チリ・サンティアゴ。ウェイトレスをしながらナイトクラブで歌うマリーナは、年の離れた恋人、オルランドと暮らしている。二人で彼女の誕生日を祝った夜のこと、オルランドは自宅で意識を失い、マリーナが運んだ救急病院であっけなく息を引き取ってしまった。突然、最愛の人を失ったことに呆然とするマリーナに対し、次々と、心無い人たちの悪意が向けられる。医師や警察からは殺人の疑いをかけられ、オルランドの別居中の妻や息子には車や家まで奪われたうえに、葬儀への参列を拒絶されてしまうのだ。それらは全て、彼女がトランスジェンダーであるということに起因していた。自分自身の存在を否定され、屈辱的な扱いを受けたうえに、彼女がオルランドとはぐくんできた愛さえも無かったことにされたマリーナは、それでも、むしろ、だからこそオルランドに最後の別れを告げたいと願い、行動に出る――。
この映画の原題は『Una Mujer Fantàstica(英語表記はA Fantastic Woman)』。すばらしい女性、とでも言おうか。脚本・監督をつとめた(脚本はゴンザロ・マサとの共同脚本)セバスティアン・レリオ監督は、この作品をとおして「fantàstica(ファンタスティックな)」という形容詞に、とても素敵な意味づけをしたと思う。それらはたとえば、自分らしさを見失わせるのと同時に、他者を抑圧するもっともらしい言い訳にもなる「普通」という名の枠に安易に与しない力。その力は、映画に登場したときからマリーナにすでに付随しているもので、だから彼女は、最初から美しく、毅然とした態度で映画の中に存在する。あるいは、その力をくれる人――わたしを、わたしとして認めてくれる相手――との関係を大切にはぐくみ、育てた愛の尊厳のために立ち上がる強靭な意志。またあるいは、悲しみや憤りを安易に他者への攻撃にすり替えない心の在りようといったものだ。
その形容に値する主人公を演じるのは、自身もトランスジェンダーの女性であるダニエラ・ヴェガ。映画の中で、マリーナはいつも静かに、抑制のきいた力強い眼差しをもってそこにいる。理不尽な差別や偏見に対しても、怒りや悲しみの感情を相手に投げつけたりしないのは、彼女がいわゆる「女性らしい」所作を保っているからではなく、成熟した大人だからである。そのようにマリーナが毅然とした態度で自らの尊厳を精いっぱい守っているからこそ、彼女がトランスジェンダーであるというだけで侮蔑的で乱暴な振る舞いをする人々や、ヒステリックに「あなたは神話のキマイラ(怪物)みたい」だとか「子どものためなら命も差し出せる」などと脅してマリーナを葬儀に出席させまいとする妻ソニアの言動などが、いかに理性のない逸脱した行為であるかも伝わってくる。
(ただ、ソニアを少しだけ擁護すると、チリは南米で最も保守的な国のひとつであり、カトリックの強い影響のもと、1999年まで同性間の性行為は犯罪とされ、2004年までは離婚も認められていない。いつの設定の物語なのかは明らかになっていないが、マリーナと同じように、別居を強いられたソニアも周囲からの心無い言葉にスティグマを抱えていたはずだ。わたしは、彼女がそれを乗り越えられていないのだと受け止めたし、マリーナも、そのことは承知しているのではないかと思う)
ダニエラの、静けさの中にも豊かに感情が伝わってくる演技に加え、マリーナの逆境や心情をメタファーで見せる演出、彼女の心情に寄り添って使われる音楽も素晴らしい(マリーナが歌う、あるいは物語に伴走する音楽の選択がとても素敵なので、この映画ではどの曲も聞き逃さないでほしい!)。時折挟み込まれる幻想的なシーンも、この映画全体をファンタスティックなものに仕上げるのに貢献していると思う。ヒッチコックなど、監督が尊敬する作家へのオマージュがちりばめられているというので、映画が好きな方はそれらを見つける楽しみもある。
邦題の『ナチュラルウーマン』は、劇中にも使われているアレサ・フランクリンの歌う「ナチュラル・ウーマン((You Make Me Feel Like) A Natural Woman)」から付けられたものだ。「あなたがいてくれるから、わたしはありのままの自分でいられる」と歌われるこの曲が映画の中で流れるのは、オルランドの死後、まだ全く心の整理がつかないマリーナが運転する車の中だ。そのときの彼女にはまだ、この曲を味わう余裕などもちろんないのだが、まるでその歌が物語の未来を暗示するかのように、オルランドは亡くなった後も、マリーナのそばに現れる。最後にファンタジックなキスをかわし、マリーナが彼を見送ったあとは、より一層、彼女の傍らにいるはずだ。ラストシーンで「Ombra Mai Fu」を歌うマリーナには、彼女の眼差しに宿る強さと尊厳をこの先も見守ってくれるオルランドの愛が、確かに、見えている気がする。公式ウエブサイトはこちら(中村奈津子)
2/24~シネスイッチ銀座他【愛知】名演小劇場他【大阪】3/10~テアトル梅田他、全国順次公開
【配給】アルバトロス・フィルム
Ⓒ2017 ASESORIAS Y PRODUCCIONES FABULA LIMITADA; PARTICIPANT PANAMERICA, LCC; KOMPLIZEN FILM GMBH; SETEMBRO CINE, SLU; AND LELIO Y MAZA LIMITADA
http://naturalwoman-movie.com/