
日本軍「慰安婦」とされたシム・ダリョンさん(2010年死去)の証言をもとに制作された絵本『花ばぁば』日本語版を4月に刊行しました。
本書は、田島征三さんら日本の絵本作家が中国、韓国の作家に呼びかけて、2007年に始動した「日・中・韓
平和絵本」シリーズとして創作されました。作者は、韓国絵本界の先駆者クォン・ユンドクさん(1960年生まれ)で、韓国では2010年に、中国でも2015年に刊行されました。
日・中・韓で同時刊行するとの趣旨でしたが、日本では平和絵本シリーズ10作品を刊行した出版社の意向で、本書のみ長らく刊行されてきませんでした。
それを絵本とは馴染みのなかった小社で刊行することになった経緯は、共同通信社によって報じられています。
【特集】慰安婦テーマの絵本出版へ
https://this.kiji.is/334163436613551201
原著の刊行から8年をへて、ようやく日の目をみた『花ばぁば』ですが、その日本語タイトルについて、著者と翻訳者(桑畑優香さん)のやりとりが非常に興味深いものでした。
本書の原題は「コッハルモニ」で、直訳すると「花おばあちゃん」となります。しかし、日本においては日本軍「慰安婦」の被害者たちが「ハルモニ」との代名詞で呼ばれることが少なくないことから、「ハルモニ」という言葉を著者も大切にされているだろうと「忖度」し、いくつか日本語タイトル案を出しました。
いずれもカタカナで「ハルモニ」という言葉が入ったものです。
しかし、クォンさんからの返事は、意外なものでした。
====クォンさんの手紙から====
(ハルモニの直訳である「おばあちゃん」は)「ハルモニ」という単語と同じように親しみを感じる年配の女性に対して使われる言葉です。特別な人物ではなく、どこにでもいるおばあちゃん、そのおばあちゃんの物語だということが、一般的なニュースに登場する慰安婦(漢字で書かれ、政治的な意図を感じる単語)や、「ハルモニ」と表記するよりも、さらに日本の子どもたちに親しみを与えるのではないでしょうか。
====引用おわり====
著者が「ハルモニ」とカタカナで表記されることを望んでいない、ということが分かりました。
と同時に途方に暮れました。「慰安婦」とされた韓国人の物語でありながら、「ハルモニ」以外の言葉で表現できるのだろうかーー。
しかし、ヒントは同じ手紙に書かれていました。
====再びクォンさんの手紙から====
日本子どもたちが、韓国語の「ハルモニ」という発音を聞いて慰安婦を思い浮かべるようになるのであれば、韓国語のイメージ(親しみを感じる言葉)が歪曲されてしまうのではないかと思います。
====引用おわり====
ここで、私と訳者は初めて気づきます。
「特別な人物ではなく」「どこにでもいるおばあちゃん」「そのおばあちゃんの物語だ」ということの意味を。
そんな女性が、歴史の偶然と社会構造の必然によって「慰安婦」とされたことを、いかに日本の子どもたちが「身近」に感じることができるか、それが日本語タイトルに課せられた命題だと知ったところから、訳者の苦悩が始まりました。
そして、導きだされた答えが、「どこにでもいる」「もしかしたら自分の祖母だったかもしれない」ことを示唆する「ばぁば」でした。
祖父母を「じぃじ」「ばぁば」と呼ぶことは、2000年ごろから全国に広がった習慣です。なかには、その言葉に抵抗を覚える年配者もおられますが、意味が分からない、聞いたこともない、という方は多くありません。
「身近な」存在であることは確かです。
そこで、「花ばぁば」というタイトルをクォンさんに提案したところ、日本語ネイティブの友人らの助言を得て「大賛成です」との返事がきました(似て非なる「ばばぁ」と混同されずによかったと胸をなで下ろしました)。
本書で主人公が「慰安婦」とされるシーンの訳文はこうです。
====本書より====
花ばぁばは、日本軍「慰安婦」でした。
====引用おわり====
「ばぁば」と「慰安婦」という言葉が同居するのは、金学順さんの告発以降で初めてのことだと自負します。
「ハルモニ」という言葉で、被害者たちへの敬意を表現することは間違いではありませんが、韓国語話者にとってはただの「おばあちゃん」です。その「ただのおばあちゃん」が戦時性被害にあったということが、韓国や北朝鮮の人にとって憤りの原点であり、痛みを共有する原動力だったとすると、「ハルモニ」という言葉を「直輸入」したことは、その真意を汲み取ってこれたのかと、考えさせられました。
『花ばぁば』という、ともすれば意訳と受け取られがちなタイトルですが、これこそが「コッハルモニ」の”正しい”訳であったのかも知れません。
日本軍「慰安婦」問題に取り組んでこられた方々への敬意を忘れることなく、しかし「慰安婦」問題でも、絵本業界でも、新参者の出版社だからこそできることもあるのではないかと思っています。
なによりもクォンさんの美しい絵が「主役」の本ですので、ぜひ手に取ってみてください。
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