シリーズⅡ第7回は、三宅榛名さんをお送りします。
1942年、東京に生まれ、東京で育ちました。幼少期よりピアノが好きで、時代的にも厳しい先生が多い中、子どもの個性を大事にしてくださる先生に恵まれました。好きな曲を気の向くままに弾いていたそうです。研究者の父親の仕事で高校時代はカリフォルニアで過ごします。いったん帰国し、日本で高校を卒業、その後ジュリアード音楽院入学のため、再びアメリカ生活を送りました。
ジュリアード音楽院では、アメリカの代表的な作曲家・ヴィンセント・パーシケティ(Vinvent Persichetti)に師事しました。学生時代からすでに頭角を現し、「弦楽オーケストラの詩曲」でベンジャミン賞の受賞に始まり、ニューヨークのアートシーン、リンカーンセンターのオープニングに際しては、NYチェンバーミュージック・ソサイエティの委嘱により「SIX VOICES IN JUNE」の世界初演が行われました。日本人では三宅さんが唯一委嘱を受けた作曲家で、若い時から世界的な評価の高さを窺える栄誉です。なお、リンカーンセンターは、マンハッタンにある一大芸術施設、メトロポリタン歌劇場、ニューヨークフィルハーモニーの本拠地ホール。また、ジュリアード音楽院は古くはコロンビア大学の通りを挟んだ向かい側にありましたが、この時に引越し、リンカーンセンター内にあります。

筆者にとって三宅さんは、ジュリアードの尊敬する先輩であり、初めて親しくお話しさせていただいたのは、1990年代、東京の「ジュリアード同窓会」の場でした。静かな佇まいに意志の強そうな視線を感じました。きれいなお声で、でもお思いのことをはっきりおっしゃる、そういう印象を受けたものです。
その後、ピアノも達者な三宅さんの自作パフォーマンスに伺い、それは在りし日の前衛舞踏家・大野一雄さんとの競演、両国シアターΧ(カイ)の舞台でした。大野さんの哀しげながら激しい踊りに、三宅さんの小さなお身体の、どこからこのパワーが?と思うほどの、激しいリズムに達者なテクニック、素晴らしい二人のアーティストにすっかり心を奪われました。
また、ある時はお誘いをいただいて、女声合唱団のコンサートに伺いました。三宅さんの委嘱作品がプログラムにかかりました。作品の静謐さ、輪になって歌う女声合唱団の皆さんの、プロはだしの実力に、ただただ舌を巻きました。
その帰り道のおしゃべり、「あの子たち、あんなに素晴らしくて海外から招聘コンサートも受けるほどなのに、何せ欲がないの、興味のあることと言ったら、海外で何のブランドバッグを買おうかなのよー。あんなにうまいのにねー」とおしゃったのです。あの素晴らしい合唱団の女性たちはそんな風なのか・・・と、「まぁ、それは・・もったいないですね」、三宅さん「そうなのよー、もったいないのよー」とお話ししたことを今も鮮明に覚えています。その日は、今となると舞台女優/歌手としてご活躍のお嬢さんもご一緒でした。

2016年12月に前述メトロポリタン歌劇場は、初の女性作曲家のオペラを上演しました。メトロポリタンにして2016年が初めてだったのです。フィンランドの女性作曲家カイヤ・サーリアホ(Kaija Saariaho, 1952-)の作品が起用され、NYタイムスには好評な批評が載りました。
一方、日本では、NHK大河ドラマの音楽を担当することは一般への知名度が上がるきっかけとなると思いますが、日本の音大出身の男性作曲家が連綿と起用されてきました(中には異色の一般大学出身者や海外帰りの方もいらっしゃいます)。
2017年1月、女性を主人公とした大河ドラマに女性作曲家/菅野よう子氏が選ばれ、2018年も引き続き、富喜晴海氏が選ばれました。初めて起用された大島ミチル氏(2009年)から女性作曲家は3人、大河ドラマ通算57回にして(2018年時点)この人数は、男女平等指数が下がる一方の日本社会における、これも女性の地位をあらわす一端と捉えました。
加えて、日本の社会は世界的ランキングの高い大学出身者より、国内ランクの高い大学出身者を重用する傾向にありますが、クラシック音楽の業界も同じ状況にあります。この体制はなかなか変わることなく、今後も続いていくのか考えるところです。
三宅さんの作品は、子ども向きの親しみやすいピアノ作品「赤とんぼ変奏曲」、「ピアノソナタ」、「鉄道唱歌ビッグ変奏曲」、「北緯43度のタンゴ、」「見慣れぬ夏の日に」など、多数あります。ハーモニカとピアノ作品の「ポエム・ハーモニカ」、「奈ポレオン応援歌」、ピアノとオーケストラの「ピアノ・コンチェルト」も作曲しています。
また、ジャズ奏者との共演には、ウェイン・ショーター、ジョン・ゾーン、フレデリック・ジェフスキ、前述の前衛舞踏家・大野一雄氏、能の観世栄夫氏との共演もあり、即興演奏も得意としています。
ピアノ演奏の達者さからピアニストとしての活躍も多く、現代音楽の高橋アキ氏、高橋悠治氏等との競演も数多くあります。また、富士通のテレビコマーシャル「高倉健とコンピューターシリーズ」の音楽や、映画音楽も数多く手がけました。
1976年より渋谷ジャンジャンで「現代音楽は私」を主宰、様々な実験音楽を展開しました。後年、フェリス女学院大学音楽芸術学科で作曲とピアノの教授に就任し、後進の指導に大きな業績も残しました。
CDも多数出版されています。
「いちめん菜の花」「五十億光年の子守歌」「空気の音楽」「Short Takes」「Angels have passed」「sense tempo」「Live 1989」その他。
著作は、「アイヴスを聞いてごらんよ」(1977)、「音楽未來通信」(1984)、「振り向けばダ・ヴィンチ」(1982)、 「作曲家の生活」(1995)等。軽やかなことばづかいに、まるで小粒な山椒がピリリ、実に読みやすいのです。クスッと笑ってしまう独特な風刺とユーモアに非凡さを感じさせます。「音楽未來通信」の中、夫で作家の柴田翔さんのご友人・小田実さん宅でのある日、おもしろい描写でした。
1976年のエッセイ文中では、まだ小さなお嬢さんを育てながら作曲もする生活に、お嬢さんという小さな邪魔がしょっちゅう入り、時にはうんざり・・と、仕事と子育ての間でジレンマもお持ちだったことが読み取れます。でも、邪魔が入るのも含めて人生だし、音楽においてもそれがひっくるまれないのだったとしたら、ずい分貧しい音楽になってしまうと思うのだ・・と記されています。
ここまで折に触れて三宅さんが掛けてくださったお優しいことばが心に残っています。凛としたお姿は、圧倒的に他と一線を画しています。筆者も長年のファンの一人として、このエッセイシリーズをきっかけに、今まで三宅さんをご存知のなかった方達にもご紹介ができたらと思いました。
参考文献
「アイヴスを聞いてごらんよ」(1977)
「音楽未來通信」(1984)
「振り向けばダ・ヴィンチ」(1982)
「作曲家の生活」(1995)
Harlan Miyake Wiki in English
https://en.wikipedia.org/wiki/Haruna_Miyake
三宅さんとの数回の対話
演奏は、1980年作曲の「北緯43度のタンゴ」より。

12月23日には、東京でコンサートを開催いたします。
また、12月と1月は連載をお休みさせていただきますので、どうぞご理解ください。次回は来年2月25日に掲載予定です。
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