
先月は、女性差別を描いた小説『82年生まれ、キム・ジヨン』の作家趙南柱さんが来日して、日本に夫を主人と呼ぶ言い方があると聞いて絶句した話を書きました。きょうは、この韓国で110万部も売れているというこの小説自体についてお話ししようと思います。
今まで女性が置かれてきた日常の中のさまざまな差別が、あれもこれも淡々と描かれています。うん、そう、そうと、主人公キム・ジヨン氏に共感し、次第に娘を理解し強くなっていく母親を頼もしく思いながら引き込まれていきます。勇気ある先輩や、主人公をうまく育てていく職場の課長など、魅力的な女性も適所に配置されています。実際の差別を描きながら、ピシッとその理不尽さを糾弾する登場人物たちの語り口は痛快です。作家の冷徹な文章力に、多くの読者を獲得しているのもうなづけます。

2か所だけ紹介しましょう。
キム・ジヨン氏の大学の先輩ユン・ヘジン氏の例です。ユン・ヘジン氏は、就職を希望する企業に向けての推薦を指導教授に頼みます。4人の推薦枠は男子学生で埋まっていて、成績では学部で首席を通してきたユン・ヘジン氏はその枠に漏れていました。彼女は、どうして自分がその枠に入れなかったのか、その推薦の基準を知りたいと教授に迫ります。学科長は答えます。
「女があんまり賢いと会社でも持て余すんだよ。今だってそうですよ。あなたがどれだけ、私たちを困らせてるか」
どうしろって言うの? 能力が劣っていてもだめ、優れていてもだめと言われる。その中間だったら中途半端でだめって言うんでしょ。ここで争っても無意味だと思った先輩は抗議をやめ、年末に行われた公開採用に応募して合格した。
ユン・ヘジン氏の述懐は、古今東西において、多くの女性がことあるごとに涙とともに飲み込んできた叫び声だったでしょう。
もうひとつです。今度はキム・ジヨン氏が結婚して子どもができます。産休に入る前に彼女と夫のチョン・デヒョン氏とは十分に話し合いをします。育児休暇をとって復職するか、その時はだれが子どもの面倒を見るか、親には頼めない、ベビーシッターとして家族同様に住み込んでくれる人がいるか、そういう人がいたたとしてもその費用が払えるか、さんざん話し合った末に、どちらかが会社をやめるしかないという結論に達します。そうなると、どちらかはキム・ジヨン氏になります。その理由は、夫の方が収入が多いし、「またそれらすべての理由とは別に、夫が働き妻が子どもを育てるという暮らしが一般的だからである」と作者は言います。キム・ジヨン氏は憂うつになります。
チョン・デヒョン氏がキム・ジヨン氏のがっくり落とした肩をたたいて言った。
「子どもがちょっと大きくなったら短時間のお手伝いさんにきてもらえばいいし、保育園にも入れよう。それまで君は勉強したり、他の仕事を探してみればいいよ。この機会に新しい仕事を始めることだってできるじゃないか。僕が手伝うよ」
チョン・デヒョン氏は本心からそう言い、それが本心であることはよくわかっていたけれど、キム・ジヨン氏はかっとなった。
「その「手伝う」っての、ちょっとやめてくれる? 家事も手伝う、子育ても手伝う、私が働くのも手伝うって、何よそれ。この家はあなたの家でしょ? あなたの家事でしょ? 子どもだってあなたの子じゃないの? それに、私が働いたらそのお金は私一人が使うとでも思ってんの? どうして他人に施しをするみたいな言い方をするの?」
この啖呵には思わす拍手したくなります。家事は妻がするもの、それを手伝うのがいい夫、という図式は出来上がっています。手伝うことすらしない夫が多いために、手伝うのはとても貴重なこと、手伝う夫は素晴らしい良い夫ということになってしまっています。そうではありません。キム・ジヨン氏の言うとおり、家事も子育ても夫自身のものなのです。
たまたま、4月28日の毎日新聞に「育児復帰 パパ巻き込もう」と言う見出しで大きな記事が載っています。4月は育児休業を取った女性が職場復帰する時期でもあり、復帰を支えるための夫の育児参加を促すセミナーや企業の取り組みが注目されるという記事です。
