私は帝王切開で子どもを産んだ。

予定帝王切開を前に、気持ちの上で大きな助けになってくれたのは、自身の経験をざっくばらんに話してくれた友人だった。

「麻酔の効きが一番大事だね。私は効きすぎちゃって…。術後は痛いと思ったら痛み止め遠慮なくもらうんだよ。
術痕はね…見たい?こんな感じ!ちょっと残っちゃってるんだよね~」

その時に気がついたのは、帝王切開情報はいわゆる「下から」の経膣分娩に比べて少ないこと、そしてもう一つは「ざっくばらんに話していいことだったんだ」、さらにいえば「何となく話しづらいと私が思ってた」ということだ。

帝王切開は少数派なので、情報が少ないのは当たり前かもしれない。2014年時点で帝王切開による分娩の割合は19.7%(厚生労働省医療施設調査)。ちなみに約30年前の1987年では8.4%、帝王切開は数も割合も増加を続けている。

出産の5つに1つは帝王切開。思ったよりも多いなというのが私の感想だ。情報が少ないのは、単に数が少ないだけではなく、様々なレベルの偏見が帝王切開の話をオープンにさせないのではないか。帝王切開ですと言うとどこからともなくネガティブな意見が出てくるのだ。

偏見は、大まかに分ければ「自然じゃない」と「楽でいいよね」がある。前者は自然じゃない形で産む・産まれることを「よくない」「かわいそう」、後者は陣痛を経験しないことを「楽」だとし、「母親の覚悟ができない」といった言葉につなげることもある。

さらに、現在の日本では医療上の理由がないと帝王切開は行わないことも加わって、「できることなら下から産みたいはずなのに、何かの事情がある、気の毒な帝王切開」というイメージが出来上がることになる。

こうしたイメージに乗ってとりあえず、または不思議なほどの確信を持って、「残念だね」「帝王切開なんて…」と経験者本人に向かって平然と言ってしまう人は、たくさんいる。

「自然じゃない」って、現代医療の恩恵に預からずに妊娠出産期を過ごしている人がいたらその方が問題ではないのか。なぜ出産においては「自然」がこんなにも持ち上げられるのか。開腹手術は「楽」なことだろうか。そもそも、何がどれくらい大変か、そこで何を感じ何を得るのかは人それぞれ。出産の大変さはきちんと語られ、ケアされるべきことだが、当事者間で苦痛競争をしても意味がないのではないか…。

そんなことを淡々と考えられるのも今は渦中にないからだ。「無事に産まれてくれさえすればそれでいい」とのスタンスを夫も家族も病院の方々も一貫して持っていてくれたため、帝王切開と決まった時も私は落ち込んだり残念に思ったりすることはなかったが、思いがけず傷つく言葉に会うことはあった。

また友人の話を聞いた時、自分の中にあった「帝王切開はワケありのこと」という意識、ちょっとしたタブー感に気がついた。

妊娠も出産も、人の健康に関わるセンシティブな問題ではある。「ざっくばらんに話していいこと」というのは、「誰もがおおっぴらに話すべきこと」ではなく、「本人が話したいと思った時には話せる話題である」ということだ。そして自分の経験を「残念なこと」と人に判断される筋合いはない。その経験がどんなことであったのかは自分が決める。

これから体験する人に少しでも気を楽にしてほしいし、当事者でない人も単なる無知で人を傷つけないでいてほしい。そのためにも、私は自分の体験はペラペラと話そうと思った。友人が私にしてくれたように。

それなりには大変だったが激痛はなく、今となってはだいぶ忘れている帝王切開体験。日常生活で特に意識することもない手術痕(横切り)を久しぶりに眺め直して、次回は具体的な体験談を書こうと思う。

■ 小澤さち子 ■