ここ10年近く、EPA(経済連携協定)のプロジェクトで来日している介護福祉士候補者の日本語支援に携わっています。その必要性から、介護現場の日本語について調査したり、アンケートを取ったりしています。その結果、介護の場のことばの情況が他人事とは思えなくなってきています。初めは教えるための調査研究でしたが、今では近い将来そこに身を置くものとしての切実な関心と期待から、自分のための研究考察にもなってきています。

 介護を受ける立場になったとき、どんなことばが待っているか、今から戦々恐々としています。身の回りのことができなくなっても、卑屈にはなりたくないと思います。何を言われても、にこにこ、はいはいと穏やかに応えるかわいいおばあさんにはなれそうもありません。 朝起きて「遠藤さん、お着換えがすんだらお顔を洗いましょ」とかなんとか、子供に言うような口調で言われたらいやだろうなと、今から思います。介護職の人たちは丁寧な言葉遣いをするようにという教育を受けて、「お着換え」「お顔」と「お」をたくさんつけて丁寧に言っているつもりかもしれません。でも、何でも「お」をつければいいというものではないし、幼稚園の子供に言うような、その猫なで声はやめてほしいと思うでしょう。

 そうかといって、「おはよう、どお、よく眠れた?」とため語で親しげに言われても、うれしくないだろうと思います。介護スタッフとしては、ため語で親しみを込めたつもりかもしれませんが、こちらとしてみれば、「あんたとはまだここで会って1か月しか経っていないのに、親しいはずないでしょ」と反発するでしょう。わたしは今からお願いしておきたいと思います。子供扱いも友達扱いも困ります。普通のことばで、普通の高齢の年寄りに接する話し方で接してほしいですと。

 それから、調査の結果わかってきたのですが、介護の現場では、日常生活では使わないようなやたら難しい言葉もよく使われているようです。

 お連れ合いがもう4年も特養に入っていて、その施設にせっせと通っている友人がいます。施設に行くと、車いすに乗せられている夫を、ソファーに移してもらうのだそうです。そのとき、「すみません、ソファーに移してくださいませんか」と頼むと、介護スタッフは「はいはい、分かりました。移乗ですね、すぐ移乗しますからね」と言って移してくれるそうです。友人の観察では、アルバイトの職員や若い未熟な職員は「車椅子に移します。移ってもらいます」と言い、ベテランの優秀なスタッフほど「移乗、移乗」と言うのだそうです。

 確かに介護士養成テキストや、介護福祉士の国家試験には、「移乗」という言葉がよく出ています。介護スタッフにとっては、介護知識を深め、資格を取るための勉強として一生懸命覚えた専門用語なのでしょう。それを使うことこそ、専門家としての誇りかもしれません。 しかし、それを聞く友人は「移る」でいいと言います。「移る」と言えばすぐわかるのに、なんで「移乗」などと、難しい言葉を使う必要があるのかと、友人は不満を漏らします。「移乗」は耳で聞いてすぐわかる言葉ではありません。漢字を見ればわかりますが、耳で聞くときは「異常・移乗・委譲・異状」のどれだかわかりません。すぐわかる言葉で言ってほしいと友人は望んでいます。

 「床ずれ」を「褥瘡」、「うつぶせ」を「腹臥位」、「一人暮らし」を「独居」、「着替え」を「更衣」と言うなど、介護の現場の言葉は漢語の難しい言葉が多いです。漢語が好きなのは介護の世界に限りません。医学も看護も昔から難しい言葉を使ってきています。介護のことばが難しいのは、介護の分野が新しくて、看護学の専門家の指導を受けてこの分野が成長してきたという歴史からみれば、当然の結果でもあります。

 医学や看護は病気を治してまた社会に復帰する人を対象としているのに対して、介護は人生の終盤を迎えて自力で生活できなくなった人が、支援を受けながら残された日々をより人間らしく生きる場といえます。そういう場だからこそ、毎日のことばが、普通のものであってほしいのです。