
本書の著者、齋藤陽道(さいとう・はるみち)さんは、プロの写真家です。赤々舎から出され話題を呼んだ『感動』などの写真集のほか、若い人たちには窪田正孝フォトブックの写真家といったほうが通りがいいかもしれません。
齋藤さんは、生まれたときから耳が聞こえません。ご家族では、彼と下の妹さん以外は、聴者です。彼は幼い頃から発音訓練を受けたり、相手の口の形から音声を推測する訓練を受けてきました。
ろう学校で齋藤さんは、現在のパートナーである麻奈美さんと出会います。麻奈美さんは家族全員がろう者である、いわゆるデフファミリーDeaf familyに生まれました。手話を習いはじめた16歳までの記憶が「ほとんどない」という齋藤さんは、麻奈美さんが幼い頃の思い出をたくさん持っていることに驚きます。たとえば1歳半のときに弟がアリを食べるのを見たこと、2歳の誕生日にショートケーキに載ったイチゴを指さして「イチゴ」と手話で言ったら(すぼめた指先を鼻の頭に当てる)、父親が喜んだこと。
一概には言えないのでしょうが、自分の身体の特性に合った方法で思いのままに表現し、それを受け止められる人が周囲にいるという“特殊な”環境なしには、脳内作業の典型のような「記憶」という機能さえ成立しない、ということかもしれません。
それはさておき、違う言語を持つこの夫婦――一方は日本語を第一言語とし、他方は日本手話を第一言語とする――のあいだに、「樹さん」(「いつき」読みます。「たつる」じゃありません)という子どもが生まれました。樹さんは耳が聞こえます。
この本はまず第一に、そんな「言語が違う」夫婦と、「身体が違う」子どもから成る家族が、どうやって日常を過ごしているかの実況報告書です。
たとえば樹さんが生まれて、初めて自宅で3人で過ごした夜のこと。樹さんがおっぱいを欲しがって泣いても聞こえないふたりは、iPhoneのバイブが30分おきに鳴るようにセットし、体から離れないように齋藤さんはパンツの中に、麻奈美さんはブラジャーの間にiPhoneを挟んだりします。
第二に本書は、そのような異なった身体を持った人たちと「違ったままでつながれた」体験集でもあります。
ある深夜、齋藤さんは、パチンコ店の駐車場で不穏な動きをしている老人に出会います。初めは酔っぱらいかと思っていたのですが、よく見ると白杖を持っています。盲者が駐車場で方向感覚を失い、出られなくなっていたのです。
齋藤さんは(おそらくは不明瞭な発音で)声を出しました。老人はぎょっとした顔でこちらを見る。伝わっていないと思いながら、そこにOLが通りかかったのでまた声を出す。またぎょっとされながらも、携帯に「この人を送っていきたいので住所を聞いてほしい」と打ち込む。するとOLはそれを声に出して老人に住所を聞き、携帯に打ち込んでくれた――。
耳の聞こえない「ぼく」が、耳の聞こえる女性の協力を得ながら、目の見えないおじいさんの道案内をやりおおせたその日のことを、齋藤さんは次のように記します。
《自分とはまったく切り離されているかに思えた、異なるふたつの世界がそれでも関わりあったときの思い出には、いびつながらも奇妙な感動が残る。そんな、苦くて甘い「異なり」を強く感じることができた日のことを、ぼくは「異なり記念日」と呼んでいる。……「異なることがうれしい」と、まずはそう言い切ってしまってから物事を始めようと思っている、ぼくは。》(本書218ページ)
「あれかこれか」という選択を強要されがちな現在、あれでもありこれでもあるままで、つまり「違ったままで」つながれる世界は確かにあるのだと思わせてくれる、美しい一冊です。(編集者)
*本書は、晶文社からの『声めぐり』と同時刊行されます。そこに齋藤陽道さんが手話に出会い、他者と格闘し、「声」を発見するまでが記されています。いわば本書の前史といえるでしょう。そしてどちらも、ブックデザインは文平銀座(寄藤文平+鈴木千佳子)。特異な文章力を持つ1人の写真家の本が、2つの異なる出版社から、同じデザイナーによって同時につくられました。
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