書 名 マザーリング・サンデー
著 者 グレアム・スウィフト/真野 泰 訳
刊行日 2016年3月
出版社 新潮社(クレスト・ブックス)
自分が自分になったとき、もしくはまったく新しい自分を手に入れたときのことを鮮明に覚えている人はどのくらいいるのだろう。おとぎ話のプリンセスならば、幸福のおとずれた瞬間を克明に語れるのだろうが。
一九二四年三月三十日日曜日、年に一度だけメイドに許された里帰りの日(マザリング・サンデー)、ジェーンは自転車に乗って出かける。メイドの仕事から解放されるこの日に、ジェーンには訪ねるべき母がいない。
近所に住むポール坊ちゃまとは、もう七年も秘密の交際を続けているけど、あと二週間で坊ちゃまは結婚して「それっきり」になってしまう。最後の逢瀬のチャンスに、ジェーンは誘われるまま、ポールの屋敷へ向かい、正面玄関の大扉を開け、彼のベッドでセックスをする。
初めて訪れるポールの部屋、馬小屋や木陰ではない場所でのセックス。ふたりは何も身に着けず、並んで黙って煙草を吸っている。最高の喜びとやがて訪れることに決まっている悲しみがこの部屋に漂っている。
ポールは婚約者に会うためにとびきりのおしゃれをしてゆっくりとでかけていくが、ジェーンは、ひとり残ることを許される。三月の、まるで六月のような良いお天気の午後、日差しが差し込みほんの少しのほこりが舞うのが見える。ご褒美のような午後をジェーンは全裸で、屋敷中の扉をかたっぱしから開けて回ってすごす。
丸裸になって、扉を開けて、世の中から祝福されたような好天で、メイドの仕事からもその階級からも解き放たれて、と「作者」の狙いが一点に絞り込まれて見えたと思った矢先、ふと視界が揺らぐ。物語は高名な作家である九十歳を過ぎた女性の回想なのだ。さてわたしが思った「作者」とは、ジェーンであったのか。
真っ裸で扉を開けてまわる若い女の冒険は、意外なことに服を着て扉を閉めたところから始まる。自分の人生が始まったという確信を得てジェーンがさっそうと自転車に乗る姿がはっきりと「見える」。読んでいる私たちもほんのり暖かい六月のような三月の風を頬に感じる。
だから、ジェーンの受け取る悲劇の知らせがあまりに非現実的で、好天にぽっかりと浮き上がったかたまりのように心に残ってしまうこともその鮮やかな輪郭とともに伝わってくる。しかし、人生最大の悲嘆にもジェーンは押しつぶされることなく、あくまでも自力で自転車をこぎつづけるのだ。自由の感覚を体にみなぎらせて人生を進む。
一方で、読む人たちはポールの気持ちをなんども推しはかってしまうだろう。どうしてジェーンを裸にしたんだろう。どうして最高にイケてる自分をたっぷりと見せたんだろう。どうしてジェーンを「ともだち」とよんだのだろう。
それはきっとジェーンだって何度も考えて、もしかすると大事なのはそこじゃないって結論も出ているのかもしれない。エピグラフには「作家」の手で「お前を舞踏会に行かせてやろう」と書いてあるのだから。
■松本芽久美(まつもと めぐみ) 1967年富山県生まれ。
北日本放送ディレクター、リサーチャー。
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