
アステージ(明日のステージ創り手)メンバー
第1期生は、16人。
「動けば変わる。社会は変わる。」プロジェクト(主催:レッツ・アステージ、共催:WAN)で、WANシンポジウム2017@北海道・札幌のレポーターを務めました!
「自分ゴト」の半径が3メートルから30メートルに広がる瞬間を実感したメンバーからのレポートを連載します。
アステージ・メンバー第1期生
近藤佳美(こんどう よしみ)
5月20日(土)札幌で、WANシンポジウム2017「“自分ゴト”から始まる社会づくり-半径3メートルをこえて」に参加してきました。
札幌まで行くのは遠いと思っていましたが、ちょうど自分で立ち上げた女性団体が2年経ち、今後の方向性や組織運営に悩んでいた時期でもあり、社会を動かす実践をされている方に会えたら、何か良いヒントが得られるのではと期待し、参加しました。
札幌は半袖がちょうど良い、初夏の気候でした。エルプラザ内のホールには多くの方が集まり、女性団体のイベントとしては、男性も多く参加されていたように思います。オープニングセッションとして石本裕子さんのピアノ演奏があり、会場が温かくなったところでシンポジウムがスタート。
今回のテーマのモトになった本『そろそろ社会運動の話をしよう-他人ゴトから自分ゴトへ。社会を変えるための実践論』(2014年、明石書店)の編著者であり、法政大学総長の田中優子さんの基調講演。その後、“自分ゴト”から「社会を変える」実践事例として、4名の方が発表され、最後は登壇者でパネル討議と3時間半があっという間に過ぎていきました。
私が最も心を動かされたのは、田中優子さんの基調講演での「権利主体」についての部分です。どうやって生きることが「良き市民」かという中で、編著の第2章、平塚眞樹さんの文章を引用し、「人の生命は主体的にではなく他から付与されて誕生する。
その根源的受動性を、人は周囲の人々や社会に受け入れられることで、主体性を獲得し、その場の権利主体だと感じるようになる。…学生がこの大学、この学部にまずもって受け入れられ、自分たちがこの場の権利主体であると認識できる環境をつくることができているか?」と話され、「相手を受け入れるプロセスが重要」と語られた部分です。
私は、田中さんの「学生たちに対して権利主体と感じられる環境ができているのか」という問いが、「市民のための大学」として建学された法政大学のあるべき姿を目指す、田中さんの、総長としての強い思いを感じました。また相手を受け入れ、権利主体と感じられる環境づくりは、上に立つ者としては常に意識しなくてはならないことだと気づかされました。
他の登壇者の方のお話も皆、共感できるストーリーがあり、思わず応援したくなるものばかりでした。パネル討議で鎌田さんが「活動を幅広い人に理解してもらうには、より広い人の価値観に訴えるようにしないといけない。
性暴力と聞くと辛い感じがするが、人間の尊厳にかかわるというと誰にも当てはまる問題になるため、多くの人と価値を共有してもらえる」と語っていました。社会を変えるには、多くの方と共感が必要であり、抽象度をうまく調整し、発信していくことも活動の中では必要だと理解しました。
何か良いヒントをと思い参加したシンポジウムは、ヒントだけでなく、自分の活動の原点や、本当は何をしたいのかをあらためて考える機会となりました。
ありがとうございました。
三ツ井瑞恵(みつい みずえ)
シンポジウムに参加する以前、社会問題とは政治や経済、組織などのもので、世の中には様々な問題があるものの、私のような主婦には解決するための力はあるはずはなく、社会的に力を持つ人や、活躍している特別な誰かが、世の中を良くしていってくれるのだろうと、まさに「他人ごと」「他人まかせ」の考えであった。
シンポジウムに参加する中で、「自分ごと」へと意識の変化が起こったきっかけを本レポートでは述べたい。
まずは、田中優子先生の基調講演で「ブラックバイトと労働運動」の事例が、社会問題は自分のすぐ隣にもあったと「自分ごと」に思うきっかけとなった。私にも「おかしい」と思う経験があったが、自分が至らないせいだと諦めることで思考を停止させ、我慢することを選択した。しかし、「それでは自分も周囲も社会も変わらない」のである。実際に私が嫌な思いをしただけで何も変わってはいない。
もし私が、ふさわしい相談相手を見つけていれば?同じ困難に直面した人々と知り合えたかもしれない。「問題に直面したとき、どう行動するか?誰かに相談する、話し合う場を作る、本を読んでみる、私たちはそんな風に始めるものだ。」そして、一人で悩んでいる時は気がつかなかったことも相談することによって、自分だけの問題ではなく、課題を社会に共有でき、潜在している問題を顕在化させることができる。
事例報告では、4名の登壇者からの活動事例の報告があり、各々の個人の体験のストーリーに会場の参加者からも共感に対する色カードでの意思表示があった。人は自分が体験した以外の出来事も、想像力を持って話を聞くことにより共感でき、自分自身が困っていなくとも、家族や友人や大事な人が困っているのであれば、力になれるのである。
普通の市民が立ち上がり、それぞれが持っている力をコミュニティのために結集し、社会のしくみを変えていく「コミュニティ・オーガナイジング」という社会運動の手法は特に興味深いものであった。
人々は古くから、一人一人の小さな力を合わせてより良い社会を実現してきていた。社会とは、人間が集まって生活を営む、その集団のことであり「問題に当事者として直面したとき、その解決に向けて主体的に行動する意欲と方法を持ち、個人の問題であったとしてもそれを社会の問題、時には世界の問題として捉え直す視点と思考を持っている人」そうした市民になることが、まず社会を良くする一歩であろう。
社会を変える力はないと思っていた自分が、どうしたらいいかを考えられる自分でありたいとシンポジウムを通して、心境に変化があったことは大変有意義であった。
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