2009.10.05 Mon
生きる術として身につけた芸が、時代の変化とともに古びてしまい、その芸の担い手もろともに打ち捨てられてしまう、ということがある。社会構造が大きく変化する時には、よくあることだ。
この映画『流れる』の舞台は花柳界だが、芸者に限らず、今も昔も、芸や技術によって身を立てる人々(たとえば研究者も、ある意味「芸人」だ)にとって、時代の流れとどのように向き合うかという問題は、共通の重大事であろう。上手く立ちまわる人たちがいる一方、時代の流れに取り残される人もいる。ここで問われているのは、単に個人的な能力や器用さだけではなく、まさに、その人の生き方そのものだ。 時流に乗れることだけが「勝ち」であるとは限らない。あえて、転身を選ばず、立ち止まる人もいる。この映画の最後で歌う女将(山田五十鈴)の美しさに、私は胸打たれた。この「取り残された人」にやどる一瞬の輝きには、確かな価値がある。そして、それを見守る女中(田中絹代)の姿もまた、温かく心に残る。
「さて、これから私は、どのように時代と向き合うのだろう?」と、思わず我が身をふりかえって考えさせられてしまう作品である。(yoko)
カテゴリー:わたしのイチオシ
慰安婦
貧困・福祉
DV・性暴力・ハラスメント
非婚・結婚・離婚
セクシュアリティ
くらし・生活
身体・健康
リプロ・ヘルス
脱原発
女性政策
憲法・平和
高齢社会
子育て・教育
性表現
LGBT
最終講義
博士論文
研究助成・公募
アート情報
女性運動・グループ
フェミニストカウンセリング
弁護士
女性センター
セレクトニュース
マスコミが騒がないニュース
女の本屋
ブックトーク
シネマラウンジ
ミニコミ図書館
エッセイ
WAN基金
お助け情報
WANマーケット
女と政治をつなぐ
Worldwide WAN
わいわいWAN
女性学講座
上野研究室
原発ゼロの道
動画





