映画の主人公、ロシア文学者の湯浅芳子と、作家の中條百合子(のちに宮本百合子)のふたりは、明治から大正、昭和にかけて実在した人物である。『百合子、ダスヴィダーニヤ』は、このふたりが出会って、たがいに惹かれあい、困難と葛藤を経て結ばれるまでの40日間を描いたドラマだ。ノンフィクション作家の沢部ひとみが、93歳まで生きた晩年の湯浅芳子に取材をして執筆した同名の原作(1990年発表)、及び百合子の書いた2つの小説『伸子』『二つの庭』をもとに作られている。

ふたりの出会いは、1924年(大正13年)。当時、ロシア語を勉強しながら雑誌『愛国婦人』の編集をしていた湯浅芳子(菜葉菜)は27歳だった。常に女性を恋愛の対象としてきた芳子は、24歳のときに京都の芸妓・北村セイ(麻生花帆)と恋に落ち同居するが、百合子と出会う数カ月前に関係が破たんし、ふたりは別れていた。
一方の中條百合子(一十三十一)は、芳子との出会いのとき24歳。百合子は、17歳で小説『貧しき人々の群』を発表し、天才少女だと騒がれる。その後19歳のときに、遊学中のニューヨークで、15歳年上の古代ペルシア語研究者・荒木茂(大杉漣)と結婚をしていた。だが、両親(平野忠彦と吉行和子)の猛烈な反対を押し切って結婚したにも関わらず、百合子の荒木への情熱は長く続かない。冴えない研究者であったのに、百合子との結婚によって日本で大学教授の職を手にし、いわば「逆・玉の輿」となった荒木は、彼女の気持ちが離れていくのを目の当たりにし、必死になって彼女の心を自分のもとにとどめようとしていた――。
芳子と百合子のふたりは、芳子の作家仲間・野上弥生子(洞口依子)の自宅に招かれた折に知り合い、すぐに惹かれ合う。その後、会うたびに、そして会えないときも毎日のように綴る手紙によって、おびただしい量の、自由闊達な思想と相手への思いの丈を込めた言葉の交換をとおして、互いの愛を確かめていく。真摯に、相手への敬意と愛情をもって率直な言葉で相手と「切り結ぶ」ことが、互いを結びつけ高めないわけはない。それができる相手と短い人生の中で出会えるのは、なんて幸せな、そして切ないことだろう。ようやくふたりが身体を重ねるシーンも、互いへの想いに裏打ちされた繊細さと喜びにあふれている。ふたりが全身全霊をかけて紡いだ言葉と愛が、この映画の中で蘇ったように確かに存在するのは、誰よりも浜野佐知監督が、ふたりの愛を全力で肯定しているからだろう。


この時代に、自分の言葉を手にすることを許された女性は少ない。多くの女に学問は必要とされず、その機会が与えられたとしても、良妻賢母としての教養を超える学問など要らないとされていたからだ。そして、同性同士が愛し合うことも肯定される社会ではなかった。そんな時代に、こういう愛が育まれていたことを知ることができるのは、何より嬉しく思う。
映画では、百合子と婚姻関係にあり、彼女を取り戻そうとして画策をする荒木が、非常に滑稽に、哀しく見える(ラスト近く、玄関口での胸のすくシーンと、大杉漣の表情は必見!)。それ以上に、わたしにはふたりがたどる未来も哀しく、切なくてたまらないのだが、ふたりの愛の行く末はぜひ、映画で見ていただきたい。百合子は1951年(昭和26年)、芳子よりもずっと若く51歳で生涯を閉じる。「ダスヴィダーニヤ(さようなら)」に込められたふたりの全力の愛の余韻が、いつまでも残る作品だ。
その他にも、この映画では登場人物たちが身につける衣装の着こなしや、物語がくり広げられる舞台風景などに大正を思わせるものがふんだんに使われ、次々と目を楽しませてくれる。2011年の作品であるが、浜野監督は原作の映画化への思いを、それより15年ほど前から温め続けてきたのだそうだ。わたしは、2011年に開催された「あいち国際女性映画祭2011」でこの作品を初めて見た。そのとき、客席から「一般映画として、大会場でこうした同性愛を描いた作品が見られることを、とても嬉しく思う」と発言し涙していた知人の姿が、今も脳裏に浮かぶ。これからも大切に、繰り返し見続けられてほしいと思う作品である。(中村奈津子)
映画についての公式HPはこちら。作品DVDの購入もできる。
-原作-
沢部ひとみ『百合子、ダスヴィダーニヤ』
宮本百合子『伸子』『二つの庭』
-製作-
株式会社 旦々舎
企画:鈴木佐知子 脚本:山崎邦紀 撮影:小山田勝治
照明:守利賢一 美術:奥津徹夫 音楽:吉岡しげ美
編集:金子尚樹 制作:森満康巳
衣裳:NPO法人京都古布保存会
-制作協力-
「浜野佐知監督を支援する会」東京(代表・カドカチェトリ順)
「浜野佐知監督を支援する会」静岡(代表・石垣詩野)
-助成-
文化芸術振興費補助金
2011年/日本映画/カラー/35ミリ/アメリカンビスタ/102分/ドルビーSR
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現在、浜野佐知監督は新作映画『雪子さんの足音』の制作に取りかかっています(WANでの紹介記事はこちら)。この作品へのご支援も、引き続きよろしくお願いいたします。
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