この秋は、キューバ革命の立役者、チェ・ゲバラ(享年39歳)の没後50年になる。
「革命への共感、今も」と毎日新聞山本太一記者は、1967年10月9日、親米軍事政権とCIAの手によって処刑されたゲバラを偲ぶ記事を、ボリビアの現地から何度も書く。

 「誰もが医療や教育を受けることができる社会にしたい」と中南米で革命の夢を追い続けたゲバラ。1955年、フィデル・カストロと出会い、キューバ独裁政権を倒すゲリラ戦に参加、1959年1月、革命政権を樹立。工業相や国立銀行総裁を歴任し、インド、ユーゴ、ソ連、チェコ、中国、北朝鮮、東ドイツを訪問。1959年7月には被爆地・広島を訪れる。アフリカのアルジェリア、コンゴへ軍事顧問として赴き、1966年、ボリビア軍事政権に抗してゲリラ戦を展開。1967年10月8日、アンデス山中の人里離れた寒村ラ・イゲラで、CIAに支援されたボリビア軍に捕まり、翌日、処刑される。その30年後の1997年7月12日、ボリビア・バジェグランデで遺骨が確認され、その日にキューバへ送還されたという。

 「世界は、変えられる」という「もう一人のゲバラ」がいた。映画「エルネスト」の上映が10月6日から始まった。チェ・ゲバラと共闘した日系人・フレディ前村ウルタードは「エルネスト・メディコ」と、ゲバラのファーストネームを戦士名として与えられ、母国ボリビアのゲリラ戦線に加わる。1967年8月31日、渡河の途中、政府軍の待ち伏せ攻撃にあい、負傷。死亡した他のゲリラ兵士の身元確認要求を拒否したため、政府軍に銃殺される。25歳没。彼もまた今年、没後50年となる。

 映画「エルネスト」。監督・脚本/阪本順治。原作/マリー・前村ウルタード、エクトル・ソラーレス・前村『チェ・ゲバラと共に戦ったある日系二世の生涯』。キャストは、フレディ前村ウルタード/オダギリジョー。森記者/永山絢斗。チェ・ゲバラ/ホワン・ミゲル・バレロ・アコスタほか。製作、日本・キューバ合作。

 日本人スタッフ27人、キューバ人スタッフ100人による1カ月半のキューバロケ。スペイン語の明るく、力強いセリフを全編スペイン語で演じるオダギリジョーがいい。

 フレディは1941年10月、鹿児島県出身の前村純吉とボリビア人の母ローサの次男としてボリビアのベニ県トリニダに生まれる。17歳で市政の腐敗を糾弾し、市長を汚職容疑で告発して投獄され、21歳で医者を志し、1962年、キューバの国立ハバナ大学へ留学。半年後、米ソ冷戦下の「キューバ危機」に遭遇。あわや一触即発の核戦争の危機が、ケネディとフルシチョフの裏面交渉で回避されたと、当時、大学生だった私は胸をなで下ろしたものだった。しかしそれはキューバの意向を全く無視した理不尽な「解決」だったことを、この映画で初めて知った。民兵に志願した医学生たちの前で、フレディはその理不尽さを上官に激しく抗議する。ロケ中、この場面でOKが出た時、キューバ人スタッフは万感の思いを込め、オダギリジョーに大きな拍手を送ったという。

 映画で、医学生たちが学ぶ解剖シーンは示唆的だ。ホルマリン漬けのプールから死体が採りだされ、解剖後、丁寧に葬られる遺体。幼い頃のフレディが川で溺れそうになった記憶とも重なり、ゲバラとフレディの、二人の「エルネスト」の死の伏線ともなる印象深いシーンだ。

 母国ボリビアの軍事クーデター勃発を機に、フレディと、もう一人の友は革命支援隊に志願する。指導教授は二人にインターンの取得を条件に退学を許可。恋人にも友人にも何も告げず、二人は忽然と姿を消す。厳しい軍事訓練を経て1966年11月、チェ・ゲバラに参軍。反政府ゲリラに身を投じてボリビア山中へと向かう。

 オダギリジョーはロケ入り前に「身一つでいく気持ち」と語ったとか。フレディ前村とオダギリジョーが重なり、ゲバラとフレディの最期とも重なって、映画のラストは胸が締めつけられる思いがした。あんまり泣きすぎて、しばらく席を立つことができず、明るい外へ出るのが、ちょっと恥ずかしかった。

 1999年1月12日、キューバ革命40周年を迎え、毎日新聞に『チェ・ゲバラ 情熱の人生』の日本語訳を自費出版した、日本に住むドイツ人女性レナーテ・ヘロルドさんのインタビュー記事が載った。1997年、アルゼンチンで刊行された『Che. Sueno Rebelde』の日本語版だ。アルゼンチン、メキシコ、スペイン、ブラジル、ドイツ、イタリア、中国、ギリシャの世界8カ国で出版され、アルゼンチンではベストセラーとなる。キューバの写真家・コルダが撮った、あの有名な写真は、世界中の学生運動のシンボルともなった1枚。未公開写真も含めて400枚以上の写真を収録。写真と文章の見事な調和ともいえる一冊だ。 編者/フェルナンド・ディエゴ・ガルシア、オスカー・ソラ。著者/マティルデ・サントス。訳者/レナーテ・ヘロルド。発行所/スタジオ・ナダ。

 出版後しばらくして京都のウィメンズブックストアに、この本が贈られてきた。ひと目見て魅せられてしまい、店長の中西豊子さんに頼みこんで譲ってもらう。その分厚い本は今、本棚に並ぶ。

 「騾馬が近づいてきた時にチェが見えてきた。腰に弾薬とピストルのついた革製弾薬帯をしめていた。シャツのポケットから雑誌が顔を出し、首からカメラがぶら下がっていて、角のある顎の回りに髭になりかかった毛がぼつぼつ生えていた」(ホルヘ・マセティ『戦う者と泣き寝入りする者』)の文に添えて、騾馬バランサとともにゲバラの写真が載る。

 「行動を起こさなければ、戦わなければ、自分の考えを実現しなければならない。泣き寝入りをするのではなく、戦うことだ」(エルネスト・チェ・ゲバラ)。ああ、そんな楽観性をもちたい。

 何が正しくて何が間違っているかを見抜く目を。ほんとうのものを選びとる、ひとにも自分にも素直な、まっさらな心をもちたい。ゲバラやフレディのようになれるなら。

 「目覚めよ」と、ゲバラとフレディ前村は、今、日本の私たちに告げているのではないかと、ふと思いながら、10月22日の衆議院議員総選挙の投票日を迎える。

映画「エルネスト」 ©2017“ERNESTO”FILM PARTNERS.