大橋鎭子と花森安治と『暮しの手帖』

 2016年度後期の和光GF読書会では、戦後復興期に創刊された雑誌『暮しの手帖』の創刊の立役者である暮しの手帖社元社長の大橋鎮子と編集長・花森安治に焦点をあてました。
テキストに選んだのは、以下の3編です。
 (1)大橋鎭子『「暮しの手帖」とわたし』2016(暮しの手帖社)
 (2)津野海太郎『花森安治伝:日本の暮しをかえた男』2016(新潮社)
 (3)秋山洋子「『暮しの手帖』を読み直す」『フェミ私史ノート―歴史をみなおす視線』2016 (インパクト出版会)
 周知のように花森安治と大橋鎭子は2016年度前半のNHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』で取り上げられた人たちです。読書会でNHK連続テレビ小説に関連した人物の評伝を取り上げるのは、森岡花子、広岡浅子に続いて、3回目。これまで同様に今回もテレビ番組が描く大橋像・花森像を参照しながら、テキストを読み解き、メンバーそれぞれの感想を出し合いました。
 なお、読書会会場の和光大学ジェンダーフリースペースには、卒業生寄贈の『暮しの手帖』が数十冊所蔵されています。寄贈本のおかげで、文字の大きさや字体、写真、ページの構成などを手に取って見ることができました。実物にふれられたからこそ分かる情報はありがたく、この機会が、ディスカッションをよりリアルな内容にしてくれたといえます。

 以下、読書会メンバーの感想を中心に活動を報告します。

○オリエンテーション(2016年9月)
 読書会メンバーの『暮しの手帖』とのかかわり方はさまざまに違う。例えば、講読経験があり、記事内容を生活に活かしてきた人がいれば、雑誌名を知っているくらいの人もいた。そのようなメンバーに輪読の準備として、読書会を主宰する井上輝子先生から『暮しの手帖』の概要を解説していただいた。先行研究等の紹介やテレビの特集番組視聴によって、予備知識を得た。

○大橋鎭子『ポケット版 「暮しの手帖」とわたし』(2016年10月~11月)
 テレビドラマのモチーフとなった本である。父と母、祖父母のこと、花森との出会い、アメリカ視察旅行などを取り上げた大橋鎭子唯一の自伝である。母方の祖父の支援もあって、学生のころから「事業」への関心の高さが伺える。さらに大橋が学生のころから「稼得」に強いこだわりをもっていたことも感じとれた。「母と妹を養うためにはお勤めをしていてはだめ。自分で仕事をすればお金がたくさん入ってくるだろう」と家族で出版社を立ち上げた行動力と生い立ちのつながりを見て取ることもできる。「おんなの人の役に立つ出版」というコンセプトに、私的な領域に焦点を当てた点で感銘を受けると同時に、鎭子の母親と2人の妹の貢献の大きさにも感じ入った。それぞれの個性と知識、人脈を活かして『暮しの手帖』の編集過程や販路拡大に尽力するのだが、『暮しの手帖』が一般に受け入れられていった背景には、突出した個性ある個人の功績によるばかりでなく、女の積極的なはたらきのあったことを知ることができた。

○津野海太郎『花森安治伝:日本の暮しをかえた男』(2016年11月~12月)
 「伝説」の多い人として知られている花森安治。本書では、花森は、中・高校生のころから際立った個性と表現力の持ち主であったことなどを豊富な資料をもとに描き出し、特に編集者としての花森のあり様に焦点を当てる。とはいえ、花森安治といえば、「スカート」、「キュロット」、「おかっぱ頭」などの姿が思い浮かぶ。これらの外見的特徴に込められた意味があるのか、ないのか。「女装伝説」として津野は、花森本人は自分が好ましいと考える服装を「選択」していただけではないかと指摘する。本人の意図しない世間の評価に対して、花森自身はその評価を楽しんでいたと考えられるのではないか、とも。読書会でも「女装」についてはたびたび話題に上がった。「女装」あるいは「異装」は、あくまで周囲による解釈かもしれず、そもそもこれらの表現自体が、個人の嗜好や表現を〈女〉〈男〉に二分するステレオタイプ的な価値観を内包するものであり、その表現に違和感をもつとの意見もでた。
 1950年代占領終了以降、日本が「逆コース」を歩み始めた時期と同じくして花森が『暮しの手帖』を活動の「砦」とした津野は指摘する。『一銭五厘の旗』(1971年発行)に代表されるように、花森の反戦への思いは有名である。花森の庶民の暮しに焦点を当てた反戦への姿勢に感嘆する意見が読書会の大半を占めた。ただし、少数ながら、世間の潮流に異議を唱えるために「砦」を築けば、自由に意見を述べられる場を確保できるという利点はあるが、暮しの手帖内で展開された主張をどう拡散できたのか、加えて当時の読者の解釈を知りたいとの意見もあった。 商品テストもまた花森の考案した手法として名高い。コマーシャリズムのなかで、その商品が果たすべき役割を徹底的にテストする姿勢には驚かされる。本書を通して一層、『暮しの手帖』は花森の「作品」といえるのではとの思いを強くした。
 業績を評価されてきた花森であるが、本書は花森の仕事の根底にある思想部分に焦点を当て、花森像を描き出そうとする。読書会では少数ながら、花森の主張が受け入れられたのには、「作品」あるいは主張を人びとに受け入れやすいものにアレンジする花森の手腕に注目したいとの意見があった。花森の「時代の空気」を読み解くセンスの鋭さもまた、花森像の大事な側面といえるのではないかとの指摘であった。

○総括 大橋鎮子と花森安治と『暮しの手帖』(2016年12月)
 秋山洋子さんの論考を読み終え、半年の活動を総括するディスカッションの機会を持った。
 花森の「偉大さ」に話が集中しがちであるが、花森が、表現の場を確保できたのは、大橋のはたらきによるところも大きい。まさに「出会いがあった」といえよう。「家父長的」ともいえる「男くさい」花森と、「暮し」との結びつきは不思議である。暮しが大事という花森自身は、日々の「暮し」とどうかかわっていたのかが、さらに知りたい課題でもあった。

○世田谷美術館「花森安治の仕事 デザインする手、編集長の眼」 フィールドワーク(2017年3月)
 東京・世田谷美術館で開催された展覧会「花森安治の仕事」に、読書会メンバーと和光大学ジェンダーフォーラムの運営に携わる先生がたを交えて出かけた。併設のレストランで『暮しの手帖』掲載レシピをアレンジした期間限定ランチなどのお楽しみもかねた読書会の特別企画である。 平日午前であるにもかかわらず展示会は盛況で、花森安治の仕事への関心の高さがうかがえた。
 展覧会内容は花森の「仕事」を時系列に区分して紹介していた。「仕事」を俯瞰しつつ、個々の「仕事」をじっくりみることのできる機会であった。会場内には編集部員を叱咤激励する花森の肉声テープが流れていた。それは聞く者に有無を言わせぬほどの迫力を感じる話しぶりであり、その声から編集に対する花森の並々ならぬ思い入れを感じることができた。