確かにそれはとてもよいことです。でも夫の育児参加を促すというのは、やはり、キム・ジヨン氏の「手伝う」と同じです。つまり、促さなければ夫は育児に参加しないで、そのまま妻のワンオペが続いてしまうということです。そもそも「参加」もおかしくないですか。育児を自分のことだと思っていたら、促されないで育児をするはずです。自分のこととしてするはずで、だれかの誘いに乗ってイベントに加わるような「参加」をするはずはありません。ここでも、『82年生まれ』の意識が先を行っていることがわかります。
ところで、こういう本がミリオンセラーになっている韓国はすごいと思って、私は韓国からの元留学生で、今は光州の大学で日本文学を教えている明恵英さんにmailしてみました。日本では#Me too運動も進まないけど、韓国のフェミニズムはすごい勢いのようですねと。
彼女からの返事は、「最近韓国は、特に、2、30代の中で激しいフェミニズム論争(こちらでは、戦争と言っているくらいです)が続いております」というものでした。フェミニズム戦争とはまた一体どういうことかと尋ねますと、以下の例を挙げて説明してくれました。
第1、『82年生まれ、キム·ジヨン』は20代の男性たちの中では知られた禁書です。この本をきっかけに、自らをマイノリティーと認識する男たちの出現、および、反フェミニストの<20代男性現象>(時事IN、2019年4月22日)と名付けられた、社会現象ができあがっています。
第2、『82年生まれ、キム·ジヨン』が映画化されるということで、女優さん(チョン・ユミ)が決まったときの20代の男たちの反応です。
① 撮影前なのに、映画の評価をわざと5.0点(10点満点の中)とつけて、映画化を妨害しています。('評点テロ'と呼びます)
② チョン・ユミさんのインスタに、たくさんの批判文を載せ、攻撃しています。
⓷ 青瓦台請願掲示板に、『82年生まれ、キム·ジヨン』の映画化を中止してください、との願いを載せ、公論化を企てています。
第3、 これは自分が直接聞いたことですが、『82年生まれ、キム·ジヨン』を読む市民講座を開いたときのことです。その講座には中年女性と娘さんが一緒に参加していましたが、10代の息子さんに強く反対されて困ったということを話していました。
110万の読者ばかりではなかった、禁書とする男たちもいたことがわかりました。
「なるほど、そういう戦争ですか。どこにも悪い男たちはいるんですね。それでも、そういう反発や攻撃があったからと言って、女性たちは引き下がってはいないんでしょうね」と出したmailには、「'脱コルセット'など、フェミニズム運動になおさら拍車をかけています。映画化の中止を訴える請願にyesを押した人は、500名ぐらいで少ないですが、俳優さんに、SNSを通じての攻撃は続いています」という返事がきました。また「脱コルセット」という刺激的なことばが出てきて、その中身が知りたくなって、聞いてみました。
'脱コルセット'は、フェミニストたちのアクティビティとして行われています。目的は、男性による性的対象化の撤廃ですが、まず、目に見えることから始まっています。
1.長い髪を切ること(長い髪は、若い女性たちを中心に、女性性をアピールするということで流行っていました。)
2.ブラジャーを脱ぎ捨てること。
3.化粧をしないこと。
4.整形をしないこと。
5.ハイヒールを脱ぎ捨てること。
などなどです。こういったことを実行した後は、だいたい、前後の写真を撮ってSNSに載せてアピールしています。
韓国の女性のリアルタイムでのフェミニズムの動きです。『82年生まれ』がこういう背景で読まれているのだと、納得した次第です。
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