2017年9月29日「おおよそ70の女たち」のパーティが開かれます。団塊世代のリブ経験者たち、わたしも呼びかけ人のひとり。
おおよそ10年前、2008年7月26日に「大凡60の女たち」の還暦祝いパーティが開かれました。メンバーはほぼ同じ。10年経って、誰が残り、誰が去っているだろうか...と案じましたが、幸いみなさん、お元気なご様子。
10年前に書いたエッセイが残っていましたので、再録します。このときのメンバーに再会したいひと、いまのうちにナマで会っておきたいひと...はぜひどうぞ。まだチケット(3500円)に余裕があるそうです。(問い合わせ先はTEL03-5738-7181 FAX03-5738-7180 Email aoitori@aoitori.org)
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還暦((上野千鶴子『ひとりの午後に』日本放送出版協会、2013年所収)
還暦を迎えた。
お祝いに、赤い薔薇と赤い口紅と赤いパンティをもらった。そのほかにも、赤いネックレスや、赤いタオルや、赤くないショールや、猫の置物などをもらった。赤いちゃんちゃんこはもらわなくて、よかった。
たくさんの人にお祝いをしていただいて、ほんとに幸せ者だと思った。
生まれて60年。
還暦という。干支(えと)がめぐってひとめぐりするから、本卦還り。生まれた年に還るから、赤ちゃん還りのシンボルに、赤いものを身につけるのだそうだ。この夏は、赤いTシャツや、赤いアクセサリを身につけて過ごした。
60年。よく生きたと思う。こんなに生きるはずではなかった。
自分をほめてやりたい気分だ。
人生のピークは過ぎている。もうやりなおせないことばかりだ。後悔だってないわけではない。ふりかえってみれば、これが自分の人生だった、と過去形で語る年齢になってしまった。
40歳すぎたら、時間が経つのが早くなって、というひとがいる。
そんなふうに思ったことはない。40歳過ぎてからの1年、1年も、そのつどじゅうぶんに長かった。ひとつひとつのしごとをこなし、いまをめいっぱいに過ごし、綱渡りのような日々をやりすごすのにせいいっぱいだった。ひと波越えるたびに次の波が待ち受け、息をつくひまもなかった。1年が終わるたびに、やっと今年も暮れたと思い、1年前のことは、十年も昔のことのように思えた。これを充実というのだろうか。あとさき見るよゆうもなかった、という点では、たしかに「充実」と言ってよいのだろう。
だが。もういちどやりなおしたいか、と訊かれれば、1回でたくさん、と答えるだろう。
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2008年7月26日に、「大凡(おおよそ)60女のパーティー」が開かれた。主催したのは、リブ世代の女たち。1947年、48年、49年生まれのベビーブーム世代の女たちに、一堂に会してお互いの還暦を祝いあおう、と呼びかけた。
もりたて人は、麻鳥澄江、平川和子、米津知子、丸本百合子、田中美津さんなど、リブの担い手だった女たち。かつて魔女コンサートをやった中山千夏さんもいる。リブの頃は東京にいなかったので、当時の熱気を知らないわたしも、お仲間に加えてもらった。
演出は女だけの劇団「青い鳥」。少女のままの無垢を抱いて、そのまま年齢を重ねたようなふしぎな集団だ。
60歳。よくも生きてきたと思う。それぞれに平坦とは言えない人生を歩みながら、どのひとも「そのひとらしい」軌跡を描いて。あのリブから40年も時間が経ったのだ。
わたしは周囲の若いひとたちにこう声をかけた。
「リブ世代の女たちがまとめて集まる機会よ。もうこんなことは、これから先、二度とないかもしれない。見に来る価値はあると思うよ。」
若者たちは、おっかなびっくりやってきて、それでも受付や裏方など、その場にすっかり溶けこんで働いてくれた。自分の3倍もの年齢の女たちが、こんなに楽しげに生き生きと集まっているのを見て、刺激を受けたと思う。
