
書 名 彼女は頭が悪いから
著 者 姫野カオルコ
発行年 2018年7月
発行所 文藝春秋
姫野さんの問題意識
旧知の満田康子さんから姫野カオルコさんの「彼女は頭が悪いから」の書評を頼まれたときは、1000字程度という少ない字数に簡単だと早合点して引き受けてしまった。いざ、考えだすと、これはとんでもなく難しい仕事であった。性暴力被害に象徴されるこの社会が抱えている複雑な差別構造について自分をも含めて考えねばならなかったからだ。一応、書評の体をなす文章を書かねばならないので、473頁全部を読み返した。最初に読んだときには、題材そのものが、妙な表現だが、私にはなじんだものであったので、さもありなんと頷きながら読み進んだ。
姫野さんはこの本についてのインタビューで、読む人は被害者に感情移入してしまうが「加害者の嫌な部分は、私の中に存在する。・・・誰もが加害者の部分を持つのでは」と語っている。インタビューをした記者は、この問いかけを受けて「加害者を生むのは、自分も構成員の、この社会の意識なのだ」と文を締めくくっている(東京新聞2018年11月18日)。
姫野さんはこの問題意識について昨年12月の東大・駒場でのブック・トークでも述べられており、私には重く響いた。私の共犯性について考えねばというのが、2回目を読みながら私の中で広がって行った。自分事としてどう受け止めるのか。1960年代の半に私も舞台となっている大学の学生であったことも、時として学歴差別意識を持たなかったわけでもない過去が、私の共犯性考察を促した。
「彼女は頭が悪いから」という衝撃的なタイトルは、その裏側で「僕(たち)は頭がいいから許される」あるいは「東大生は頭がいいから許される」を伴っているのではないか。
頭がいいとは
「頭がいい」とはどういうことか。単に東大に合格することがなぜ、あらゆる面でも長けているように誤って表現されるのか。ついには、当事者を含めてあたかも人間の能力の頂点に立っているかのように錯覚されるのはなぜか。私たちは漠然とではあろうが、「頭がいい」の中身を吟味することなく、賞賛に合意してしまっているのではないか。
被害に遭ったのは、頭が悪いからであり、つまりは自己責任であると加害者たちはいう。かつて、私はこの社会で多くの人々に共有されている性暴力被害者への非難と責任転嫁を「被害者落ち度論」と呼んだ。被害者落ち度論が救うのは加害者であり、被害者はさらに叩きのめされる。社会の責任など微塵も論点に上がってこない。このことが批判されることなくきたこの社会では、被害者美咲への人権侵害は容易に繰り返されよう。人権侵害と認識されることもなく。
実は、私はこの小説の発想の基になった事件のことを知らなかった。有名大学生による似たような事件が繰り返されていたので、特に注目しなかったのかも知れない。事実は、多分、この本にあるようなことであろう。
卑屈なまでの自己評価
美咲は、学歴身分社会での自分の低い位置を分相応に受け入れている。子どものとき、附属中学や高校に進学する同級生を見ていたように。だから、頂点にある東大生のつばさと恋人になれることは、天にも昇るような高揚感をもたらした。つばさと恋人になった時の彼女の嬉しさの中には、間違いなく、つばさが東大生であることが大きな位置を占めていた。ラブホテルでつばさと初めて性関係を持った時の二人は以下のように描写されている。
初体験の美咲はそのあいだじゅう、つらそうだった。終わってから、口紅のような色がシーツについたのを見て美咲はとまどう。つばさは「ばかだなあ。こんなとこについてきて」と「ばかだなあ」を繰り返した。美咲は「私、ばかだもん・・・東大じゃないし」とつぶやいた。事件の半年前である今、つばさは、こういった美咲を切なく感じ、抱きしめていた腕の力をぎゅっと強めた。それから半年後の事件直前、美咲はつばさとの関係は終わったと悟り、それでもつばさに会えることに胸をときめかせながら居酒屋への誘いを受けいれた。彼の気持ちが自分にはないことを確認し、「彼のお荷物にならないように。重い女にならないように。」と自分に言い聞かせる。このくだりを読むだけで涙が出そうなくらい彼女は卑屈になっていた。男に嫌われないように聞き分けのいい女はかくあるべしと日本の女性たちは教育されてきていた。この卑屈さに私も無縁であったわけではない。女であることは、学歴以前に女を男に対して「自発的に」卑屈にする力を持っている。女の自己評価が今でも男の手にある現実が、美咲を強制わいせつ罪の被害者にすることに与っていただろう。
自分を理解できない頭の良さ
加害者の男性たちは、頭がいいはずなのに、自分たちの言動の意味を理解できない。示談成立(示談条件は、彼らが東大を退学するということだけ)で不起訴になった者も含めて、彼らはついに自分の言動が犯罪行為であることはもちろん、美咲にとっては何であったのかを理解できないままであり、謝罪や反省とは無縁だ。刑事手続きをもって非難されているにもかかわらず、次々に自己正当化の理屈を編み出す。「頭がいい」とはこういうことだ。この点は、彼らの両親もそうだ。大学生が酒を飲んで悪ふざけをしただけなのにという割り切れなさと不満を抱えたままだ。自分たちは、頭がいいのでそれをしてもいいし、頭の悪い女の子が自分たちを訴えるなんて言語道断だ。本書は「『巣鴨の飲み会で、なんで、あの子、あんなふうに泣いたのかな』つばさは、わからなかった。」という文章で終わる。つばさはその小さな疑問もやがて忘れて社会では成功者の道に復帰するであろう。この社会は、彼らの期待どおりに事件のことを忘れてしまう。
共犯者としての私たち
加害者らの自分は「頭がいい」という評価はこの事件を経ても自他ともに揺るがなかったようだが、それはなぜか。つばさに典型的にみられる他人の感情や状況や苦痛をそもそも感じることのできなさ。そのような人たちを「頭がいい」という表現で称賛し、賞賛しなくとも肯定する日本社会の多くの人こそが彼らの共犯者であろう。性差別とも人権侵害とも無縁で生きていられる「幸福な人たち」を私たちが共犯者となって応援しているのではないか。昨年の春に発覚した財務省での東大卒の高級官僚によるセクハラの事実ともこの事件は通底するものがある。そして昨年の夏に発覚した医大の女性受験生への明々白々な性差別事件とも。この社会の女性差別の強固とした地層は共犯者を許し続けている。その地層自体を私たちが作り上げてきたのではないか。そして、頭のいい人たちは自分の言動のみならず、社会のこの単純な事実にも気が付くことはあるまい。彼らが社会の中心にいつづけることの不幸を共犯者たちはいつか気づくのだろうか。その時、この事件は、初めて自分事となる。
◆つのだ・ゆきこ
1942年生まれ。1967年東京大学文学部卒。1975年、弁護士登録。
1986年以来性暴力被害者支援など女性の事件を中心に仕事をしてきた。
2018年8月以来、「医学部入試における女性差別弁護団」の共同代表の一人を務めている。
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