
東京都写真美術館や東京都現代美術館の学芸員を務めてきた笠原美智子さんの著書を刊行します。1991年から2017年にかけて、30年に渡る笠原さんの論考をまとめた本です。
日本の大学で社会学を学んだのち、シカゴで写真を学んだ笠原さんの視点は、写真や美術を美術館のなかに閉じ込めず、社会との関わりのなかでどのようにその作品が生まれたか、そしてその作品が社会のなかにどう作用したかをフィードバックしてきた、生きた展示であり、文章です。
日本で初めてのジェンダー的観点からの企画展となった、91年の「わたしという未知へ向かって 現代女性セルフ・ポートレイト展」をはじめとして、女性とLGBTにとって激動の時代であるこの30年のアーティストたちの格闘を記してきた笠原さんのテキストを振り返ることは、どんなセクシュアリティの人であれ、知らず知らずのうちに自分自身に嵌めてしまっている枠組みをひとつひとつ取り払うような作業であり、目が開かれるような、身体の内から解放されるような感覚を味わうはずです。
豊富な図版と明解なテキストで読む、現時点での決定版ともいる、ジェンダー写真論です。笠原さんの文章がとても鋭く、清々しいので、読み物としても刺激的な一冊です。示唆に富んだ言葉が印象的なテキストの一部をここで引用します。
女性セルフポートレイトについて
「彼女たちは、教育や慣習やメディアや他のさまざまな要因を問題にして、それがどういった過程で【自然】なこととして内面化されたのか、それは本当に【自然】なことなのかを問うている。まず、【私】を見つめてみること。彼女たちはセルフ・ポートレイトを使って【私】に対峙し、それが切実な問題意識に基づいているゆえに、その作品は他者とも通じるイマジネーションを勝ち得ているのである」
ダイアン・アーバスについて
「ダイアン・アーバスの悲劇は伝統的女性の価値観と、表現する者に要求される自立した存在としての価値観の、二律背反する価値観に引き裂かれた【女性】の悲劇であると思う」
LGBTの表象について
「目に見える存在になること、それも他者の表象ではなく自分たちのそれによって見える存在になることが、長いあいだ見えない存在に甘んじざるをえなかったアーティストたちの重要な課題であった。ヘテロのつくりだした負のイメージではなく、みずからの手で自分たちの肯定的なイメージをつくりだすことによって、見える存在になることである」
人種とジェンダーについて
「一方のジェンダーが一方のジェンダーを抑圧することへの抵抗であり、ひとつのイデオロギーが全体を抑圧することへの抵抗であり、ひとつの文化がひとつの文化を抑圧することへの抵抗である。それは共産主義であろうと資本主義であろうと儒教であろうとキリスト教であろうと変わらない」
嶋田美子について
「嶋田美子はこうした戦時下の女たちを視覚化している。白い割烹着とたすき掛けは銃後を守る良き母、良き妻としての日本婦人のユニフォームであった。他国の女を「従軍慰安婦」として人間以下の扱いをし、いまだその問題さえ解決しないわたしたちと、熱に浮かされたよういやすやすと翼賛体制に組み込まれ加担していったわたしたちと、問題の根は同じではないのか。それは過去の日本人の問題ではなく現在のわたしたちの問題なのだと嶋田美子は訴えているように思われる」
トリン・T・ミンハについて
「フェミニズムとは究極的には愛の行為なのではないか。それを実践するにはどうしたらいいのいか。少なくとも自分自身について知らなければならない。歴史的社会的な存在である自分を知らなければならない。それぞれに異なる他者との距離を自覚しながら、世界についても他者についても自分についても批判的眼差しをもって検証しつづけ、それによって必然的に生じる変わり続ける存在としての自分の不安定さを引き受けなければならない。それは『言うは易し行なうは難し』である。けれどもここで取り上げたアーティストも含めて、世界のそこここですでに多くの実践者が同じ現在を生きている」
森栄喜について
「森栄喜の『Family Regained』で表現された拡大家族が表しているのは何か。それは「承認」だろう。自分が自分のままで生きていくことへの「承認」。家族からの「承認」。家族としての「承認」。先達たちの多くが焦がれても得ることができなかったもの」
荒木経惟について
「【センチメンタルな旅】は陽子の死を経て現在までも続く、一組の男と女が綴った写真史に類い希な写真詩である。そこには全身を写真に捧げて生と性と死を描く荒木の写真家としての価値が凝縮されている。多くの論者が荒木経惟を「エロスとタナトス」の作家と賞賛する。たしかに彼の作品には、たとえ都市や花などを写していたとしてもそこに色濃く性と死の匂いが立ちこめている。しかし荒木の写真に表現される「エロスとタナトス」はあくまで「荒木」のものであり、そこに表現されるのは、「日本の」「昭和の」「男の」「異性愛の」と、幾重にも限定された「エロスとタナトス」として理解しなければならない。荒木の私写真をとおして、良くも悪くも、昭和日本の男の女性観や死生観の一端が垣間見える」
表紙は、写真家ダヤニータ・シンの母が撮ったダヤニータ本人。
インド女性として古い価値観を軽やかに飛び越えてきたダヤニータのその未来を示すかのような一枚です。
この続きは、ぜひ本書で!
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