育児ワールドで「ママ」を連呼するのをいいかげんにやめてくれないだろうか、と思っている。
「ママ」にくっついている行動の必要性は分かる。
赤ちゃんがいれば誰かがオムツを替え、お腹を満たし、相手をしなければならない。だが、育児ワールドではなぜ「ママはこうしましょう」と言われるのか。
そのほぼ全てが、ママだけがやるべき行動でもママしかできない行動でもないのに。私自身は子どもの母であっても、「ママ」という言葉でくくられると気持ちが悪い。
私は「今は育児の担当をしているからこれをする」と思っているのに、「ママという属性を持つ以上は(ママだけが、ママこそが)これをすべきなのだ」と迫ってくるような違いを感じるからだ。
最近ネットで少し話題になった紙おむつのキャンペーン動画がある。
タイトルには「初めて子育てするママへ贈る歌」とあり、初めてで孤立した育児が辛くなる母親の様子がリアルに描写されたのち、最後には微笑み「この時間が、いつか宝物になる。」というキャッチコピーが入るものだ。
これを見て、私が気持ち悪さを感じた「ママ」を突き詰めてかつ笑顔になるとはこういうことかと納得した。
つまり、孤立育児をしても「なぜ私一人だけ困り果てなければいけないのか」という疑問は忘れて「ママ」の仕事を全部引き受け、子どものかわいさと自分の努力だけに意識を向けて「大好きな子どものママである私」「大変なこともあるけどかけがえのない時間」と心の底から思うようになること。
ストイックなロールプレイだと私は思う。
「素敵なママ」「ちゃんとしたママ」に期待されることを徹底し、その役なのか自分なのか分からないまでになれたら、勝ち。「宝物」が手に入ることになっている。
「なぜ私だけが」とか、「自分は辛い、ママだけが自分の全てではない」と思っているうちは、この域に達することはできない。
このロールプレイの怖さは、自分で感じたことよりも、その役割を優先してしまうことである。
途切れ途切れの睡眠も一日中自分以外の誰かを優先する生活も辛いに決まってる、と思ってはいけないことになっている。ママなら楽しめるはず、幸せなはず、と。だから苦しくなってしまう。それでもこのゲームで笑顔になるためには、苦しいと思った自分を捨てて「ママ」を演じ続け、なりきらなければならない。
この動画や、「ママ」に対して良かれと思って投げられる言葉の多くが「大変だけど頑張って、通り抜けたらいいことがあるよ」という応援メッセージなのは間違いない。
しかし、私のように母親であっても「ママ」ロールプレイには参加したくない人には、的外れの応援なのである。
■ 小澤さち子 ■