今月より「陽の当たらなかった女性作曲家たち」エッセイ・シリーズIIを始めさせていただきます。

 第1回はノルウェイのアガサ・バッケル・グロンダール(Agathe Backer Grondahl)。1847年にノルウェイ・ホルメストランに生まれ、1907年にオスロで亡くなりました。なお、ノルウェイは1814 年~1905年、スウェーデンの統治下にあり、オスロはクリスティーナ(Kristina)と呼ばれていました。

 富裕層の両親のもと芸術全般に親しみ、4人姉妹の姉には高名な画家のハリエット・バッケルがおり、妹エリカ・ニッセンも含め、姉妹は生涯にわたり女性の地位向上・参政権運動等に協力し合いました。

 幼少よりピアノと作曲を学び、1865年から1867年はベルリンの芸術学校で勉強し、めきめき頭角を現します。後年イタリア・フィレンツェで高名なハンス・フォン・ビューローに、ドイツ・ワイマールではフランツ・リストに師事します。

 1947年、彼女の生誕からちょうど100年後、ノルウェイの音楽批評家は、アガサは、ノルウェイを代表する作曲家、エドガー・グリーグが生きた時代の女性作曲家の旗印であり、次世代を牽引する存在だった記しています。

 1868年、21歳の時に、前述のグリーグとともに、オスロで開いた演奏会でデビューを果たします。グリーグは、すでにヨーロッパ各地で評判を確立した作曲家でした。かねてよりグリーグを尊敬していたアガサは、彼の作品を好んで演奏していました。グリーグの妻で声楽家のニーナは、アガサの親しい友人でもあり、アガサの歌曲をコンサートに取り上げ、アガサのピアノ伴奏で競演も度々ありました。

            アガサの息子フリショ

 一方、アガサは1875年、28歳でオラウス・グロンダール氏と結婚し、3人の子供を育てました。夫はドイツで声楽、作曲を学んだ後、母国で数々の合唱団の指揮者を歴任、国立合唱団の指揮者の地位も得ました。フリーメイソン合唱団の指揮者だったという記述も見つけました。

 それぞれが才能に恵まれた夫婦でした。アガサは、妻として、母として家庭を切り盛りし、その上、ピアノ演奏と作曲の仕事を持つ女性として、この後もノルウェイはもとより、ロンドン、パリ、ベルリンを舞台に活躍します。なお、息子フリショ(1885-1959)は、後年ピアニストとして活躍し、母親の作品も積極的に演奏したそうです。

 ノルウェイの代表的な作家、イプセン(1847-1907)は「人形の家」が世界的な人気を得ていました。アガサと同じ時期を生きた人です。「人形の家」のあらすじをご存じのない方はいらっしゃらないでしょう。富裕層の夫の庇護のもと、夫の言うがまま、己の意志を持つまでもなく「かごの鳥」だった妻ノラが、あるきっかけから自己を見つめ、ひとりの人間として自立し、夫を離れて生きて行く物語です。

 1889年に、ロンドンでは「人形の家」が上演されていました。アイルランド出身の人気作家・評論家のバーナード・ショーが、上演後の夕食会にアガサと同席していました。食事の後、一同、舞台上のピアノに移り、彼女は流麗なピアノ演奏を披露します。当時、良家の子女は、「人形の家」の主人公ノラがそうであったように、趣味、たしなみのレベルでピアノを弾いていました。バダジェフスカの「乙女の祈り」や、その種の小品が好まれました。ショーをはじめ、お客の中の誰一人として、アガサにそれ以上のレベルは期待もしていませんでした。

 無名で静かな佇まいの彼女でしたが、チャーミングな外見と、その突然聞こえてきた流麗なピアノに誰もが目を見張りました。バーナード・ショーは、「あなたはヨーロッパで最も実力のあるピアニストだとわかっているか?」と問いかけます。夕食会のお客が全員、その場面に居合わせました。アガサはせっかくの賛辞も意に介さず、「ピアノ演奏は私にとって仕事です。この楽器は良くない・・・近いうちにフィルハーモニックホールで、ベートベンのピアノ協奏曲を弾きますので、よろしければ、そちらをどうぞお聞きください」。静かに、しかし勇敢に答えました。

 この当時のヨーロッパは、女性がピアノを弾くこと、作曲をすることは、「たしなみ・趣味」が当たり前、パーティの余興の範囲ならば、周囲の注目を得る術として受け入れられましたが、趣味を超えた実力のある演奏は、「行き過ぎ」。女性としての立場を超えたものとして容認されていませんでした。女性音楽家は、魅力的でも、けして度を越してはならず、真の思いは言葉にせず心に秘め、演奏にそそぎ込みました。これが当時の女性の賢い生き方。英語のフェミニズム研究者の文献には、女性の社会的立ち位置は「ダブルミーニング=double meaning」が背景にあったとの記述がありました。

 北欧といえども、当時の社会を支配していたのは、あくまでも男性たちによる男性優位思想です。今でこそ、男女平等指数の高い北欧各国ですが、当時は男性の求める保守的な女性像が横たわっており、女性たちの果敢な戦いこそが、今日の北欧の環境を導いたのです。エッセイ・シリーズI 第11回エルフリーダ・アンドレー(スェーデン)も併せてご覧いただけますと幸いです。

