蜃気楼の中へ

著者:西部 邁

中央公論新社( 2015-03-20 )

「男らしい」死 西部邁さん追悼         上野千鶴子(社会学者)
(『表現者criterion』通巻78号「西部邁追悼特集」2018年5月、MXエンターテイメント刊所収)



西部邁さんが自裁した。78歳。日本人男性の平均寿命がおよそ81歳だから、「若い」とも言える。しかも死の直前まで深夜におよぶ酒食をたしなみ、これといって致命的な病に苦しんでいたわけでもなさそうだから、年齢のわりに健康で体力があったといってもよい。
 60年安保の闘士、左翼の活動家だった西部さんの転機はいつだったか。彼の著作のなかでわたしがもっとも好きだったのは『蜃気楼の中へ』(日本評論社、1979年)だ。国際文化会館が創設した若手の社会科学者のための新渡戸フェローシップを受けて、2年間米英に滞在。わたしも受けたこの奨学金は、1ドルが360円だった時代に、日本の社会科学者に世界へと目を開かせる大きな貢献をした。30代に入ってから副題にある「遅ればせのアメリカ体験」をした著者の米英滞在記は、清冽な叙情に満ちていた。渡米前に著した『ソシオエコノミックス』(中央公論社、1975年)も「合理的経済人(ホモエコノミクス)」仮説をもとにした近代経済学を根本的に批判したものだった。青木昌彦と並んで経済学の俊秀として将来を嘱望されていた経済学者は、帰国後、政治・社会的な時局発言をする保守派の論客となっていった。  西部さんが保守派を自負し始めたのは『大衆への反逆』 (文藝春秋、1983年)あたりからだっただろうか。オルテガに依拠して書かれた本書は、大衆社会論の二つの系譜、エリート的大衆社会論と非エリート的大衆社会論とのうちでは、あきらかに前者に属するもので、バブル景気につっこんでいった当時の日本の大衆社会状況に対するいらだちを、隠しようもなく示していた。
 1988年にはあの「中沢問題」が起きた。ニューアカのスターとして注目を集めていた人類学者、中沢新一さんを東大教養学部助教授として採用する人事案が、西部さんをメンバーとする委員会で承認されたにもかかわらず、教授会で否決されるという前代未聞の事態が起きた事件である。人事委員会に対する信任が拒否されたことに抗議して、西部さんは東大教授を辞任。関係した東大教授のだれかれが弁明に努めるなど、「中沢問題」はにわかに世間を騒がせた。それから数年後に起きたわたしの東大採用人事では、再び人事で同様な「上野問題」が起きないよう、関係者の方々が神経をすり減らしておられたことを憶えている。こういう場合の出処進退の潔さもきわだっていた。  90年代にはいってからの「新しい歴史教科書をつくる会」への参加や、核武装をも容認する憲法改正案の提示など、わたしの立場からは容認できない言動や発言が続き、わたしはこのひとの書くものを読むのをやめた。情熱的だが、論理の飛躍や決めつけの多い文体には、へきえきした。そういえば1986年、「アグネス論争」が起きたときに、男性論壇もこの問題に参入したが、そのなかに西部さんもいた。愛する子どもをかたときも手放したくないと連れ歩くことがOKなら、ボクは愛するペットを連れ歩いていいのか、というあきれるような茶々を入れたこともある。
 その西部さんの訃報を聞いた。自裁だという。ブルータス、おまえもか…という気がした。江藤淳さんの自裁がよぎった。凍てつく冬の川に入水するという足のすくむような自裁の方法も含めて、その鮮烈な自決に、賞賛を寄せないまでも、男の知識人は粛然と声をのみこむほかないだろう。
だが、だが、いいたいことがある。生前それほど接点がなかったわたしは、彼の死に沈黙を守るつもりでいたが、編集部から原稿の依頼を受けたことをきっかけに、ここで書いておこう。戦後日本の男性知識人の系譜のなかに、西部さんの自裁を置くと、あまりに共通点が多すぎると感じたからだ。北米体験ののちの日本の伝統と保守への回帰。衆愚観に立った孤高のエリート主義。老いと衰えへの拒否感。妻に先立たれた悲嘆と不如意。言論人としての限界や生産性の低下の自覚。格闘してきたはずの社会の現状への、深い失望と怒り。あれやこれやで、見苦しい老後を見せるよりは、いっそひと思いに、と自裁を選ぶ…なんて「男らしい」んだろう!追悼文のいくつかには「カッコいい」という表現があったが、わたしには、弱さを認めることのできない男の弱さ、が露呈したと見える。
このような人間像を「近代的個人」と呼ぶのではなかったか?そしてそれと闘ってきたのは、ほかならぬ西部さん自身ではなかったのか?なのに、首尾一貫した「近代的個人」として、西部さんは死を選んだ。死者をむち打つつもりはない。だが、彼の死を英雄視することだけは、やめてもらいたい。わたしの胸に去来するのは、死を選ぶほかなかった西部さんの空虚さと絶望のふかさだ。そしてそれを痛ましく思う気持ちである。