
「何かとても嫌なことが起こっているが、それが何なのかしっかりと言葉にできず、行動ももできない。」そんな気持ち悪さを抱えている。
ここ何か月か、私としては今までになく熱心に政治ニュースを追いかけてみて感じたのは、「こんなふうではなかったはずだ」ということ。
政治家のスキャンダルがあればもっとマスコミは大騒ぎしていなかっただろうか。政権への批判はもっとごく普通にかつシビアな言葉で行われていなかったか。
国会とはこういう場であっただろうか。
何かが違っているのではないか。そう感じて、ふと思い出した言葉がある(出典が確認できず恐縮だが、アンネ・フランクの父オットーの言葉と記憶している)。
「どんなに恐ろしいことでも、小出しにされるとずいぶん我慢できるものだね。」
いつのまにか、少しずつ何かが変わってきているのではないか。私が「嫌なこと」と感じる方向へ。
しかし、にわかにニュースを見ただけでは、以前はどうだったが今はこうだと、例えば何かの数値や基準でもって説明できるわけではない。
現在進行中の事件について、これは違法、通常とは違う異例のことなどと具体的に判断するだけの知識は私にはないし、「かつてはこうであった」という比較可能な例を出せるわけでもない。
そもそも何がどのように問題かを理解し、どうあるべきかを考えながらニュースをフォローしていくのはかなり大変だ。
それを思うと、「何かがおかしい!」という怒りの次に来るのは、「でも、私が何をできるわけでもない」という無力感であった。
しかし、ここで立ち止まるわけにはいかない。
この「気持ち悪さ」は私にとっては初めてではない。
10数年前に大学で政治学ゼミに所属していた私は、「ナショナリズム」「保守化」「ジェンダーフリーバッシング」などのテーマに触れていた。その時も、一体これは何なのかと憤っていた。
しかし、就職した後はだんだんとこうしたテーマから興味が離れ、結局未消化のままになっていた。
そうして今またこの「気持ち悪さ」と再会してしまった。あの時の…という思いがあるだけに、今はさらに重さを増している。
今度この「気持ち悪さ」を無視したら、きっと私は後悔する。
自分が感じたことは大事にする。怒りも忘れない。でも、感情に任せてできることは少ない。「気持ち悪さ」を消化するためには頭を使わなければいけない。こつこつとでも取り組み続けなければ、私は私なりの向上だけでもしなければ。せめて後悔しないようにしなければ。
■ 小澤さち子 ■
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