監督も知らない、役者も知らない。  
ひと足先に試写会で、観て感じたまんまをいけしゃぁしゃぁと映画評。   
筆/さそ りさ 
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このたびは、訳のわからない121分であった。
よって、内容も知らずに劇場に入ってしまった人は、この時間は忍耐を強いられることになるかもしれない。
フランス映画の真骨頂とでもいいたいほどの難解、かつ哲学的なユーモアと反骨にあふれた作品であるということはわからなくもないが。

物語は、貴族がギロチンにより処刑され、それを女性たちが編み物をしながら見物しているところから始まる。フランス革命の時代だという。
お次はこのシーンとは何の脈絡もなく、市民と兵士が撃ち合うとある戦場。何をもって「ごきげんよう」というつもりなのか「訳わからん?」。
と疑問を抱くまもなく、
現代のパリ市内に変わり、そこでは女性が犬を連れて歩いているかと思えば、ローラースケート強盗団の姉妹が登場したり、ロードローラーに酔った浮浪者が轢かれてぺしゃんこになる
が、死なない……、といった調子で、訳のわからない展開が繰り広げられるのである。
しかし、「これはまことにつまらない作品である」とは言いきれない。
チャップリンを連想させるユーモアがてんこ盛りなうえ、難題を解くような展開が妙に引きつける。が、笑っていいものか、ちょっと空気感が異なる。

シリアスな物語と思わせつつもそれも断片的で、思うに、数々のユーモアこそが訳のなわからなさの元凶になっていることは事実だ。
全編を通して、武器商人でありながらアパートの管理人として身を立てている男と人類学者で頭蓋骨が好きな男、この二人が中心に置かれている。
だからといって、二人の生き方などを語るストーリーではないように思える。
観た後よくよく考えるに、難解であることを大前提に、
「創造の域が広がるこんな作品があってもいいんだ」といった創造性に対する理解度と寛容度を養うのには最適な作品である。

結論、“この作品が理解できる人は日本人じゃない”というわけで、わたしは日本人じゃないと思って観れば、実に奥深く共感できる作品ということになる。
監督はオタール・イオセリアーニ(81歳/2015年)という、ゆるぎない評価を得ている巨匠のようで、彼のことを知る人は必見だろう。

2016.12.12試写

2016年12月17日(土)岩波ホールほか、全国順次ロードショー

© Pastorale Productions- Studio 99