお互いいたわり合いながらやっています。2番目、3番目が通う保育園は、園長先生以外全員女の保育士さんで、妊娠していたり子育てしていたり、大変なこともあります。
私は運良く、いい出会いがあって、助け合える夫だけど、自分の職場(小学校)でも保育士さんたちでも、自分の子どもが通う保育所が遠くて出勤前に自転車で保育所に送っていかなければならなかったり、パートナーが助けてくれない場合もあったりということも聞きます。「女性の活躍」をいうのであれば、もっと公的な助けが欲しいと思います。いろんな話になってしまいましたが、現場からはこんな感じです。(会場拍手)
櫻庭葉子さん(京都ヘルパー連絡会代表、ヘルパー派遣事業所「和音ねっと」代表)
先ほど紹介していただいたように、私はヘルパーの事業所を運営しております。また、ヘルパーとしても働いております。京都ヘルパー連絡会というところの代表世話人としも活動しております。
皆さんの中で、実際にお家で、ご両親や家族に介護をされている方はどれくらいいらっしゃいますか?もしおられたら挙手をお願いします。結構いらっしゃいますね。「家で家族が介護する」って、大変じゃないですか?
私は1997年にヘルパーの資格をとって、そこから仕事を始めました。仕事を始めた頃は19年前で21歳だったのですが、その時に「ヘルパーさんの仕事って、主婦の片手間なんですよね。だからパート労働者でもいいんですよ。専門性もとくになくていいし」という言い方をされました。その時私は学校を出たばかりの21歳で、右も左もよくわからない中で、施設に勤めずに在宅を目指し、地域福祉や在宅福祉で仕事をする場所がまだまだなかった時代に私はあえて選んだところだったのですが、働きながらそれはもう屈辱的な言葉を、地域から世間から、そして悪いですけど男性から、たくさん受けました。ヘルパーは、家事労働もそうですが、介護とか子育てに対して、そういう認識の人が、まだまだ根強くいると思います。私がヘルパーの資格をとった1997年ごろに、同じくヘルパーの資格をとった、当時40代〜60代のご婦人たちに対しても同じような言葉が言われました。「結婚もしていない、子どもも産んでいないあなたに、ヘルパーの仕事なんてできるの?」と言われたこともありました。「悪かったわね!」と思ったけれども、世の中はそういう認識なんですよね。女性蔑視というか、介護も家事も女がするものというふうに。でも、実はいまもその認識は変わっていないのではないかと強く思います。
そういった中でも、私はヘルパーの仕事がすごく好きなので、食べるために10年間ケアマネージャーの仕事をやってきました。でもやっぱり現場の仕事が好きなので、現場の仕事に戻って3年ぐらいになります。本当に、まだまだ世の中の認識ができていなくて、「介護は女性がするもの」のまま。自民党改憲草案の24条では、「家族家族っていうけど、家族がどれだけできるの?」と感じます。介護保険制度ができて17年経ちましたが、年々、介護の中身・質・制度もさることながら、ケアの質もどんどん変わってきています。いい人材は現場から本当に居なくなっています。働きがい・やりがいが無くなって、本当に頑張って福祉労働をしたい人たちがこの職場を去っていく。粛々淡々とベルトコンベアーのように、工場のように、できてもできなくでもその時間いたら1時間単価いくらもらえるという労働力の人たちが、だんだんとシェアを占めてきている。という中で、わたしも非常にジレンマを感じながら働いています。介護の現場は、女性だけができる仕事でもないですし、一方で男性だけでできる仕事ということでもありません。今、本当に介護の現場に人手がいないです。ヘルパーは働き出がいないのに、利用したい方は多く、提供できないという状態が深刻です。
一方、皆さんも新聞報道などでご存知と思いますが、介護保険が2000年にスタートして、来年18年目に突入しますが、本当にずっと改悪ばっかりです。ここにきて、来年の4月からは、全国一律に新しい「新総合支援事業」として「地域支援事業」が始まります。要支援1・2の方たちの生活援助つまりヘルパーによる援助と、通所介護つまりデイサービスの利用を、介護保険給付の対象からはずすという形になるということで動いています。また、次期2018年の改定にむけては、要介護1・2の方たちの生活援助をはずす。要介護1・2の方たちの通所介護(デイサービス)に関しては、地域支援事業に移行する。聞きなれない言葉を聞かれて、皆さん「この人何言っているのかな?」と感じられたかもしれません。要は、「要介護2以下の人たちは、介護サービスを使わない」ということなのです。自民党改憲草案の24条と同じで、「はい皆さん!家族でみてください!責任持って家族で介護してください!年金が少ないのも、医療・介護が受けられないのも、あなたたちが自助努力してこなかったからです」ということを政府は「自己責任」を押し付けて言っています。介護保険料を払わせておいて使わせない。私たちはこれを「国家的詐欺だ!」と言っています。要介護2以下の方への支援をどんどん切っていけという方向で国は加速しています。でもやはり、私たちは「それはおかしい」と非常に疑問を持っています。それにともなって、京都ヘルパー連絡会では、国会に要請行動に行ったり、記者会見をしたりして、150人しかいない小さな団体だけど、さまざま乗り込んでいって色々な取り組みをしています。そして、なんとかして要介護の方たちの生活を守りたいと思っています。私たちは、寝たきりの障がい者・高齢者を増やしたいとは全く思いません。私たちヘルパーは、生活の中に密着することによって、その人がその人らしく地域で在宅で生活できるということを目指しているだけです。どんどん産めよ増やせよで、介護サービスを使ってくださいということを主張しているわけでもありません。
お金のある人は、それに見合うことをしたらいい。でも、本当に必要なところに、必要な人に対して、お金のない人にも日の光を当てたいとい思いで、小さな団体ですが運動をしています。職場での男女比率は圧倒的に女性が多いということもあって、「どちらかというと低く(蔑んで)見られる」と感じます。だから、ヘルパーは全国に何万人もいますが、いつまでたっても8割9割は非正規雇用です。常勤職員が本当に少ないです。そうした中であっても、声をあげていかないといけないと思うし、運動につなげていかないといけないと思って頑張っています。今日は、短い時間で勉強させていただきましたが、こんな自民党改憲草案を聞いて、私は驚いたというよりも、はらわたが煮えくり返りました。やはりこれはもうちょっと私たちも勉強していかなくてはいけないと思いました。まとまりのない話でしたが、ありがとうございました。(会場拍手)
その 3 に続く
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