30周年エントランス展示
1975年の国際婦人年からスタートしていました。

1987年3月20日にオープンした仙台市男女共同参画推進センター「エル・パーク仙台」、30回目の誕生日を祝うイベントがありました。
トークイベントには仙台市長の奥山恵美子さん、NPO法人全国女性会館協議会前理事長の桜井陽子さんが登壇。30年来のお付き合いがあるお二人が、エル・パーク仙台の役割の移り変わりにスポットを当て、息の合ったトークを展開しました。
奥山市長は、35歳の時に婦人青少年課に異動し女性施策担当となり、1995年、財団法人横浜市女性協会が発行した「女性施設ジャーナル」創刊号の編集委員となった時には市民局女性企画課長でした。奥山さんは1951年生まれですから、44歳で担当課長となっていたということです。巻頭論文「まだ必要か、女性センター」を東京大学文学部助教授だった上野千鶴子さんなどと共同執筆しています。
1996年4月に盛岡市役所で女性施策担当となり、女性センター建設に関わることになった私は、次々に発行される「女性施設ジャーナル」を教科書にして仕事をしていました。

知ってる顔を見つけ懐かしむ女性団体のみなさん。

1998年の「ベアテ・シロタ・ゴードンさん講演会」のチラシ。
この時は、秋田から盛岡に迎えて仙台へお送りしたのでした。

「婦人会館」がなかった仙台市に、「女性センター」が欲しいと女性団体が陳情し開館した「エル・パーク仙台」は、当時は珍しい専用託児室・打合せスペース・印刷機・専用ロッカーを持ち、街中で集まりやすいという、今では当たり前の機能を持ってスタートしました。それから30年、お二人のトークは先達のことを伝える役割と、東日本大震災後の動きによりセンター存続の危機を乗り切ったことなど、内容の濃いものでした。

トークの内容の一部をご紹介します。

●自分達の館が何のためにあるか!?ということを常に考えていなければならないと思う。時代が変わると女性たちの置かれている状況も変わる。とりわけ新しい課題を発掘する力が無ければ女性センターとして機能しない。女性施設ジャーナルは画期的でどういう問題意識を持つべきかを問いかけ続けた。震災は大きな気づき、投げ掛けだった。常に考えながら進んできた。
●全国女性会館協議会では東北にあるセンター13館の職員にインタビューした。センターの主体性が担保されていること、職員にいざという時の判断力があり、地元の支援団体・女性グループとのネットワークが出来ている館が震災時に役に立つということがわかった。平常時、コントロールし過ぎるきらいがあり、それでは非常時に機能を発揮できないということをネットワークで発信していった。
●女性は宝塚みたいに「清く正しく美しく」で、マネジメントは「ずるい・汚い」というイメージを持っている。あくまでもミッションが大事。それに向かって突き進み、成果はどうかと立ち止り、自己評価をすることが必要。良いことをやっても伝わらなければダメ。
●男女共同参画は首長の考えに左右されやすい。女性センターには根拠法がない。「あるってだいじ。」キャンペーンを実施した。女性のリーダーシッププログラムをしっかりやっていかないとまずい。
●現場で決定権を持つ女性が増えれば良い。格差のしわ寄せを受けている女性に運動を立ち上げる力は無い。当事者から声が出ない問題を、どうやって社会問題化するか、これからの課題。
●誰をも排除しない社会を作って行くこと。誰にも居場所と活躍の場を作るセンターが必要。「女性の防災まちづくり」で初めて自治会・町内会・社会福祉協議会などとつながりが出来た。「その先へ!」を感じさせる事業だと思った。

「さあ、その先へ!」

終了後は参加者全員で記念撮影をしていただきました。
出来あがった写真は、30周年エントランス展示の最後を飾るということです。

エル・パーク仙台30周年Twitter
https://twitter.com/LP30th

■ 赤沢千鶴 ■