6月、京都文化博物館で第15回「EU FILM DAYS 2017」が開催されている。30近い上映作品のうち、ぜひ見たい作品があった。オーストリア映画「エディットをさがして」。原題/Auf Ediths Spuren/Tracking Edith。監督/ペーター・シュテファン・ユンク/2016年。

 1930年代の英国で社会派の写真家として活躍したオーストリア出身エディット・テューダー・ハート(旧姓スチツキー)を採り上げたドキュメンタリー作品。監督のペーター・シュテファン・ユンクの大叔母にあたる主人公エディットは、若き日、オーストリアでモンテッソーリ幼稚園の保母をしていた。やがて左翼の友人の感化で共産主義者となる。そして彼との別れの際に手渡された二眼レフカメラRolleiflexを手に、ドイツ・ヴァイマルにあるバウハウスで学び、写真家として独立する。

 俯瞰する角度から撮る独特の構図。その古い写真と同じアングルで現存する建物を重ねて撮る映画の手法。街も建物も、あの時代と少しも変わらない。だが人は時とともに変化していく。路上で遊ぶ子どもたちの笑顔と、こちらをじっと見つめる瞳。工事現場で働く労働者の汗と肉体。その一瞬を見事にとらえたモノクロ写真が圧倒的だ。まるで被写体と、見る者との間に無言の言葉が交わされているかのような錯覚。まさにエディットがいう、写真とは一瞬の「対話」ということか。

 ユンク監督は、これまで知られていなかったエディットの過去、即ち、彼女がソヴィエトの情報機関(KGB)のエージェントであったこと、シングルマザーとして、精神に問題を抱える息子との暮らし、秘密警察に追われ、一瞬の隙に台所でネガを焼き捨てるシーン、晩年、自らも心を病み、精神障害者のホームで亡くなるまでの生涯を、彼女を知る歴史家、文書館員、元KGBエージェント、遺族に聞くインタビュー構成で丁寧に描いていく。オーストリア、英国、ロシアの戦前、戦時、冷戦期の映像もふんだんに使い、現代の映像とも重ねつつ、彼女の足跡を丹念にたどっていく。

 上映時間90分、じっと固唾をのんで見ていて、ちょっとくたびれてしまった。でも彼女が、あの時代を意志強く「生きた」という、重いけれども、納得のいく確かなものがズシリと胸に残る。

 20世紀半ばの英国に「ケンブリッジ・ファイヴ」といわれた二重スパイたちがいた。ドナルド・マクリーン、ガイ・バージェス、キム・フィルビー、アンソニー・ブラント、もう一人、氏名不詳の男と。そのうちの一人、キム・フィルビーは英国諜報機関のトップであるMI6(秘密情報部)の長官候補にまで上りつめた男。1937年、「タイムズ」記者としてスペイン内戦をフランコ政権側から取材。1949年、在米英大使館一等書記官として赴任。1963年、逮捕を逃れてソ連に亡命するまで、堂々と本名を名乗り、ダブルスパイとして活動を続けていた。そのフィルビーの連絡員だったのがエディットであったことが、この映画で明らかにされる。

 第二次大戦から冷戦期にかけて、ケンブリッジ大学卒のエリートたちは、なぜソ連のスパイの道を選んだのか。中流階級の恵まれた環境に育ち、最高学府に学び、MI5(保安局)やMI6(秘密情報部)、外務省など情報・外交の中枢で活躍した有能な彼らを、ソ連国家保安委員会(KGB)は二重スパイとしてスカウトしていく。第二次世界大戦当時、英国とソ連は同盟国だったのだ。のちに5人のうち3人がソ連に亡命。フィルビーも1963年、ソ連へ亡命後、東西冷戦終結直前の1988年、モスクワで死去する。

 そんなしたたかなソ連に、まして元KGB出身といわれるロシアのプーチン大統領に、あのトランプ大統領なんか、到底、勝てっこないのだ。

 まあ、007の映画みたい。こんなスリリングな話をベースに、007シリーズの原作者イアン・フレミングはシナリオを書いたのだろうか。ヒッチコックの「北北西に進路をとれ」(North by Northwest)もアメリカがソ連をターゲットにしたスパイ映画だ。ケーリー・グラントもいいけど、やっぱり私のお気に入りは、なんてったって初代ジェームズ・ボンドを演じたショーン・コネリーしかいないんだ。

 当時、エリート学生たちが共産主義へと突き動かされたものは何だったのだろう。1930年代の世界恐慌後の不況。失業者や低所得者たちの「ハンガー・マーチ」(飢餓行進)を彼らは見た。さらに労働党の裏切り。ファシズムの台頭。第二次世界大戦。そしてその後の東西冷戦。彼らが自らの信念で選んだ道は、誰が敵か味方かもわからず、信じられるのは自分ただ一人。ソ連での亡命生活も、スターリン専制下、厳しい監視のもとにあったことは想像に難くない。自ら進んで選んだ道とその結果としての苦悩。そして女と男の恋多き人生。それはそれで納得がいく。

 あの60年代、20代の私にしても、わけもわからず「反帝・反スタ」のスローガンのもと、アジ演説をする男に憧れ、ボーッとなったこともあったっけ。でもあの頃は、なんか女も男も、まっすぐに向き合い、熱をもって考え、生きていたような気もするんだけど。


 ちょっと映画づいてしまって翌日も京都シネマ限定上映の「初恋のきた道」を平日の朝一番に見にゆく。原題/我的父親母親/1999年。監督/チャン・イーモウ。主演/チャン・ツィイー。第50回ベルリン国際映画祭銀熊賞(監督賞)・審査員特別賞を受賞している。

 まあなんて雄大な中国北部の景色なんだろう。広大な原野にめぐる四季が淡々と描かれる。一本の道が初恋を運んでくる。文化大革命期、町から田舎の小学校へ赴任してきた青年教師に恋する少女。デビュー作となるチャン・ツィイーが初々しい。セリフは少ない。でも目と表情だけで十分、二人の心の対話が伝わってくる。教室から聞こえてくる音読の響きもいい。チャン・イーモウの「あの子を探して」もよかったけど、ひと昔前の中国の田舎の風景を懐かしく思い出す。

 隣の席の初老の女性が上映中、ずっともらい泣きしている。終わって、「よかったですねぇ」と、ふっとため息をつき、そっと私に声をかけて席を立っていった。

 「エディットをさがして」が、いま問いかけるものは? 6月15日、理不尽にも共謀罪が強行採決された。1960年6月15日から57年目。あの日、樺美智子さんの死を聞き、「安保反対」の御堂筋デモに加わったのは高校生のとき。祖父から孫へ続く、安倍一族の暴挙は決して忘れない。

 これから個人への監視はますます強まるだろう。共謀罪処罰発祥の地の英国でさえ一定の人的範囲を適用除外しているというのに。米国にも一般的な共謀罪処罰のない地域があるというのに。 ほんとはのんびり映画を見ている場合なんかじゃないんだけどなあ。

(写真「エディットをさがして」 ©Family Suschitzky。「初恋のきた道」はcredit free)