朝日新聞東京版2018年5月22日付け朝刊に「闘いとってきた変化 女性の経験 フェミニズムが再定義」と題した上野の寄稿が掲載されました。
周囲からは「よく書いてくれた」と反響が。
WANのユーザーは朝日新聞の読者ばかりではないので、掲載元の許可を得て、以下に再掲します。
(テキストは同日付けデジタル版に依拠していますので、新聞記事よりやや長くなっています。)
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闘いとってきた変化 女性の経験 フェミニズムが再定義
ハリウッドでもカンヌでも#MeTooの動きは活発なのに、日本ではなぜ起きないのか、と嘆くひとたちがいる。それより、セクハラが「職場の潤滑油」と呼ばれた時代を覚えているわたしには、よくぞここまで来たものだという感慨が深い。セクハラを「悪ふざけ」と言い逃れる福田前財務事務次官や、被害者に二次被害を加えるような麻生財務大臣などの言動を見ると、この40年間の変化は、行政府のトップには届いていないのか、とあきれはてる。だが、時代はセクハラを許さないと、大きく動いた。
4/21新聞労連全国女性集会、4/23#もう終わりにしよう院内集会、4/28#私は黙らない新宿オルタ前集会、5/7財務省前抗議行動と、財務省事務次官福田氏のセクハラ疑惑に対して幕引きを許さないと矢継ぎ早に実施されたアクションの中で語られたことばの数々に、わたしは目を瞠った。「家父長制の抑圧」「ジェンダーの再生産」「自分を定義する」…かつて女性学・ジェンダー研究の学術用語だった概念が、日常のことばのなかで使われている…そもそもセクハラことセクシュアルハラスメントということばも、かつては日本語になかった。ジェンダー、セクシュアリティ、セクハラ、DVなど、どれもカタカナ言葉なのは、もともとそれらに当たる概念が日本語になかったからだ。
「からかい」や「いたずら」をセクハラと名付け、「痴話げんか」をDVと名付けて、女性の経験を再定義してきたのは、フェミニズムである。「痴漢は犯罪です」というポスターを東京都の地下鉄で見たときの感動は忘れない。これらは日本の女性運動の達成した成果である。変化は自然現象のように起きたのではない、闘いとってきたのだ。学問は何の役に立つのかと言われ、理論は机上の空論と言われた時代に、女の経験の言語化と理論化に務めてきたのが女性学・ジェンダー研究だった。
「家事労働」という概念が定着したことにも感慨がある。なぜって「家事は労働だ、しかも対価の支払われない不当な不払い労働だ」と唱えたとき、「家事は神聖な愛の行為だ」とまっさきに反発したのが主婦たちだったからだ。
概念がなければ現実を指し示すことができず、データがなければそれを問題にすることもできない。概念があったからこそ、あのもやもやはセクハラというものだったのだ、と過去にさかのぼって女性は自分の経験を再定義することができた。
セクハラは70年代から80年代にかけてアメリカからフェミニストが持ち込もんだ概念だった。80年代には「働くことと性差別を考える三多摩女性の会」が「セクシュアル・ハラスメント1万人アンケート」を実施、実態が明らかになった。89年に日本初の福岡セクハラ裁判が提訴され、同年に「セクハラ」は流行語大賞を受賞した。97年には職場でセクハラをめぐるパラダイム転換が起きた。改正均等法がセクハラの予防と対応を使用者責任としたのだ。この時からセクハラ研修の対象が、被害者になりやすい女性たちから、加害者になる蓋然性の高い中間管理職以上の男性たちへと180度逆転した。セクハラの定義である「意に反する性的言動」を決めるのは、あくまで被害者だ。その過程で、法律家、アクティビスト、専門家、研究者たちがセクハラ被害者のPTSDや二次被害について、警察や検察、判事たちを啓蒙してきた。
セクハラ申告が増えたのは、女性の受忍限度が下がったから。そう発言したら、あるメディアに「女のガマンが足りなくなった」と書かれた。そのとおり、女はガマンしなくなった。一昔前には年上の女が「私たちはガマンしてきたのだから、あなたもガマンしなさい」と諭したものだが、新しい#MeTooの流れのなかで年長の女たちは、「私たちがガマンしてきたからあなたをこんなめに合わせた、ごめんなさい」と言うようになった。
不当な差別にガマンしない娘たち、その側に立って「これは僕らの問題です」と語る息子たちを育てたことを、年長の女は誇りに思ってよい。揺り戻しはあっても、この変化は決して後戻りしないだろう。(朝日新聞デジタル版2018年5月22日付け)
2018.06.14 Thu
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タグ:DV・性暴力・ハラスメント / DV / 上野千鶴子