リブの女たちは芸達者が多い。しちめんどうなリクツをこねるより前に、カラダが動くひとたちだ。歌って踊って、のノリのよさは、とてもまねができない。こういうとき、「歌って踊れる研究者」になれないわが身の無芸ぶりが情けない。とはいえ、「歌って踊れ」ていたら、研究者などにならずにすんでいただろう。
吉岡しげ美さんは、与謝野晶子や金子みすゞの詩を、ピアノで弾き語りしてくれた。伝説のロック歌手、中山ラビさんは、やぶれジーンズにパンクなかっこうで、まんま時間が凍結したようなロックを絶唱してくれた。正真正銘の芸人の中山千夏さんは、おしゃべりと自作の歌でもりあげてくれた。
そのなかで、この会を思いついて、実行した歌手の麻鳥さんの作詞した歌を、在日の歌い手、李政美さんがのびのよい声で歌いあげてくれたのが、心に響いた。麻鳥さんが、李さんに、「お誕生日のプレゼントに、歌を歌ってくれる?」とおねだりして、快諾してもらったものだという。すてきな還暦祝いだった。
「満月の夜」と題したうたを一部、紹介しよう。
光あふれる 満月の夜
耳を澄ませば 海の音
名もない岸に ひとり立つ
祈る気持ちです 今日の夜
時を刻む潮の中で
生まれたこの日が めぐり来る
抱きしめる 辿り返す 時を越えて
寄せては返す 波のように
めぐり来る満ち潮のさざめき
まるごとのわたしが 満ちてくる
潮は女のリズム。麻鳥さんは、孕む女の充実をイメージして、詞を書いたという。彼女自身は母になっていないが、この気分は母にならない女にも、体感できる。歌詞のなかには、「何も怖いものはない 果てない宇宙も この手の中に」という1節もある。
「まるごとのわたしが 満ちてくる」とリフレインする歌詞には、ひとりの充実、わたしのほかに何もいらない何も恃(たの)まない、女の豊かな自恃と充実とがあって、わたしは思わず涙ぐみそうになる。
「大凡60女のパーティー」は、麻鳥さんが、自分自身の還暦のために企画した贈り物だったが、それは参加したわたしたちにとっても、彼女からのすばらしい贈り物になった。彼女は寛大にも、この豊かな時を、ほかのひとたちとわかちあおうとしてくれたのだ。
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パーティのあいだ、折りをみては参加者のひとりひとりが、記念撮影をした。コスプレ用のかつらや衣装、小道具の類が用意してある、遊び心いっぱいの周到さ。わいわい言いながら扮装して、写真を撮ってもらう。
フィナーレはそのひとりひとりのプロフィールが、画面いっぱいにスライドショーで映し出される、という趣向だ。この場にいるひとりひとりが主役、というメッセージが伝わってくる。
「もうこんなことは、これから先、二度とないかもしれない」と、若い人たちに言ったときには、口には出さないが、こんな思いがあった。あと10年たてば、還暦の女たちは70歳になる。20年経てば80歳になる。このなかのだれがこの世を去り、だれが残っているだろうか。今日この場に会した人たちのすべてが、10年後、20年後にふたたび一堂に会する可能性はあるだろうか・・・。
わたしだけでなくほかのひとたちも、口には出さないが、同じ思いだったことだろう。
おわかれの歌は、中山千夏さん作詞の「さよなら」。
さよならのほんとのいみはね
また会いましょうってことよ
だから さよなら さよなら さよなら
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中国語で「再見(ツァイチェン)」、ドイツ語で「アウフヴィーダーゼーエン」は、たしかにどちらも「またお会いしましょう」という意味。日本語の「さよなら」は、「さようならば…」の含みを持たせる。
たとえ気休めでも、一時の思いこみでもいい、「さよなら」に万感の思いをこめて、「また会いましょう」と歌う。いつのまにか、会場の参加者は総立ちになって肩を組みながら歌いつづけた。歌の力、詩の力を感じた時間だった。
こんな還暦パーティは、これが最初で最後だろう。