【増補新装版】優生保護法が犯した罪: 子どもをもつことを奪われた人々の証言

現代書館( 2018-03-01 )


 旧優生保護下で強制的に不妊手術を受けさせられた被害者が国家賠償訴訟を提訴し、政府、国会内でも被害者の「救済」に向けての動きがようやく出て、関連のマスコミ報道も活発に行われています。
 しかし、この問題に関する実態の解明と被害者への謝罪と公的補償を求める運動は、20年前の1997年から始まっています。

 1948年に議員立法で成立した優生保護法は、「不良な子孫の出生の防止」と母体の生命健康の保護を目的とし、刑法堕胎罪の例外規定として条件付きで中絶を合法化。遺伝性疾患やハンセン病を理由とした人工妊娠中絶や不妊手術を許可、遺伝性疾患を対象とした強制不妊手術を認める法律です。
 優生保護法の前身はナチスドイツの「遺伝病子孫予防法(断種法)」にならってつくられた「国民優生法」(1940年制定)と言われますが、国民優生法がその対象者を遺伝性疾患に限定していたこと、また本人・保護者同意の原則が適用されたこと、そもそも(産めよ殖やせよの)戦時中にあって産児制限に積極的ではないことから、実際に対象となった人は五百余名でした。それに比して優生保護法はハンセン病者など遺伝性疾患以外に対象を拡大し、また「本人の意見に反しても」強制的に行える として、「身体の拘束」「麻酔薬施用」、そして 「欺罔(だます)」という手段を用いてかまわないと明言されているように、 戦後の優生保護法のほうが、はるかに対象を拡大し、その方法も強制力を増しているわけです。

 1995年の北京女性会議で日本の障害者団体・女性団体が優生保護法の問題を訴えたことから国際的非難を浴び、96年、優生保護法は優生条項を削除して母体保護法に改正されました。しかし、その際、旧優生保護法下で強制的に不妊手術や違法な子宮摘出などを受けた被害者の実態調査や謝罪・補償は一切議論にされることはありませんでした。

 1997年8月、 福祉先進国スウェーデンで強制不妊手術が1970年代まで行われていたことが地元紙でクローズアップされ、日本でも「あの福祉国家が…」という論調で報道されまた。しかし、スウェーデンでもドイツでも被害の実態解明と被害者への公的補償がなされています。
 こうした経緯の中で、同年発足した「優生手術に対する謝罪を求める会(求める会)」は、優生手術の実態解明と被害者に対する謝罪と公的補償を求める要望書を厚生省に提出、被害証言の掘り起こしと謝罪と補償の道を探ることを目的に、旧版の『優生保護法が犯した罪』を2003年に出版しました。

 日本政府に対する、人権規約委員会、女性差別撤廃委員会からの被害者への補償を求める勧告が相次いでなされ、昨年、旧版で被害を訴えられていた、飯塚淳子さん(仮名)からの人権救済申し立てに対し、日弁連が「補償等の適切な措置を求める意見書」を発表、その報道の中で新たな被害者が名乗り上げるなど、運動に新たな展開をみられました。この機会に、この間の運動の軌跡と被害者の新証言、国際機関からの勧告、日弁連意見書などの資料、52ページを追加し優生保護法が助長した障害者差別と偏見を根本から見直すために、増補新装版をいま改めて世に出します。