いま、憲法24条と9条が、改憲の危機にあります。
 9条は、いうまでもなく、「戦争放棄」と「戦力不保持」を定めた条項。24条が定めているのは、夫婦同権や、家族に関する法律が「個人の尊厳」「両性の本質的平等」に立脚すべきことなどです。
 9条が「右派」──憲法を「後ろ向き」に変えようとする人びとで、「日本会議」や安倍首相などが代表的な社会的、政治的勢力──によって「改憲」の標的にされてきたことは周知のことでしょう。
 では、24条は、なぜ、そしてどのように、かれらによって変えられようとしているのでしょうか。本書がまず解明するのは、右派改憲論の24条改憲の意図と狙いです。
 本書はまた、24条改憲を立法によって先取りしようという動きも分析しています。一昨年、自民党がまとめた「家庭教育支援法案」がそれです。
 以上のいわば「現状分析」に続き、本書は、憲法24条の「意義」を歴史的、理論的に解明することを──若干の理論的冒険を含みながら──試みています。
 まずはその歴史的意味。「家」制度を定めた明治民法と対比させ、故ベアテ・シロタさんが起草した24条の意味を探り、それが現代にマッチした多様な家族のあり方を包摂する規定であることを示します。
 次に、24条の「個人の尊厳」という規定が有する「潜在的な力」が明らかにされます。それは、「家族」における「妻」に限られず、夫であれ、健常者であれ、会社員であれ、「他者に依存せざるをえない」からこそ「服従を強いられている人々に自由を保障する」という意義です。24条は25条(生存権保障)以下の社会権の総則規定と言えるのです。
 最後に、24条と9条が「非暴力平和主義」の「両輪」であるという解釈です。日本国憲法9条は、「戦争」を「人権侵害」ととらえ、「非暴力」による国際貢献と、そのことによる日本の安全保障を構想しています。そのような非戦・非暴力な社会は、9条だけでは実現しません。そのためには「非暴力な個人」を育てることが不可欠です。家族における「男性の支配」を否定し(ベアテ・シロタ原案)、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚した家族を求める憲法24条、それに基づく家族関係こそが、そうした個人を育てうるのです。
 憲法24条や9条、改憲問題、ジェンダー平等な家族、そういった問題に関心のある多くの方々に、ぜひ読んでいただきたいと願っています。