1898年、ベルゲン音楽祭で一堂に会したノルウェイ人作曲家たち

 彼女は演奏家としての実力とともに、多くの作品を残しました。150曲からなるピアノ曲、ピアノとオーケストラのためのアンダンテ、同スケルツォ、カンタータ。作曲様式は、グリーグにもあったように、スカンジナビアの民族音楽のモチーフを使用した作品も多く散見します。その他、個性豊かな独自の作品も多いです。歌曲では、「海のうた、作品17」「ノルウェイ民謡のアレンジ作品34」などタイトルのついたものと、10曲の歌曲集、6曲の歌曲集など、数字でタイトルを表した作品も多いです。ピアノ曲は、「コンサート用練習曲作品11」「ノルウェイの民謡と民族舞曲作品30」等、短い小品を組曲にした作品が多く見られます。

 バーナード・ショーは、その後も彼女の演奏を折に触れ批評しています。ある日、モーツアルト「ピアノ独奏曲ファンタジア」グリーグ編曲の2台ピアノ用版を弾いたアガサは、バーナード・ショーをはじめ、ちまたの批評家に酷評されます。バーナード・ショーは元来、グリーグ作品を好まなかったことも手伝い、いつまでもグリーグの後ろに佇む彼女に苦言を呈しました。彼女も、この批評に強い異議は唱えなかったそうです。

 そうはいっても、当時は、男性は当たり前にプロの音楽家として生きていけても、女性が脚光をあびる文化的背景も乏しかったことから、アガサがキャリアを強固にするには、グリーグの後ろ盾は必須だったのです。ロンドンの音楽事務所へ推薦の手紙を書いてもらい、この周到な援護のおかげで、最初のロンドンのチャンスをもらいました。

 グリーグは、彼女の実力と才能に、実は密かにコンプレックスを持っていたのではないか?と、その後の評論家たちが書いています。男性の後ろ盾がなければ世に出られない時代に、男性よりも実力がある女性の人生、それを本人が声高に言えば、キャリアは最初から無いも同然だったことでしょう。

 ご本人が冷静に才能の比較をしていたか、どう感じていたか、あいにく記録が見当たりませんでしたが、確かに、筆者もアガサの曲を数々弾いてみて、また、グリーグの作品も改めて弾いてみて、アガサの和声進行の絶妙さ、キャラクターを明快に表す書法、みずみずしさ。グリーグよりずっと豊かな表現力ではないか?と感じたのも偽らざるところです。

 「北欧のクララ・シューマン」と評されていたことが大いにうなづけます。アガサが、結婚後もプロの音楽家として活躍が可能だった背景に、一体どんな夫がいたのか? 俄然興味が湧きました。調べますと、夫もアガサも若い時代から卓越した才能に恵まれ、それぞれが海外留学で大きな成果を上げ、帰国後は、国を挙げての大きな期待を担いました。また、愛情あふれる家族の協力も背景にあり、夫は同業者として妻に深い理解と尊敬があったこと、お互いを励ましあいながら音楽家として生きられた背景がありました。これは、この時代としては相当に恵まれた環境だったと思いました。

 アガサは、出身地オスロに終生居を構えていましたが、コンサートの傍ら、子供から大人まで幅広い層にレッスンをしました。また、弾きやすく耳に心地よい作品を多く書いたことで、ピアノを勉強する女性たちが気軽に楽譜を手に取り作品に親しむことで、それは楽譜の売れ行きに繋がりました。この辺りは、フランスのシャミナーデ、ポーランドのバダジェフスカの仕事ぶりと似た状況です。また、楽器メーカーと提携し楽器販売にも尽力しました。自宅サロンコンサートを開くときは、アガサやグリーグ作品を勉強している他の若いピアニストも演奏のチャンスを与えるなど、絶えず女性の立場に立ち、社会的に広い視点で生きた女性でした。

 アガサが亡くなった際、グリーグは「もしミモザが歌を歌えるとすれば、それはアガサのように美しく親しみのある歌声であろう」と、その悲しみを日記に記しました。


                           

参考文献
Camilla Hambro, "Agathe Backer Grondahl, “A Perfect Plain woman” from The Kapralova Society Journal, Volume 7, Issue 1, Spring 2009.
Nina Steinhaus: Musikkekteparet Klaus Andreas Grondahl og Agathe Backer.
Wikipedia in English
 ノルウェイ語翻訳はエリザベス・オウエンセン(Elisabeth Auensen)、ハンガリーの歯学部で学びながらピアノも勉強していた元生徒さん。ご協力に深い感謝をお送りします。

                          
     この度の演奏は「ユーモレスク 作品15-3」と「アルバムリーフ 作品35-2」。作品はアマチュアのピアノ愛好家に人気だったと言っても、キャラクターの立った易しくない作品だらけです。あまりに素敵な曲に魅入られ、第1回を記念し、続けて2曲お聞きいただきます。