
岩手県沿岸部を旅した2014年夏、詩にもなにかできないかと、本書の編著者で、詩の書き手でもあるわたしは考えました。海辺の一帯は広大な更地。いえ、瓦礫も残っていました。ラーメン屋に入れば、津波で夫をなくした老媼が、友だちに思い出話をしながら涙ぐみ、すし屋で隣りあった男性は、妻が震災ウツを患ってしまった、と……。あの日が忘れられつつある「いま」がいちばん辛い。そんな声も聞きました。
被災地の仮設住宅などを会場に、継続的な催しができないかと、日本現代詩歌文学館(岩手県北上市)に協力をお願いしたのは、その秋の初めのこと。
けれど、ふだん書いている詩は、いわゆる難解系なわたしです。自作朗読などしたところで、かえってご迷惑というもの。会場のみなさんが積極的に関われるワークショップがいい……。そこで、いくつか考えたプログラムのうち、アタリをとったのが、啄木短歌の土地言葉訳でした。
大船渡弁は「ケセン語」とも呼ばれ、地元が誇りを持つ言葉。そして、会場に集まる8割以上は、当地で「おんば」と呼ばれるご年配の女性。ケセン語の達人ぞろいでした。かねてから、土地言葉に興味があったわたしにとっては、最高の「師匠」とのめぐり合い。準備した啄木短歌のプリントを配ると、「んだなぁ」と、熱心にとり組んでくださいました。
つまり、この翻訳は、文語短歌を、大船渡の話し言葉に訳したのはもちろんですが、近代文学の寵児と言っていい青年の作品を、地べたに根を張ったベテラン女の目線、生活感覚と身体感覚がともに溢れたおんばの声で、読み替え、語りなおしたもの。
たとえば、啄木の「ある日のこと/室(へや)の障子をはりかへぬ/その日はそれにて心なごみき」が、おんば訳されると、
いづがのごど
座敷(ざすぎ)の障子(そーじ) はり替(げ)ァだれば
その日(ひ)ァそんで さっぱどしたったぁ
啄木では、張替えをしたのは、ゼッタイ奥さんですよね?
「心なごみき」と、のん気ですもん。一方、おんばは、「さっぱどした」。せっせと体を動かした人の汗の実感が、一語に宿ります。
啄木の悲しい歌の訳には、津波の体験がおのずと込められるようです。恋歌をおんばの声に通せば、情熱がまっすぐに……。そして、ところどころで醸されるユーモアには、思わず吹き出してしまいます。そんな訳を、2年間の催しで100首集めました。
毎日新聞のウェブ版では、インタビューとともに、翻訳の様子が生き生きと紹介されています。https://mainichi.jp/articles/20171013/mog/00m/040/009000c
大船渡のおんばと横浜在住のわたし。女どうしの屈託ないつながりの産物でもあります。おんば訳の声が聴けるQRコード、啄木との比べどころを解く解説やエッセイも収録。「WAN」のみなさん、ぜひご覧くださいませ! (編著者)
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