監督も知らない、役者も知らない。  
ひと足先に試写会で、観て感じたまんまをいけしゃぁしゃぁと映画評。   
筆/さそ りさ 
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むのたけじ。
彼は、終戦と同時に新聞社を辞めた。理由は、戦前に戦争協力の記事を書いた責任をとってということだ、が。   
その後は、ふるさと秋田に戻り週刊新聞「たいまつ」を発行。
気骨のあるジャーナリストであることは知っている。

作品は、彼と同じ時代を生き抜いてきた日本初の女性報道写真家:笹本恒子との人間ドラマを描き出したドキュメンタリーである。 
まずは、お二人の100歳対談から(2014年4月)始まる。年齢を感じさせない情熱あふれる語りに度肝を抜かれる。 
彼は戦争記事に対して「国がその権力をもって統制する以前に、ジャーナリスト自身が自己規制していた」と戦前を振り返る。 
自由を旗印に、平和の尊さとその維持の難しさを知る彼の言葉一つひとつが胸に痛く刺さる。 
作品とは直接関係ないが、ノモンハン戦において出兵し“死に残りの兵隊”を著した父の言葉と重なる。 
「いまの日本は、太平洋戦争に向かう当時の気運と酷似している」と案じていた。 
 
 
大学でジャーナリストを志望する学生たちとの討論においても彼の勢いは衰えることを知らない。  
学生たちより、観ているこちらが訴えかけられているようで、もう涙が出てきてしまう。まったく彼の言うとおりだから。  
 
監督の撮影記録を読むと、普段の彼は等身大の老人なのに、ひとたびジャーナリストの火がつくと、そのパワーには驚かされたとある。  
対して、笹本恒子という人はミステリアスで、それが底知れぬ魅力である、と。  
彼女は見た目にも100歳を感じさせない。センスも若い。  
現役写真家ならではの探究心と旺盛な好奇心が魅力の源泉なのだろう。  
 
彼女は、戦後の厳しい時代に立ち向かった女性たちを“激写”し、社会に問いかけている。  
そうした数々の作品一点一点の訴求力には、目が釘付けになる。  
困難な現場に飛び込んいった彼女も凄いが、壮絶に生き抜いた被写体の女性たちも、さらに凄い。  
 
むのたけじの思いは、もう聞けない(2016年8月没)。  
笹本恒子、102歳。フォトジャーナリストとしてファインダーをのぞき続ける。  
武力ではなくペンとカメラ、そして矜持を保ち続け、戦前、戦後、激しく揺れ動いた時代のお二人の証言。  
危うさが見え隠れするいまこそ、明日への選択を示唆する、この作品。父が観たら何と言うだろうか。  
 
2017.4.28試写  
 
2017年6月3日(土)ヒューマントラストシネマ有楽町、ほか全国順次公開