○「早稲田文学 ;増刊女性号」は「凶器」である
「早稲田文学: 増刊女性号」(編集・川上未映子)は「凶器」である。片手で持ったら指の骨が折れるし、投げて命中したら相手は昏倒する。
 B5判550余ページ。総ページ特殊紙で途中に虹のように色紙が入っているうえ、インクもブラックだけではなく、1段組みから4段組み、見開きのカラー写真もあればイラストも。[過去に、『女性が書く』あるいは『女性について書く』、『それらを読む』という行為においてどのような抑圧と解放と変化があったのか、…そして現在、女性の創作をめぐる状況はどのようにしてあるか]が編集の基本だというが、とにかく膨大な質量をもつ。
 外観だけではない。古今東西、時代を超えて女性の書いた、小説、エッセイ、短歌、詩、俳句のコレクションであるが、目次を見ても絢爛豪華であるがなにがどう並んでいるのか定かでない。ヴァージニア・ウルフがいれば樋口一葉がいて、中島みゆきもいる。総勢82名。常識をまったく破った川上ワールドだ。
  この「革命的な」雑誌は大評判となり、1週間後に本やさんにかけつけたときは、すでに売り切れ。「文芸誌」が売れるわけないという予測を大きく裏切った。しかも凝りに凝った作りだからすぐに重版できない。なんと重版ができるまで2月かかっている。この秋の出版業界の大きな出来事だった。発刊を記念したシンポジウムが11月26日に行われたが、この整理券はまた即日なくなり、当日は同時テレビ中継がなされた。

○若者が行列するシンポジウム
 最近の文学界事情にうとい私にはこんな固いタイトルのシンポにそんなに人が集まるなんて「事件」だ。好奇心を刺激されて晩秋の日曜日の午後、出かけてみる。メトロの駅を降りて会場への最後の角を曲がったらなんと前方に若者の群れが。この行列、会場時間になってもびくとも動かず。やっと会場にたどりつくと、間もなく第1パネルの「詩と幻視――ワンダーは捏造可能か」が始まる。今短歌界で人気の穂村弘さんと川上未映子さんの対談。歌人の選び方も独特で若干歌の勉強をした私には驚きの人選だった、とくに解釈が難しいといわれる葛原妙子を二人で論じていた。テキストを入手できていなかったのが辛かったが、なんとなく分かるような気がしてくるから不思議。
第2パネルは「孤独感/疎外感と書くこと」。桐野夏生さんと松浦理恵子さんにときどき司会の市川真人さん。アイデンティティは「人間」というより「女性」といい切る二人の「鉄壁」に右往左往している市川さん。
第3パネル紅野謙介、河野真太郎、齋藤環さんに市川真人さんによる「女性とその文学について男性として向き合うことの困難と必然」。なんとも直截なタイトル。評論家、小説家、精神分析の立場から語る。第2パネルでいいところのなかった市川さんが精彩を取り戻していた。このパネルはある意味でいちばんわかりやすかった。
「フェミニズムと『表現の自由』をめぐって」が第4パネル。論者は上野千鶴子vs柴田英里さん。司会は川上未映子さん。「いつまで“被害者”でいるつもり?――性をめぐる欲望と表現の現在」というなんともフェミニストに向けての挑発的な文章を書いた柴田さん、はからずもその名宛人になってしまった上野さん。二人の間に入るのは川上さん。川上さんは「フェミニストとポルノ」「表現の自由と欲望無意識的なもの」「マイノリティのマイノリティ」の3本の柱で整理しようとした。
 「もう少し勉強してくださいね」とたびたび上野さんは柴田さんにキツク言ったが、それは若い人に胸を貸して、強く鍛えようとするシスターフッドを感じた。表象の世界はなんでもアリ、またそれはだれの害になっていない、最底辺のマイノリティの権利を守るものだと主張する柴田さん。うーん、私の頭には?が乱れ飛ぶが、なにはともあれ意見の異なるもの同士が同じ壇上に立って正々堂々意見をたたかわせることは素晴らしい。時に激しい応酬もあったが、後味の悪くない論争だった。

遠々7時間にわたるシンポをコーディネートした川上さんのパワーはすごい。その「メヂカラ」に吸い寄せられた。いつも自分をじっと見つめられているような錯覚、すっかり魔法にかけられてしまった。

かくして「早稲田文学 女性号」は「凶器」であり、「魔法」である。