冬から春へ季節の変わり目はなんだか忙しい。
 3月24日(土)25日(日)、女性のためのポータルサイト・WANの会議で東京へゆく。国内外からのアクセス数の拡がりと、若い世代の担い手への交代と、WANは順調に来年、10周年を迎える。

 京都に戻り、仕事をパタパタと片づけ、3月28日(水)から1週間、娘と孫と熊本へ向かう。春休みの新幹線は子どもづれや外国人観光客でいっぱい。早くも満開の桜。ずいぶん暖かくなった。

 熊本に着いた日は週1回、訪問看護師さんがこられる日。母の体の調子を丁寧に見てくださり、足湯までしていただいた。

 母はデイサービス行きを、なかなか「うん」といわない。でも無理強いは禁物。母も叔母も今までの生活をどうしても変えたくないのだ。元気な時の暮らしと、体力が衰えてきた時の、もう一つの選択を、行きつ戻りつしながら受け入れていくのが歳をとるということなのだろう。認知症が進んでも最後まで「喜怒哀楽」の感情は残るという。その気持ちを大切にしたい。

 そこで、こんなふうに聞いてみた。「私も歳をとったし、いっしょにデイのお試しに行ってみない? 行って気が向かなかったらやめてもいいから」。そしたら「仕方んなかなあ、行ってみようか」と、やっと納得してくれた。すぐに「お試しデイ」体験のアポをとる。

 翌日はとびきりのいいお日和となった。母といっしょに迎えの車で近くのデイサービスセンターへ。古いマンションの2部屋を開放してつくった下町風のアットホームな空間。80~90代の人たちが10人。それぞれお気に入りのソファで、なごやかにくつろいでおられる。一人暮らしの方が多いようだ。元看護師の人や元教師の方もいる。隣の町内のお饅頭屋さんだった人が声をかけてくれた。偶然、母と幼馴染みだったことがわかって話が弾む。「デイに毎日きています」とのこと。賑やかでおしゃべり上手、ここでは「お局さま」と呼ばれているらしい。

 10人のスタッフが入れ代わり、お茶を入れにきてくださる。水分補給が大事なんだ。温かくておいしいお茶だった。

 12時きっかりに台所で手づくりの、あったかい食事がたっぷり出される。おいしくお相伴させていただく。このあたりは古町で昔、魚市場があったところ。町の人たちはなかなか味にうるさい。母の父、私の祖父は魚市場でセリの仕事をしていた。小学生の頃、市場にお弁当をもっていくと、あんなに無口な祖父が、滑るような早口でセリをして魚を売りさばくのを見て、ポカーンとしたことがある。頑固で昔気質の祖父は、若い頃に酒と道楽で身上を潰したけれど、私にはとても優しかった。

 入浴は2つのお風呂を使って1人ずつ入る。1人が上がるとすぐお湯を落として、また次の人の準備をする。湯上がりの後は、口腔ケアとリラクゼーションのマッサージを20分。スタッフの方は大変だなあ。軽い体操は座ったままで手や足を上げたり、首を回したり。高く足を上げる母は何だか楽しそう。合間の時間はそれぞれ好きなことをやっていい。オセロをする人、絵を描く人。母は漢字の書き取りと計算ドリルを選び、アッという間にサクサクとやってしまった。みんな一斉に同じことをやらなくていいのが、とっても助かる。時には女性所長の三味線の演奏もあると聞いた。

 帰宅後、「来週からデイに行ってみる?」と聞くと、「行ってもいい」というので、まずは週1回、お願いすることにした。後日、契約書を書きに事務所へいき、母の生活歴や背景、気性などを伝えて、スタッフの行き届いたお世話にお礼と心からの感謝をし、「よろしく」とお願いする。1回目のデイが終わった日の夕方、主任の方から京都の私にお電話があった。「穏やかに楽しく1日を過ごされていましたよ」との報告を受け、ほんとにありがたく、ホッとした。

 週末は父と祖母の50回忌と祖父の33回忌の法要。2年前の熊本地震にも崩れなかった大きな仏壇に古びた「打敷」を飾り、名古屋からこられた住職に法要を務めてもらう。お住職は、地震で全壊したお隣の菩提寺の跡取り娘さんと数年前に結婚。家業の大工の仕事を20代で会社設立。その後、アメリカに渡ってヘリコプターのパイロットの資格を取得。今はパイロット養成の会社を経営する傍ら、僧侶の資格もお持ちだ。東日本大震災後、ヘリコプターで救援物資を届けることにも従事。ずいぶんとフロンティア精神のあるお住職だ。家では愛犬ゴールデン・レトリバーと、地震後、お寺に迷い込んだ猫2匹を引き取って、「動物たちと仲良く暮らしています」とおっしゃる。法話で「今は戒名に信士・信女と男女の区別はつけないんですよ。あの世では男も女もなく、みんな平等だからです」とお話しされたのがうれしい。

 法要の後は裏のお墓にお参りし、お斉(おとき)を向かいのホテルで、従姉妹と身内だけでゆっくりと過ごした。無事に弔い上げを済ませて、ひと安心。

     熊本城

 熊本にいる間にと、役所や銀行で母たちの事務的な手続きを済ませ、近くの熊本城へお花見にゆく。お堀端の満開の桜の向こうに、お城の天守閣の復旧工事が着々と進んでいた。

 その間、京都府庁から、返事待ちだったWANの認定特定非営利活動法人の「認定」更新の審査に「OK」が出たとの知らせが届く。府庁に電話すると、「従たる事務所」の東京都にも様式の異なる書類を出してくださいとのこと。ネットのない家なので、向かいのホテルへパソコンをもっていき、メールのデータを確認する。京都に戻った夜、急いで様式を整え、必要書類を全部まとめて翌日、東京都へ郵送した。

 4月3日(火)、帰京。あれこれたまった仕事をし終えて、週末はご褒美に、「MISIAの20周年コンサート」に大坂城ホールへゆく。若い人からお年寄りまで1万人の観衆に、5オクターブの音域をもつMISIAの歌声が響く。子どもづれの観客は親子席で聴く。アフリカン風のリズミカルな歌に、孫娘は夢中になって踊っている。前席は3人の小さい男の子づれの夫婦だ。下の子はうろうろと歩き回り、お兄ちゃんは大音響の中でぐっすりと眠ってしまった。

 また春がめぐってきた。母と叔母の元気そうな声を電話で聞く。いつもの日常が始まった。今年はたびたび京都と熊本とを往復することになると思う。そのためにも私、まだまだ元気でいなくちゃね。