書 名 日本のヤバい女の子
著者名 はらだ 有彩
発行年 2018年5月
出版社 柏書房
立山連峰の地形に地獄極楽を当てはめた絵地図を描き、善男善女を立山登山にいざなった(というか宗教観光PRした)「立山曼荼羅」というものがある。
この富山県につたわる曼荼羅、なんといっても見どころは地獄の悲惨さだ。極楽は上のほうにちょぼちょぼと描かれているだけなのに、地獄となると三幅からなる掛け軸の七割以上を割いている。閻魔大王の裁きで舌を抜かれ、針の山へ追われ、業火に焼かれる亡者たちの阿鼻叫喚がおどろおどろしく迫ってくる。その念入りに描かれた地獄に欠かせない「血の池地獄」にいるのは女だけ。なぜならば「産や月水の血の穢れ(けがれ)ゆえに地獄へ堕ちた女人たち」だというではないか。なんだ、それは!女はすべからく地獄行きだと?立山曼荼羅許すまじ!
ふつふつと湧き上がる怒りは消えないけど、曼荼羅も伝承も消えない。
だいたい、昔話にでてくる女というのはたいへんにかわいそうなのだ。悪いのは男だろ、もしくは社会だろ、殿様だろ、と、いくらページのこちら側で叫ぼうとも、かぐや姫はさんざんあれこれねだって、プイと実家に帰りやがった、と言われ、お菊さんは理不尽に皿を数え続けなきゃならないし、乙姫のお土産ひどいよねえ、それはないわ、と糾弾される。
でも、そうじゃなくない?
そもそもさ、この物語の骨格はね・・・と、作者のはらだ有彩(ありさ)はストーリを丁寧に解きほぐし、男のありよう、狡さ、女の気持ち、生きざまを問い直していく。長い時間をかけて、清姫やお露やイザナミノミコトがしょわされてきた思惑や役割を払い落して彼女たちと真剣に話しこんでいくのだ。「マジ?つーか、それなくね?」と。
はらだは、SNSにあふれる現代の猥雑で元気な言葉と、深く内省した知的な言葉とを意図的に混ぜ合わせることで、昔話の女の子たちをスターバックスカフェに連れ込むことに成功した。カフェで長話しているうちに、女の子たちが強制されてきた悲劇や憤怒に満ちた役割は、そっと違う人生へと置き換えられていく。なんのために?わたしたちすべての女子のために。
――私は「物語に従わないことが最高の復讐」だと思う。自分の身に勝手に起こったことにむりやり感動的な意味を見出さず、精神的成長としてつじつまを合わせず、物語を無効化する。あるいは因果関係のない別の物語を自分で初めてしまう。――
誰だって自分の人生を生きられる。
ページの向こうのあの子も、血の池地獄に落ちている女たちも。あれ?よく見ると血の池地獄に落ちているにしちゃ、みんな楽しそうじゃん?もしかしてゆっくりあったまっているところだった?ああ、女風呂なら、そりゃ男に入ってもらっちゃ困るわ。ちょっと、そこの鬼・・・おにいさん。ワイン風呂にいれるワインもうちょっと持ってきてよ。あとグラスも人数分ね。
■松本芽久美(まつもと めぐみ)
1967年富山県生まれ。
北日本放送ディレクター、リサーチャー。