
翼と侵犯。翼は理想世界への飛翔のイメージ。創造的で心地よい。侵犯は、現状を否定し傷つきながら前進していくイメージ。破壊的で痛みを伴う。近代以降、女性たちが世界を変えようとするとき、翼と侵犯という相反する思いが、常に女性たちと共にあったのではないだろうか。19世紀末から20世紀初めアジア各地で、近代的なリテラシーを獲得し、それによって新しい世界を生み出そうとした女性が出現する。彼女たちは、どのように翼と侵犯を経験したのだろうか。
著者たちの対象と専門は多様であるので、直接的な比較は成立しない。だからこそ、動的洞察が、対象となる女性たちの、次のような共通性と同時代性を浮かび上がらせる。西洋において市民権を得つつあった女性の生に憧れ反発しながら、読み、書き、発信する主体になろうとする女性たちの意志と、日本も含めアジアが経験した、西洋のヘゲモニー下の植民地状況である。
第一章は、平塚らいてうが平和主義者エレン・ケイに依りながら人生の成熟期にたどりついた母性思想が、戦争と親和性をもった逆説を指摘する。第二章は、一般女性をして自然主義的に語ることを可能にした身の上相談記事が、解放性と抑圧性を同時に孕んでいたことを読み解く。第三章は、植民地期朝鮮において、妓生たちが発行した雑誌『長恨』と時代の詳細に分け入り、植民地化と近代化の矛盾のなか、社会的地位を変革しようとした彼女たちの姿勢を明らかにする。第四章は、タイ近代小説の創始者である女性作家の小説において、きわめて西洋的な服装と行動パタンの女性主人公が仏教的な価値観に包摂されることを指摘する。第五章は、蘭領インドネシアの華人女性によるマレイ語小説のうちの画期的な作品が、ジェンダー的覚醒と同時に排他的な東洋的近代を提唱したことを指摘する。第六章は、西洋の女性解放思想を宗主国言語で読むことによって吸収し発信していった、ジャワ人貴族女性カルティニの希望と苦悩を描き出す。第七章は、インドネシア・フローレス島で女子教育の礎を築いた、修道女と彼女たちに対する社会の眼差しを歴史的脈絡に置くことにより、現代の自己意識の在り方を逆照射する。
アジア初期近代の女性たちの生は、矛盾や屈折を宿しているが、飛翔するための翼を求め続けた。彼女たちの多様な軌跡は、善き生を実現しようとする現代の女性たちにも希望を与えるだろう。
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