
熊本城戌亥櫓
6月27日午後、母の訪問看護師さんから突然の電話があった。母と二人暮らしの91歳の叔母が裏の物干しの階段を一段踏み外して手をつき、右手首を骨折したらしい。「誰か、来てぇー」と叫んだけれど、細長い町家づくりの家なので、表で母を診察中の看護師さんには聞こえない。何度か叫ぶうちに、「ねこの声かな?」と裏にいってみたら、叔母が倒れていたという。
腱まで見える傷口を、すぐ水で消毒してくださり、救急車で搬送、熊本城近くの国立病院機構熊本医療センターへ緊急入院となった。連絡を受け、急ぎ、着の身着のまま、新幹線に飛び乗り、京都から熊本へ向かった。
従姉妹が仕事の途中、病院にかけつけてくれて、緊急手術の知らせを新幹線車中で聞く。手術中、付添者は抜けられないので母を迎えに行けず、私が車中から母へ電話して、「しばらくじっと待っててね、すぐにいくから。おなかがすいたら冷蔵庫にあるものを食べてね」と伝えると「わかった、待っとるけん」と落ち着いて答えてくれた。
熊本駅から病院へ直行。若い主治医の先生から術後のレントゲンを見せていただき、説明を聞く。「消毒処置が早かったので大丈夫とは思うが」と、予後の感染症と血栓症のリスクを伝えられるが、術後の叔母は、局部麻酔だったせいか意識もしっかりとしていた。
1週間後、経過もよく再手術をする。腕の添え具を外し、親指側と小指側の腕に2本のロッキングプレートを入れる手術を5時間かけて無事、終了。骨粗鬆症もあるので、丁寧に手術をしていただいたようだ。その後、順調に回復、食欲もあり、2週間後、近くの整形外科病院へリハビリ転院となった。
94歳の母の世話をする91歳の妹が倒れて、母を一人にしておけない。ケアマネージャーに相談すると、ショートステイは1泊2日程度、小規模多機能など2週間ほど滞在させてくれるところも、ないことはないが、母の気性から考えると、この古い家にいるのが一番いい。そこで叔母の入院中、私が熊本に留まることにして、8月はじめに娘と孫が熊本にやってくるのを待って、京都の家に二人を迎えようと決めた。
「母と叔母と、二人がいっしょ」が大原則。京都のマンションの自宅と同じフロアに南向きの部屋を用意してある。春と秋、二人で遊びにきてくれてはいたが、熊本から京都に居を移すことは、なかなか「ウン」といわなかった。でも今回ばかりは二人とも納得してくれた。「元気になったら、また熊本へ行ったり来たりすればいいよ。医療や介護の手続きもあるので、一応、転出・転入届を出すけれど、構わない?」と聞くと、二人とも、すんなりと聞き入れてくれた。
母の世話は、そんなに手はかからない。三度の食事と薬の管理と排便の注意くらい。自家製の玄米と豆乳ヨーグルトをつくるとお通じもよくなった。心臓にペースメーカーが入っているが、ゆっくり動けば大丈夫だ。毎日、叔母への見舞いと洗濯物を持ち帰る間、一人でテレビを見て留守番をしていてくれる。時々、母を病院につれていくと、妹に「自分の不調法だけん、不自由でも、しよんなかな」というが、家に帰るとすぐに忘れてしまい、よくわかっていないようだ。それもまあ、いいかなと思う。
何が困るといって、慣れていない台所で調味料や消耗品がどこにあるのか、わからないこと。いらないものを大切にしまいこみ、きちんと片づけてあるのはいいんだけど、ほしいものの在り処を探すのに一苦労だ。慣れるのに2、3日かかった。
はてさて、医療と介護サービスの引き継ぎをしなければいけない。それも二人分だ。まず母の心臓ペースメーカーの連携を、近くの京都第二日赤に依頼する。母が手術を受けた熊本地域医療センターの医療ソーシャルワーカーに頼んで、カルテと紹介状を用意してもらう。遠隔操作管理用のケアリングモニターの設置も確認して。イレウスで入院した時のカルテも、内科の紹介状を京都の近くの開業医につなぐ。
介護保険のデイは、できるだけサービスが途切れぬよう、京都御池地域包括支援センターのケアマネージャーに連絡し、熊本のケアマネから書類を郵送してもらう。訪問看護ステーションも、京都のケアマネと開業医で調整をお願いする。介護ベッドは京都にきた翌日、設置してもらうことにした。
叔母は再手術1カ月後の検診の後、京都逓信病院で外来リハビリを受け入れてもらえるよう、これも医療ソーシャルワーカーを通して連絡する。
医療機関や介護サービスのネットワークはすばらしい。ケアマネージャーや医療ソーシャルワーカーのつなぎ方にも感服する。切れ目のない医療と介護が受けられることが、ほんとにうれしい。
まあ、そのほかいろいろと手続きの多いこと。役所関係の手続き、重要書類の整理、身のまわりの衣服や手持ちのものは叔母の指示がないとわからない。梅干しに、らっきょう、仏壇の位牌まで持っていくという。
ひと月あまり、京都を離れている間に、WANの手続きで京都法務局に書類を出さなければならない。書類は一応揃えてあったが、娘と写メやメールでやりとりして法務局へ往復してもらい、ようやく無事、終了した。
私の仕事も、この頃は「宅ふぁいるメール便」でデータを送ってきてくださるので、何とかすぐに仕上げて送信することができる。アナログ時代に比べ、ずいぶん便利になって、ほんとにありがたい。
台風の後の西日本豪雨で各地に大きな被害が出るなか、梅雨明けで猛暑となる。熊本も暑い。「ああ、しんど」とため息をつく。でも、被災地で片づけに追われる方々のご苦労を思えば、贅沢なんか、とってもいえない。
一人娘の私は、結婚以来、母と離れて50年。行き来はしても、いっしょに住んだことはない。古い家で暮らしてきた二人は昔の暮らしのままを生きている。京都でも、なるべくこれまで通り過ごしてほしい。母と叔母を京都に迎えて、少し安心。これからの長い日々、みんなに助けられて、母たちと、いい日を送りたいと思っている。
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