安藤忠雄「光の教会」

 国立新美術館で開催中(12/18まで)の安藤忠雄展に行ってきた。もっと早くに行きたいと思いながら、余裕がなかった。
 美術館で建築展を開催するのは異例である。しかも会場には、安藤さんの代表作のひとつである、大阪の「光の教会」が原寸大で再現してある。わたしはこの教会建築を知っていたが、現地を訪れたことはなかった。いつか行ってみたいとおもっていたその建物を、体感する得がたい機会だった。
「光の教会」は大阪府茨木市に、狭い敷地と低予算という悪条件のもとで立てられた教会堂。当初予算3500万円で実現したこの教会と同じものを、国立新美術館の敷地内に再現するのに7000万円かかったという。会期が終われば原状復帰のために撤去するコンクリートの建築物を、採算を度外視して再現した安藤さんにとっても、この建物はとくべつの意味を持っているのだろう。現に図録のトップページには、この教会の内部にたたずむ安藤さん自身の肖像写真が載っている。
 実はこの「光の教会」とわたしには縁がある。『生き延びるための思想』(岩波書店、2005年)を刊行したとき、装丁にこの禁欲的な祈りの空間の写真を使いたいと考えた。しかもかつてクリスチャンであり、教会を離れた棄教徒のわたしが、祈りを禁じ手にしたことが伝わるように、装丁家には、十字架が十字架に見えないような工夫をしてほしい、と無理難題を要求した。

 その結果、生まれたのがこの装丁である。装丁家(後藤葉子さん)はみごとにわたしの要望に応えてくれた。それ以前に、ご自分の愛着ある作品を、わたしの著書の装丁に使うことを許可し、あろうことかそれを加工することに異を唱えることのなかった安藤さんのふところの深さに、今でも深く感謝している。
 『生き延びるための思想』の「あとがき」から引用しよう。
「本書の装丁に、敬愛する建築家、安藤忠雄さんの作品「光の教会」を使いたい、と閃いた…。安藤さんはつねに倫理的と言ってよいほどの禁欲的な空間をつくりつづけてきた。その人が、教会建築をつくる。いったいどんな?と思ったら、その作品は意表を衝くものだった。闇の空間を切り裂くように、十文字のスリットが壁を穿つ。そこには空無以外、何もない。そう、そこには何もない、のだ。あなた自身の希望を託すスペース、のほかは。…大阪の近郊にある安藤さんの光の教会は、垂直方向にだけでなく、水平方向へと、スリットがうがたれている。当初の予定では、ガラスを入れる予定のなかったこのスリットからは、寒暖の変化や、街のざわめきの気配がとどめようもなくはいりこんでくるはずだった。教会の壁は、あの世とこの世、彼岸と此岸、信者と非信者とを、遮断しない。」
 また、こうも書いている。
「わたしがフェミニズムを選んだのは、祈らずにすむためである。此岸のことは此岸で。彼岸に渡らなくても、「神の国」を待ちのぞまなくても、ユートピア(どこにもない場所)を夢みなくても、生きていけるように。
(中略)
フェミニズムはこの世の思想。この世を生き延びるための女の思想。人間がひきおこした問題なら、人間が解決できるはず。「祈りましょう」と無力に唱える代わり、いま・ここで生き抜くための方途を、ともに探ろうとしてきた。
(中略)
本書は、「祈り」のぎりぎり傍まで行って、その手前でとどまろうとした者の「此岸の思想」だ。」(本書、273-4頁)

 安藤さんの作品に戻ろう。
 わたしは「住吉の長屋」以来、安藤さんの作品に関心を持ってきた。今回の展覧会でおよそ半世紀にわたる彼の足跡を辿って、「住吉の長屋」から「光の教会」までを通底するかれの首尾一貫性を感じた。それはコミュニティから空間を切り取って隔離し、代わってミクロコスモス(人間の身体)とマクロコスモス(自然)とを交流させる空間の装置だったのだ(その意味で、浅田彰の図録「解説」はよく書けている)。
 そう思えば彼の宗教建築の謎が解ける。安藤さんほど宗教建築を依頼される現代建築家もいないだろう。現地で見てきた北海道の「水の教会」は、静謐で潔癖な空間にキリストとキリスト者の受難を水面に映していた。それ以外にも、教会建築や寺院建築を多く手がけていることを今回の展覧会で知った。わけても「頭大仏」には度肝をぬかれた。札幌郊外の霊園で、大きさが目立つだけのもてあまし者だった大仏を、「埋めちゃいましょう」と頭だけ出して地下の参拝路を作った。周囲から切り取って隔離した空間が、ミクロコスモス(個人)とマクロコスモス(自然すなわち仏性)とを直接に対峙させる装置となる。長い地下の参道は、胎内巡りの効果を果たす。ここでの「自然」は、光と空気、そして水。アニミズムの自然ではない。カソリックよりはプロテスタンティズムの垂直性に近い。安藤さんに建築を依頼する宗教者たちは、おそらく彼にそのような精神性を直覚しているにちがいない。
 
 いろいろ毀誉褒貶はあるけれども(有名人にはつきものだ)、安藤さんがその模倣者や追随者の誰とも似ておらず、ユニークでありつづけたこと、そしてひとりの天才でありつづけたことに、圧倒された。
 会期は12月18日まで。あなたにも体験してほしい。
http://www.nact.jp/exhibition_special/2017/ANDO_Tadao/