第43回 WAN上野ゼミ リサプロ+当事者研究
◆日時: 2月24日(日) 14時~16時
◆場所:武蔵野市西久保コミュニティセンター 1階 第1会議室
〒180-0013 東京都武蔵野市西久保1丁目23番7号 電話番号:0422−54−8990
http://nisiku-c.sakura.ne.jp/index.html
◆申し込み:WAN会員先行申し込み2月1日(金)開始/一般申し込み2月3日(日)開始(定員18名)
ページ下部の申し込みリンクより、2月24日開催のゼミ申し込みと明記。
WAN 会員/非会員も必ず記入のこと。
◆コメンテイター:上野千鶴子
◆三浦由佳:琉球大学大学院医学部保健学研究科 博士前期課程2年
テーマ:児童相談所一時保護所に勤務する看護師の専門的役割とはなにか?
<概要>
厚生労働省の統計によると、平成28年度の児童相談所に寄せられた虐待対応件数は、122,757件で過去最多となっている。報道においても、児童虐待による児童の死亡事例が多発しており、児童相談所の役割はますます重要となっている。児童相談所が注目される一方で、併設されている一時保護所については、あまり知られていない。一時保護所とは、児童虐待に発生している家庭などにおいて、子どもの安全が危ういとされる場合や、貧困家庭において、一時的に親子分離をせざるを得ないと判断した場合に、児童相談所の所長の判断で、子どもを親元や養育者から引き離し一時的に保護する施設のことである。
一時保護所は全国に136か所ある。一時保護されている子どもたちは虐待やネグレクト、発達障害など子ども自身に問題を持つなど、さまざまな医療ニーズを抱えている。家庭において、定期的にかかりつけ医に受診して身体疾患の治療を継続することが困難であることが1つの要因である。このような子どもたちの医療ニーズは非常に多く、一時保護所に看護師を配置し、対応している場合がある。全国の一時保護所136か所中、都道府県で15か所中43人、政令市の一時保護所では12か所18名の看護師を配置している。
しかし、一時保護所の看護師の役割についての先行研究はない。本研究では、児童相談所一時保護所の看護師の専門的役割とは何か、医療機関の看護業務と比較しどのような知識や対応が求められるのか明らかにすることを目的に、全国の一保護所の看護師で、8~10名を目標に、インタビューガイドを用いて、半構成面接を行い、質的記述的研究を行った。
現在、面接調査中であり、今回はその中間報告を行う。
◆赤池紀子:早稲田大学大学院(教育学専攻)修士課程在学中
テーマ:「子どもの不登校を経験した親の「葛藤」と「内的変容」——2001年以降に注目して」
<概要>
不登校の児童生徒数は初の14万人台となり、過去最多の2001年を超えた。「無理に行かせない」意識が広まったという見方もあるが、2000年代以降、子育ての家庭責任が法律によっても強化されるなか、子どもの不登校を経験した親当事者は、その現象をどのように受け止め、理解しようとしてきたのか?
自己責任論の浸透などにより、当事者の役割規範は従来と変化しておらず、子育てが自己評価とつながる傾向は弱まっていないのではないか?
本研究では、2001年以降に着目し、90年代の複数の親当事者の手記をもとに比較しながら、葛藤の形成過程やその中身、内的変容のプロセスを、当事者の語りを通して考察する。また、「理解する」ことがかえって役割規範をなぞらせ、家族の中で対処することが実情を見えづらくし、家庭責任を内在化、強化する可能性についても問いたい。
親当事者に焦点をあてることで、この現象をどのように捉え、考えていけばいいのか、新たな視点から議論されることを目指したい。
◆猪股祐介:社会理論・動態研究所研究員、歴史社会学専攻
テーマ:『満洲移民』の『再定着』をめぐる『当事者』たちの困難を中心に:A開拓団を事例として
<概要>
本報告の目的は、「満洲移民」(以下、括弧略)が引揚後、日本社会や地域社会へ「再定着」する過程で、自らの「当事者」性を再構築していくことが、彼/女らの「意図せざる結果」として、満洲移民をめぐる複合差別を再生産してしまうという困難を分析する、研究計画を示すことである。
今回の報告では、「再定着」として、元団員の満洲移民体験を、彼/女らの親族により構成される遺族会の戦後世代が継承する過程をとりあげ、日本社会の集合的記憶への「抵抗」と「適応」をめぐり生じる困難を中心に報告する。
◆永野眞理:wan上野ゼミ
テーマ:「パート労働とアイデンティティ -自分史的アプローチ-」
<概要>
パート労働は「最底辺の労働」である。働く中で最低の賃金や待遇は確固としたヒエラルキーを形作り、その最底辺に自分がいることでパート勤務の中で味わった屈辱や悔しさは数知れない。しかし、当初子どもの学費稼ぎの意味があって始めたパートだが、子どもが学齢を過ぎた時に私はパートを辞める積りは無くなっていた。
果たしてパートは「最底辺の労働」であるだけなのか?「最底辺」に居たことでこそ、私が得たものは何だったのか?そもそもパートとは、いかなる労働なのか?パート労働の「最底辺」ではない部分とは何だったのか?
目指すのは、当事者視点での「パートという労働」の言語化である。そしてさらに、家事・子育て専業経験者の視点から「仕事」そのものを問い直したい。
※今回、懇親会はありません。
◆ゼミの申し込みはこちらから
(「2月24日開催のゼミ申し込み」と明記してください。
WAN 会員/非会員もお知らせ願います。)
2019.01.30 Wed